真理との邂逅 高級霊のメッセージ    無限なる愛と無限なる叡智をあなたへ

成長と理解との秘訣は柔軟な心を持つことである。・・・。親愛なる友よ、静穏の中、心奥の心の声で【霊読】御読みください。わたしが今あなたたちにしているこの話はあなたたちの心をあらゆる生命の本源に一層近づけつつあるのである。 十二話70   人は幾度も幾度も人によって傷つけられ、自分自身の愚行によって十字架につけられて始めて彼は、神の分霊を通してすべてのものが「大いなる一体」であることに開眼する。十四 話 34 。 無限の真理=無限の気づき。汝、汝自身を知れ、知れば。吾は神なり(全ては神)。

神がこの体験を私にくださったのは、この体験を分かち合うことによって、知らない誰かを助けることができるからです。 動画21分。・・・・・・・ イエス・キリストが真理について愛について述べたもう。

  

                                                   第一話

 

われは蘇りなり。生命なり、すなわち神の愛なり。

 

わたし自らが蘇りである。命である。わたしを信じるものは死すとも生きる。

 

わたしの中に生き、かつ信じるものは決して死なない。

 

 

1

神は愛であり、愛は神である。 しかしそのことがなんであるかを知っている者はいない、 ただわれわれだけがそれが実在であることを知っている。 あなたたちは恐らくそれについていろいろと理論を立てて来たであろう。 しかし、そのようなことは決してしてはならないのである。 外部からの種々様々な意見に染まることなく、真理自体を開顕させるべきであり、また、こうであると最終的に断定してはならない、断定してしまえば真理に至る道が閉ざされてしまうからである。

 

 

2  

愛は全宇宙の中心である。この中心より絶えざる愛の流れがすべての魂、生きとし生 けるものを通じて流れている。花々を通じ、動物たちを通じ、人間と天使たちとを通じ て、この愛が中心の泉より絶え間もなく流れ、愛自身の真実の相を永遠に表現わしてい る。

 

 

3  

愛は鉱物における親和力である。愛は花々における本質である。愛は動物の本性と なって表れる。このことを完全に悟った時その人の全存在は愛に満たされ、肉体の全細 胞が活力を得るのである。

 

 

4

世に愛の他にはいかなる力もない。愛は天と地とにおける唯一・真実の力である。なぜならばそれは久遠であり、至る処に常在するからである。外なるものは過ぎ逝くが、

 

 

愛は久遠に実在する、それは神の全存在であるからである。

 

 

5

愛について理論を立てるのは、愛の一側面にしかすぎない知的面を論(あげつら)うにすぎない。愛とは何かと理論を捏ねることは愛の力を失わせることである。

 

 

あなたたちは愛なる無限生命によって創造られた者なのである。愛をこのように理解し、把握して始めて愛はその真性を現わすのである。

 

 

6

地上における偉大なる魂たちは、処は異り行き方は違っても、すべてこの愛を現わしているのである。

 

 

7

種々様々な意見が外部から来るーーしかし自分自身以外から出てくる意見によっては真理を把握することはできないのである。

 

 

故に真理に関してはどのような結論をも下してはならない。

真理は測ることができないものであり、久遠なものだからである。

わたし自身は常に存在し、久遠なるわが神性をそのままに現わしている。

 

 

8

あなたたちはこのことを受け容れなければならない、しかし、それが何であるとか、何でないとか決め込んでしまってはならない。

 

 

9

銘記するがよい、この(神性という)強大なる力があなたたちの中で展開しようとして待機している。

 

 

あなたたちはその力が造り成した器であり、あなたたちの魂はその力が流れる器なのである。このことを自覚することが神人となる秘密である。

 

 

 

                                    心身の神癒 : 主、再び語り給う              

                                       M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳

 

 

 神は愛であり、愛は神である。 しかしそのことがなんであるかを知っている者はいない、 ただわれわれだけがそれが実在であることを知っている。・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「論う」(あげつらう)の意味は物事のよしあしについて論じ合うのこと。

 

 

 

 

