真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

(2)実際の死の直後の体験談

 

7)サミュエル・フィリップ霊の体験談(1863年パリの交霊界より)

 

仏人サミエル・フィリップスは、生前から立派なスピリチュアリストとして奉仕と信仰と犠牲の人生を歩んできましたその人間性と生き方は、まさにスピリチュアリストの鏡とも言うべきものでした1862年12月、50歳で世を去りました。

 

その彼が、交霊会で死後の世界について詳しく述べています。地上人生を優れたスピリチュアリストとして歩んだ霊性の優れた人間が、死の直後、どのような体験をするのかを明らかにしてくれています

 

フィリップ霊

 

 死は何の苦痛も動揺もなく、まるで眠りのように訪れました。私には、死後の世界への恐れは全くありませんでしたし、地上人生に何の未練もありませんでした。そのお陰で私は、地上生活で抱えてきた問題にもう悩まされることはもうなかったのです。

肉体と霊体の分離は、何の努力も必要とせず、痛みもなく、無意識のうちに行われました。

私にはこの眠りがどのくらい続いたのか分かりませんでしたが、それはほんのわずかな時間でした。私はこれまで味わったことのない喜びに満たされて、穏やかに目覚めました。もはや痛みを感じることもなく、喜びに満ちていました。私は起き上がって歩こうとしましたが、なぜか力が入らず、動くことができません。どうして動けないのか分からないまま、心地よい状態の中で起き上がれずにいましたが、私が地上を離れたということは間違いのない事実でした。自分の身に起こった出来事のすべてが夢のようでした。

部屋の中で、私の妻と何人かの友人が跪(ひざまず)いてすすり泣いているのが見えました。彼らは間違いなく、「私が死んだ」と思っているようでした。私は彼らに、「死んではいない」と伝えたかったのですが、なぜか一言も言葉が出てきませんでした。

そろそろ、私のこの夢のような状態も終わろうとしていました。ずっと昔に亡くなった私の愛する者たちや一目見ただけでは誰だか分からない人たちなど、さまざまな人々が私を取り囲んでいました。私を見守り、目覚めるのを待っているのが分かりました。

私は意識を失ったり取り戻したり、覚醒してはまた眠りに引き戻されるといったことを交互に繰り返しました。そして私の(霊的)意識は、だんだんはっきりしてきました。それまで霧を通して見ていたかのようにぼんやりしていた光が、輝きを増してきました。意識を取り戻し始めた私は、やがて「もはや自分は地上世界にいない」ということを理解しました。もしスピリティズム(スピリチュアリズム)を知らなかったら、私のこうした意識の混濁状態は、間違いなくもっと長いあいだ続いていたことでしょう

 

私の遺骸は、まだ埋葬されていませんでした。私は自分の肉体を哀れむように眺めていました。そして、そこから解放されたことを心から喜びました。自由になれたことが、本当に嬉しかったのです。私は、あたかも悪臭を放つひどい環境から抜け出た人のように、楽に呼吸をすることができました。絶舌に尽くしがたいほどの幸福感が私の心を占め、全身に広がっていきました

 

私は、かつて愛した人が今ここにいてくれるということに、喜びでいっぱいになりました。彼らを見ても、少しも驚きませんでした。全く自然に感じたからです。ただ、長い旅の後に彼らに再会したように感じたのです。

 ひとつとても驚いたのは、言葉を発しなくても意思の疎通ができるということでした目を見交わすだけですぐに相手に思いが伝わり、互いの考えてることが理解できるのです。

こうしたことがあったにもかかわらず、私はまだ地上的な思いから完全に解放されたわけではありませんでした。地上で苦しんだあらゆる記憶が、ことあるごとに思い出されたからです。しかし私は自分が置かれている状況の中で、幸せをかみしめ心の底から感謝することができました。

私は地上で多くの肉体的苦しみを体験しましたが、精神的苦痛はそれ以上のものでした。私は多くの人々から悪意や憎悪を向けられ、そのためにしばしば耐え難い苦しみにとらわれることもありました。人間というものは、こうしたとても苦しい思いをすると、ずっとその苦しみの不安から逃れられなくなってしまうものなのです。

私の心に強く刻まれた苦しみや不安は、なかなか消え去るものではなく、時として「本当に解放されたのだろうか?」と自分に問いかけました。まだ人々が私を罵倒する不愉快な声が聞こえるような気がしたのです。私は、地上にいたときに味わった苦しみが再びこの身に起こるのではないかと恐れて、我にもなく震えてしまいました。自分の体に触れてみて、夢を見ているのではないことを何度も確かめました。

そしてついに地上生活の困難から救い出されたと確信を得たとき私は大きな重荷を下ろしたような気がしました。「これは事実なんだ、一生私を苦しめ続けた心配ごとからようやく救われたのだ!」と叫びました。そして、神に心から感謝いたしました。私はまるで、突然莫大な遺産を相続した貧乏人のような気分になりました

貧しい暮らししか知らない人間は大金持ちになったにもかかわらず、それが実感できなくて、しばらくの間は貧乏暮らしの不安におびえるものです。

 

ああもし人間が死後の世界の真実を理解できたなら、どれほど素晴らしいことでしょう。そうすれば逆境にあっても、死後の世界の確信から、強さと勇気を持つことができるのです。神が、摂理に従順であった子供に(人間)のために用意してくださった幸福を知れば、地上で生活する間はどんな苦しみでも我慢できるものです。

死後の世界について何も知らなかった人も、そこでの喜びを分かれば、地上で心を動かされてきた楽しみなど、いかに価値のないものであったかを悟るようになるのです。

 

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 備考、

 ああ、し人間が死後の世界の真実を理解できたなら、

 どれほど素晴らしいことでしょう。 

 そうすれば逆境にあっても、

 死後の世界の確信から、強さと勇気を持つことができるのです。

 神が、摂理に従順であった子供に(人間)のために用意いてくださった幸福を知れば

 地上で生活する間はどんな苦しみでも我慢できるのです。

 

          素晴らしいメッセージ有り難うございます。

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                                                スピリチュアリズム普及会より。

 

 

 

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