第9話
吾を見し者は父を見たるなり
わたしの祝福、わたしの平安はあなたたち一同の許に留まる。
わたしを信ずる者はわたしではなく、わたしを遣わし給うた方
を信じているのである。
わたしを観る者はわたしを遣わし給うた方を見ているのである。
1
この言葉は意義深く真実である。しかし分離を超越した者にしか理解はできない。
2
わたしを見た者は父を見たのである。真理のこの驚くべき表現を理解する人のいかに少ないことか。この真理の表現が理解されると父なる神が啓示され、理解した魂は、本人を取り巻く外側の闇の(届かぬ)彼方に置かれるようになる。
3
あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身顕現しつつあるのを認めることである。わたしの中に常に留まっておられるのは父であり父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。
4
父により、父を通して、わたしが生きているのは、父を完全に認知し、何ものにもこの悟りの邪魔をさせなかったからである。わたしが父をあなたたちに現わし示している間、父がわたしに代わってい給うのである。
5
これまでこの真理をわたしは幾度となくあなたたちに繰り返してきたので、あなたたちはようやくそれを理解し出してきた。真理はくり返しによってのみ心の中に根づき、成熟する。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
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備考、
まさに奇跡である。
蒼氓。