 

参考

 

 

  

*************************************** 備考、

参考、  無窮は断定出来ない、断定したら、無窮ではなくなる。 断定はできな、文字にもできない、(不立文字)理性を超越している、ただ、 インスピレーションで感じることしかできない。 感官は邪魔な存在です。

 

教えの深さがうかがえる。

 

                                                                            蒼氓。

 

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動画21分

 

神がこの体験を私にくださったのは、この体験を 分かち合うことによって

 

知らない誰かを助けることができるからです。

                                         

                                                                                                 ハワード・ストーム。    

 

 

 

 

 参考動画。感動で・・・。

 

  人生で最高に素晴らしい瞬間だったのですから ↓14分40秒。

                                                                              ↑  13:30秒       ↑21分

 

↑ 18分45秒 すると彼らは「私たちは、今まであなたとずっと一緒にいたことを

示してきたのに、まだ分からないのですか?   ↓


 

 ↓愛に満ちています。まさしくこの、歌のとおりで素晴らしいです。感動。


 

 

 

 

 

 

 

                     ↑4分25秒

 あえて言うなら人生で体験した全ての愛を一瞬に凝縮しても、イエスの愛とは比べ物にならないということです。

                                                                   14分52秒   ↑

 「全ては愛なんだ」と伝えると・・・

 

想像もできないほどの海のような大きな愛のことで

その愛の中に入り愛の一部となる必要があるんだよと言うと・・・

 

 

 

         ↑1分15秒

 

 

参考


 

 

参考 追記

 

 参考追記。

 

 

 心身の神癒より。↓


 

 

 

 

 

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第14章 実在に目覚めたスピリットからの助言

 

・スピリットの語る「死後」の世界

死後順調に目覚めて向上し、人類の啓発の為に役立ちたいという願望のもとに、我々のサークル活動に協力しているスピリットが数多く出現して、生命の実相と死後の世界について語ってくれている。

 

かつては、メゾジスト派の牧師で、その後我々のサークルの一員として、娘さんと共に出席しておられたイェイツ氏が、死後僅か五日後に出現し、さらに数ヶ月後にもう一度出現して語ってくれた。以下は、その時の記録である。

 

 

1920年10月27日

スピリット=ウィリアム・イェイツ

 

 

「また参りました。もっとも、この場にはしばしば来ておいります。誰だお分かりでしょうか。ドクター・イェイツです。

今夜はこうして皆さんと対座してお話が出来ることを、大変嬉しく思います。それに何よりも、このサークルがずっと活動をずっと活動を続けておられることが有り難いです。招霊会が開かれる時は必ず来ております。今夜も、勉強の為に、大勢のスピリツトを連れて来ております。その賑やかな情況をお見せしたいくらいです。

 

地上の人間にとって、生命とは何かということは大変な問題です。そのことを勉強し物質に宿っての存在について学んでくださると有難いのですが・・・。肉体を離れたこちらへ来るスピリットの多くが、無知の暗黒の中へ入ってしまうのは残念なことです。信仰心しか持たないから、そういうことになるのです。神を賛美し、歌い、そして祈ることばかりしております。近づこうにも近づけません。

 

地球を取り巻くように存在する物的波動のエーテルの界層は、「自縛霊」と呼ばれるスピリットの住む暗黒の世界です。利己主義と無知が生み出す暗黒です。そこから脱け出すには霊的理解力(悟り)が芽生えて、霊的視力が使えるようにならなければならないのですが,その為にはまず、生命の実相について知り、自分の幸せだけを求める信仰を捨てなくてはなりません。

その種のスピリットは、地上時代に人の為に汗や涙を流すことがなかった者たちです。「人の為」ということがどうゆうことであるかを知らないまま、自分の為にだけ生きてきました。自分以外の人ことを考えるまで霊性が発達していないのです。

その暗黒界の様相は、実際に見て頂く他はありません。私は二人の親戚のものに案内してもらったのですが、自殺者ばかりが集まっている境涯狂信者が通う教会ばかりが立ち並ぶ境涯、スラム街、拝金主義者ばかりの街などなど、それはそれは凄絶なを極めております。しかし、その事実自体も問題ですが、もっと問題なのはそうした境涯のスピリットの出す波動が、地上の類似した人間の波動と合致して、生活を破綻に追いやっている現実です。

 

このように、地球のすぐ回りに無知の世界が存在し、死後そこで目を覚ます者が多いのです。どんなに善人であっても、どんなに真面目な人生を送っていても、ただこれだけでは十分ではありません。死後の世界についての知識がないと、目覚めたあとしばらくは暗闇の中にいます。その後、いつ霊的覚醒が訪れるかは、その人が地上で悟った(霊性)の程度(霊格)いかんによります。

 

不思議なのは、地上生活において他人の為に役立つことをしたその行為によって、死後に落ち着く家と環境が築かれているということです。当然、清らかな人生を送った人には清らかな環境が待ち受けておりますが、先ほど申したとおり、霊的摂理についての知識にか欠けていると、すぐにそこえ行き着くことが出来ずに、いわば、道に迷ってしまうことがあるのです。

面白いことに、自分のことしか考えない人生を送った人の霊界の家は、自分一人がやっと入れるような、小さな、ケチ臭い形をしております。連れ添う人も見当たらず、自分一人の侘しい環境の中に自分を見出すことになわけです。そうした侘しさに耐え切れなくなって、神に救いを求めるようになった時こそ、向上のチャンスの到来です。高級霊の手配によって、まず地上時代の利己的な生き方が生み出した結果を見せつけられ、良心の呵責を覚え始めます。自分が害を及ぼした相手がまだ地上にいる場合は、その人の背後霊の一人として、その償いが済むまで援助してやらねばなりません。既に他界している場合は、そのスピリットを探し求めて、何らかの形で償いをしなくてはなりません。そうした段階を経てようやく、もう一段上の階層へと向上していくことになります信仰というものは、何の役にも立ちません。大切なのは行為です。地上にいる間に霊的存在として為すべきことを実行し、そして神が創造なされたこの森羅万象の不思議さに目覚めなくてはいけません存在の全てが神なのです。あなた方人間も、神の創造物の一つであり、花もそうであり、動物もそうです。そうした神の顕現を嵩めずして何を嵩めるのでしょう。我々は、神という存在のまっただ中にいるのです。

 

宗教的ドグマと信仰を携えて霊界入りしたスピリットは,相も変わらず神を讃える歌を歌うばかりの生活に明け暮れており、「自分とは何なのか」「いずこより来ていずこに行くのか」「真実の生命は一体どこにあるのか」といった疑問を抱くことがありません。霊的に居眠りの状態にあるのです。その大半が未だ地上にいるつもりで、歌い、そして、祈るばかりです。かつての家族や友人が見当たらなくなったことになんの不審も抱きません。

そうしたことを、私はこちらへきて二、三ヶ月して知りました。私にも住居があります。親戚も友人もいますが、地上時代とまるで違います。私よりずっと早く他界したのに,未だに死んだことに気づかず、暗闇の中での生活している者が大勢いますそういう人をなんとか救ってあげないといけないのです。

 

今夜は、こうして皆さんと一緒に時を過ごすことが出来て、嬉しく思います。この仕事は,是非とも続けてください。皆さんの目には見えないかも知れませんが、毎回この部屋には、精神的に自由を奪われたスピリットや無知なスピリットが大勢連れてこられて勉強してます。

 

地上人類は、これから暫く困難な時代へに入るでしょうこれまでの罪悪と利己主義がその困難を生み出すのです。現代人はお金と我欲の為にのみ生きております。いつかはその生活概念を変えなければならなくなるでしょう。平和は、その後になります。今はまだ、お互いが闘争状態にあります。人間が最も控えねばならないのは、取り越し苦労です。不安を抱くと、オーラが不安の波動に包まれます。内部に神性が宿ることを自覚して、自信を持つことです。人格を備えた神ではなく大宇宙の根元である生命体としての神の力、創造力、愛の力が宿るということを自覚して、不安を追い払うのです

 例えば、スピリットに憑依されるのではないかと不安が生じた場合は、「自分は自分の身体の主なのだー他の何者にも入らせないぞ」と自分に言い聞かせて、それを何度も繰り返すのです。そのうち霊的な力が湧き出て、それが身を守るようになります。それと同時に、邪心や悪感情を心に宿さないようにすることも大切です。(ウィックランド博士に向かって先生、妻と相談の上、私の葬儀をパーティーにしてくださったことにお礼申し上げます。あれを葬儀だと思った人は、まずいないと思います。まさしくパーティーでした。。私はずっとあの場にいました。皆さんに黒い喪服でなく、明るい白の衣服を着てくるようにお願いしてくださったことにも感謝いたします。

これからの葬儀はすべて、あのようであってほしいと思います。喪の悲しみの念は、スピリットに余計な悲しみと苦しみと陰鬱さを呼び寄せます。その陰鬱さから、何年も抜け出せないでいるスピリットが大勢いるのです。 では、この辺りで失礼します」

 

             迷える霊との対話

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 参考、

  ウィックランド博士はシルバーバーチの交霊会にもたびたび招待されている。

 

                                  蒼氓。

 

 

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人生の出来事に及ぼす霊の影響

 

 

(525)

人生の出来事に霊は影響を及ぼしますか。

 

「左様、まちがいなく、霊は諸君等に助言を与えるものである」

 

-私共の心に影響を及ぼす以外にも、何か影響を与えるのでしょうかたとえば、何か事件に直接作用を及ぼすとか。

 

「それはある。しかし、自然の法を踏み出して、霊が作用するということはない」

 

(注解)

我々は霊の作用というと、とてつもない現象というふうに思いがちである。奇跡を起こして援助を与えるとか、魔法の杖を振るうとか、そう思いがちである。しかしそれは違う、霊の援助とは自然の法に従ってなされるのであって、それも我々が気付かぬようにかかわっている。たとえば、二人の人物がたまたま逢ったという具合に会わせたりする。つまり、霊がある者の心に、これこれの場所に行きたくなるようにささやくのである。霊は諸君等の注意を特定の場所に向けさせる。本人は自分では気付かずに、霊のささやきの通りに行動をとるなら、霊の思うつぼにはまったことになる。これならば本人の方は自分の気もちでそうしたのだと思い込んでおり、本人の自由意志は犯されていない。

 

        霊の書(上)12章 地上での霊の介入

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第二章 霊性の喪失はここから始まった

 

           人間が堕落したもう一つの要素

 

 

精神的、文化的な発達が堕落の促進要素になつたということを理解するためには、幼児の精神の発達と比較しながら考えてみるとわかりやすい。

当初はただ霊魂の衣服としての肉体を持っていて、地上での生のために肉体感覚を最小限に与えられていただけなのが人間であった。しかし、そのような肉体感覚を使うことで、

人間は理性や想像力などのより高級とされる精神や意識の作用を発達させていった。

 

そしてその能力もやや間違った方向に使った結果として、

 

堕落を促進する要素のひとつになったのだ。

 

この過程は、たとえば子供が熱く煮えたぎったやかんに手を触れたとしよう、彼は肉体感覚によって、熱いと感じて手引っ込める。こういうことを繰り返すうちに、彼は熱いものに触れれば熱い思いをするということを知る。

これは手を触れることと熱いやかんなどの関係を理解するこであり、つまりこれが

 

理性の発達である。

 

このように肉体感覚から次第に人間は理性といわれるものや、想像力その他の心の作用を発達させていった。

 

しかし、

 

単なる理性なるものは肉体感覚がもとになって発達したものゆえに、霊的な知覚とは無関係で、単に物質的なことを理解するのに役立つだけのものである。

 

だが、人間は地上的になるに伴って、

 

この理性を誇るようになり、それを堕落の促進要素にしてしまったのである。

 

理性が堕落の促進要素になったということについては

 

読者は本書の中でこれから随所で気づくはずだから、ここでは詳しくいわないでおく。しかしイブは蛇にそそのかされて知恵の樹を食べさせられたが、はじめは蛇のそそのかしに首をふってためらった。しかし、最後には樹の実を食べ、さらに同じ実をアダムにも食べさせるという過程の中にもすでにその一例があらわれているのだといってよい。

 

イブは霊的、天国的知覚ではなく理性に従ったために、そのように行動したので、ここに働いたのは理性であった。

 

蛇の話のついでにいうと、私はよくこの蛇の故郷は多分エジプトであったという話をする。

 

蛇ももともとはエホバによってつくられたものであり、別に悪ではなかった。ただ物質的なことに関する能力(いうなれば理性)を表していて、その意味で賢く、

 

単なる低い善であった。

 

それが悪役になったのは、

 

低い善ばかりはびこることになったためであった。

 

また子ども話でいうと、最初子どもは裸で生まれてくる。しかし、その後衣服を着せられたりして文化的恩恵を与えられる。

 

人間もこれと同じで、時代が進むにつれ、さまざまな文化を発展させた。これ自体別に悪ではない。

 

ただ低い善であるだけである。

 

しかし、

 

これはあくまで低い善で霊的、天国的なものに対していえば、地上的、外的なものである。だが、人間はこういうことに喜びを感じるようになり、次第に高い善から遠ざかるようになった。

 

かつてエジプトでは、カナンと同じように人間の黄金時代がきた。

しかしその後、外面的な文化をもっとも華やかに発展させたのはエジプトであった。

そしてそれ自体は悪いことではなくも、

 

やはり堕落の促進要素になってしまった

 

私が比喩的蛇の故郷はエジプトだというのはそういう意味であった。

 

 

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参考、 

 

聖書の解釈。スエーデンボルグ著。抜粋です。

 

すこし、難しいかも。?

高級な話ですが、理性について書かれています。 

①、②、は凄い話です。

 

 

 

 

 参考、

 

り‐せい【理性】の意味

 

1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。 .

 

2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。「理性を失ってつっ走る」 .

 

3 カント哲学で、広義には先天的能力一般。狭義には悟性・感性から区別され、悟性の概念作用を原理的に統一・制御・体系化する無制約の認識能力。理念の能力。

 

 4 ヘーゲル哲学で、悟性が抽象的思考の能力であるのに対して、弁証法的な具体的思考の能力。 .

 

5 宇宙・人生をつかさどる基本原理。

 

 

  霊的、天国的知覚。高い善。

 

肉体(感官)よりの理性はたんなる、低い善であったことが言われている。

 

 

 

より高度な真理へ。

 

   真理は我々の理性に反するものではなく、我々の理性を超え、我々の比較を超えて、未だ曽て探査されたことのない領城に及ぶのである。

 

ゆえに貴下の理性で貴下自身を制限してはならない。貴下自身の欠如した理解力で貴下自身を限定してはならぬ。・・・

 

 

私論、

     肉体的理性は霊的真理が凌駕している。

 

      常識的、理性は普及など、など、

 

高度な霊的真理は理性を凌駕(超越している)している。

 

                                                                             真理探究者。              蒼氓。

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「私は前に天国は一言でいえばつぎのような世界だといったことがある」

 

 

すなはち、「ひとりの霊の幸福は万人の霊の幸福,万人の霊の幸福はひとりの霊の幸福

そんな世界が天国である」

 

「ひとりの幸福は万人の幸福、万人の幸福はひとりの幸福」

という言葉はわれわれ人間もつかっている言葉だが、これが調和の美しさや幸福を表す言葉であるのはいうまでもない。

 

天国はこの言葉がそのまま通用する世界なのだ。それは調和や生命の原理である

「天の理」が形に具現された世界だからだ。

 

ところで『聖書」には幸福な婚礼の衣服をつけずに現れた者が入場を断られて閉め出されたという有名な話が書かれている。

 

私は天国の美しさと天国に入るべき霊の資格を考えてみるときには、いつもこの話を思い出さざるえを得ない。「聖書」には霊界の霊からの言葉が多く盛り込まれていると解釈する私の立場からすればこの話は多分、天国とそこに入るべき霊についていった含蓄のあるたとえ話なのだと思われる。

 

天国はいまいったように生命、悟り、調和の世界である。そして、それだけに天国の霊は自分自身もそれに相応した性質の持ち主になっている。そういう者でなければ天国には入れない。”婚礼の衣服”を心にまとった者でなければ入れないというわけだ。

 

天国の霊たちはレベルが高い天国の霊になるほど生命にも満ち理性にも悟りにもよりすぐれた者になっている。

 

さて、それはともかく天国は美しい国なので地獄の霊になるような例外的な霊は別として多くの霊は天国に行きたがる。

 

このことは私が長い間にわたって接触してきたおおくの霊に照らしてあまりにも明白である。 だが、ここで私は面白い実例をいくつか示して読者の参考に供しよう。

 

私は死んでまだ間もない霊たちの訪問を受けることも多い。そして彼等はそんなときにこんなことをいうことが多い。

 

「天国に行きたいと自分は本当に心から願っている。だが、天国の団体が自分を受け入れはくれないのだ」

 

彼らはこういって嘆くだけでなく、中には「どうすれば入れるのか、入るためのいい方法を知っているなら教えてくれ」

 

と私に懇願する霊も少なくはない。

 

こういう霊の多くは、まだまるで霊界のことを知らないのである。自分が死んだことさえ自覚していない者もあるくらいであった。

 

私はほとんどの場合つぎのように答えた。

 

             次回に続く。

 

 

備考、世界全体が全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。

 

 

我らに要るものは、銀河を包む透明な意志、巨きな力と、熱である。    

         (銀河を包む透明な意志とは摂理法則のことでは。)  管理人。

 

農民芸術概論網要      宮沢賢治

 

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全能なる神のみがおわします、それが全てである。存在するものにして神によざるものなく、又、その子、神我を経ざるものはない。これこそが大いなる真理である。

 

 

         第三話

       キリストは汝の裡なる生命なり

 

1

 神我の及ぶ処、それは広大である。それは遠く又近くに及ぶ。偏在するからであるいずちにある、父なる神のいます処わたしも又そこにいる。いずこにあるわたしのいる処、父なる神常にわたしとともにおわします。

 

2

全能なる神のみがおわします、それが全てである。存在するものにして神によざるものなく、又、その子、神我を経ざるものはない。これこそが大いなる真理である。

 

3

 世界の平和は神我の中に宿っており、すべての人々の魂が神我なる生命に気づき、父なる神の愛と美と力と智と強さとを顕現することを待っている。

 

4

 父なる神のみが生き給い、しかも神は愛であり、智であり、平和であり、唯一無二の実在であるというこの真理を認識し、把握することによって、それが自然と発露してそれ自身を顕現していくようにしさえするならば、あなたたち全員の裡には常に平安と霊とが変わることなく存在しつづけるであろう。

 

 5

神我の力は、先ずそれに気づき、次にそのことを完全に把握し、静寂の時間を割いてその間に主たる汝の神の臨在を一層自覚するようになることによって、涵養される。

 

 

 

 

6 

真理の把握とは、久遠の神が今、此処に実存し給うことを知ることである。

『父なる神とわたしとは一つである』。

父なる神はわたしより偉(すぐ)れて大きい、しかしわれわれは共に一体として働くのである。

父なる神なくしてのわたしは何事をも為しえないが、父なる神と偕であれば、神の為し給うみ業はすべてわたしもそれを為すことができる。

われわれは一体であるからである。

 

 

7 

認識が先ず第一である。次に十分に把握をし、静寂の時間(複数)を置くようにすれば、わたしの力〔普遍なる神我の力〕があなたたち自身の意識の中で発達して行く。

 

しかし意識は実は只ひとつあるのみであって、それが全宇宙にわたって具象化しつつあるのである。

 

それが大生命自身の裡なる意識である。大生命がすべての形体(かたち)あるものを創造(つく)り給い、その形体の中に大生命がその栄光を意識的に顕現しうるようにし給うたのである。

 

 

8 

大生命が大生命自身の意識の中に自己顕現することができるように人間の魂と体とを創造(つく)り給うたのである。

このことを真に了得した時、あなたたちは神我(キリスト)の力を自分自身の生活の中に発動するようになる。

 

 

9 

あなたたちは物質生活、商取引の生活から抜け出て、暫しのあいだ神の国に休らわねばならぬ。そして、常にあなたたちの生活の中に顕現しようとして待機している真の大生命と神我(キリスト)の力とを自分が着実に成長させかつ展開させつつあることを知るがよい。

 

 

10 

神我(キリスト)がその儘顕現(ままあらわ)れ出ているという態度を持ち続け、その事が自分にとって意味するところのものをよく考え、ジッと沈黙したままで待つがよい。こういう生き方によって着実な成長が得られるのである。

 

 

 

                                           心身の神癒

                                                   第三話1~10

 

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備考、

 

        奇跡の御言葉。

 

                                                                             蒼氓。

 

 ****************************************************************************************************参考、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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情けは人の為ならず

 

 

 

 

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もしあなたがこの動画を電車の中など人前で見るならば、人に涙を見せることになるかもしれませんので、ご注意ください。 これは、私の国タイの携帯電話会社TrueMoveが制作したCMです。これを見て、世界中の人々が泣きました。 日本人の私の夫が字幕を日本語に翻訳して投稿しましたが、初めてこの動画を見た時も、ビデオ編集の時にも、ずっと泣いていたそうです。

この話は完全なフィクションではなく、ある実話が元になっています。

それは、米国のある人物にかかわるものです。

昔、ある貧しい少年が、家々を周って物を売りながら、学校の費用を自分で支払っていました。 彼はある時、お金がなく、空腹で苦しんでいました。 そして少年は1軒の家を訪れ、食べ物を恵んでもらえるように頼もうとしました。そこへ出てきたのが若い女性だったので恥ずかしくなり、食事のかわりにコップ1杯の水を頼みました。

彼女は、少年がとてもお腹をすかしていることを察して、大きなコップ一杯の牛乳を持ってきました。 少年はそれを飲み終え、

いくらあげれば良いかと聞くと、

私は母から、親切な行いに対して、お金を受け取ってはいけないと教えられたの

と答えました。

それから数十年がたちました。少年にミルクをあげた女性は、重病を患っていました。 地元の医師では手が負えず、都会の大きな大学病院に送られた彼女の病気は非常に珍しいもので、治療のために全米から専門の医師たちが呼ばれました。

ハワード・ケリー医師は、一人でした。 ケリー医師は、新参の患者がどこの町から来たかを知ると、彼女の部屋を訪れ、彼女を診断しました。

ケリー医師が全力で治療に当たったお陰で、無事に難病を克服し、彼女は元気を取り戻しました。

彼女が退院した数日後、請求書が自宅に届きました。支払いが一生かかるような高額であることがわかっていたため、恐る恐る封を開けました。

 

すると、そこには、「コップ1杯の牛乳によって支払い済み。Dr. Howard Kelly」と書かれていたのです。

 

ハワード・ケリー医師は、あの時にお腹を空かせた少年だったのです。

 

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   情けは人の為ならず

 

人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ。

 

誤って、親切にするのはその人のためにならないの意に用いることがある。 [補説]文化庁が発表した「国語に関する世論調査」で、「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」と、

「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」の、どちらの意味だと思うかを尋ねたところ、次のような結果が出た。  

 

      平成12年度調査       平成22年度調査

 

人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる (本来の意味とされる)    47.2パーセント   45.8パーセント

 

人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない (本来の意味ではない) 48.7パーセント   45.7パーセント .

 

大辞林 第三版の解説 なさけはひとのためならず【情けは人の為ならず】 情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。 

〔近年、誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある〕

 

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参考、

          因果応報。

 

 

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