真理との邂逅 高級霊のメッセージ

親愛なる友よ、霊的真理を土台に…一日の終わりに、リフレクションしょう。                                                                                                  歩み入る者に、霊的真理を、去り行く人に幸せを、住まう者に霊性の進化を。   蒼氓。

我見我欲をなくす。自我をなくす努力。

 

宗忠によれば、われわれは通常の我見我欲があるがために、唯一の「活きもの」である心が晦(くら)まされていることになる。

そこで彼は、そうした有るもの(分別)を払い去って一物も残らぬほどにする

「常払(じょうばら)い」を間断無く努めることによって、無に到ることが出来る、とした。

無に到ってもなお止めなければ、有り難く嬉しく面白いことの、何に譬えようもないほどの妙味がある。これが天心に到るということである。天心は天地の心、天地の活きもの、即ち天照太神一体である。

彼によれば、われわれは皆もともと無い所から出て来た身であり、心の根本である無を常々養うことこそ、天照太神の御霊(みたま)を養うことである

彼は「活きものは無の中に有る」とも言っているが、日頃彼がどのような心境でこの無を実現していたかに就いては、次の言葉がある。

 

今世界中で、私ほど無念無欲の場で勤めている者はあるまいと思う。

私が今ここでこうしている時、胸中をさっぱり払い去って一念も無く、すべて体中なんにも無い

心はまるで天にお返し申している故、活きものはまるで天地に満ち満ちて有る。が、有り難いことには、またスゥーとここに戻って来るのである。」

 

黒住宗忠がいかに無の境地を体得してそれを養ったかに関しては、彼自身の言葉に即して述べてきたことで、おおよそ窺うことが出来るであろう。

 

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こんなに素晴らしい書物は滅多にない。是非購入することをお勧めしたい。

本書は浄土宗の僧侶の書いた法然の教えに関する書物ではあるが、本山博やヨガナンダと通ずるような内容だった。

神(阿弥陀仏)への熱烈な敬愛の念を常時保持して、神への融合を図ることを提案している。『』を阿弥陀仏へ投げ入れることを念仏の本質とする。

投げ入れるためには阿弥陀仏への異常なほどの愛が必要であり、その愛の強さゆえ自我への愛が滅却されるという仕組みだ。

ひたすら念仏を実行し、神への愛が強められて、霊的に少しでも阿弥陀如来と一致してくると、霊的な視野が開け、阿弥陀仏がおられる霊界のことが少しずつ見えるようになってくるという。

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黒住宗忠という神道の神人は、らい病(ハンセン氏病)患者に「有り難い」を1日百回言うよう指示しましたが治らず、1日千回でも治らず、1日1万回唱えさせたところ、7日で完全治癒の奇跡が起こりました。

 

ところで、私の「中臣の祓」または「大祓詞」、6月ですでに35回を超えていました。1日百回というのもやりたいのですが、それには6時間はかかり、なかなかできません。 先に述べました、江戸末期の、神人と讃えられた偉大な神道家、黒住宗忠は、天照大神と一体となる体験(天命直授)を得た後の修行時に、1ヶ月1万回以上、日によっては千回以上、大祓詞を唱えたといいます。

 

これは、普通の者には想像もできないことです。白川流の「中臣の祓」または「大祓詞」を1回唱えるのに30分はかかりますので、連続で千回なら最低500時間必要です。不眠不休で約21日間かかります。その間、トイレ・食事・洗面の時間は入れてありません。

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参考、

 

 自我我欲をなくす。自我をなくす努力。

 

    肉体的自我の滅却、(霊主肉従)霊的自我見えてくる。  

  

   天照太神=霊太陽か。

 

    

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質疑応答

質疑応答

その集会に出席される時は地理的な意味で地球を「離れる」のでしょうか、それともバイブレーションを別の次元に変えるのでしょうか。

 

私が地球圏を去る時は引力との関係が無くなり、地球圏のバイブレーションとも縁が無くなります。

こうして話をしている時の私はダブルを使っているのですが、地球を離れる時はそれを脱いで霊体を使用します。

その霊体は、こうして語っている間は、言うなればダブルを隠れ蓑(みの)として奥にしまい込んであります。 脱ぎ捨てたダブルは(次に使用するまで)組織が分解しないように私の意識の一部を残して(活性を保たせて)おきますが、本来の私の自我は内奥へ内奥へと次元を高めて、霊的意識を取り戻して行きます。

そのためには時間が要ります。

地球のバイブレーションから脱するのに時間を掛ければ掛けるほど、戻って行く界層での私の自我意識の次元が高くなるのです。

しかし、いくら頑張ってみても、最初にこの仕事をうけたまわって地球圏ヘ下降してくる以前の意識レベルまで到達したことは、それまで一度もありません。

何年も掛かったものを二、三日で取り戻せるはずはありません。

 

 

本来の意識レベルを意図的に下げるというのは大変な犠牲を強いられることでしょう?

 

おっしゃる通りです。

 

それは、しかし、物質界で頑張っているあなた方のために喜んで支払っている代償です。

 ―犠牲の中でも最大といって良いほどのものであるに相違ありません。

確かにそうですが、真理に飢えている人がこれほど多いのですから、私は喜んで持てるものを分け与える覚悟です。

想像してみていただけますか。さきに私は地上世界を「お粗末な模作ていど」と申し上げましたが、私の本来の住処である光輝に溢れた世界、絵画も建造物も詩歌も音楽も完全の域に達し、自然界の美しさも可能な限りの調和の域に達し、しかも交わる人々は趣味も性分も相通じる人ばかりという世界から、暗くて陰鬱なこの地上界へと降りてくるのです。

そのために私が犠牲にするものがいかほどのものか、およそお分かりいただけるでしょう。

こんなことを私は自惚れて言っているのではありません。

僅かな人々でもよい、安らぎと慰めと希望を与えてあげることが出来れば、私は喜んで持てるものをお分けする気持でおります。

 

                                         シルバーバーチは語る 21章

 

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なぜ神に祈るのか

 

十一章 なぜ神に祈るのか  

 

あなたはなぜ神に祈るのですかと問われてシルバーバーチは〝祈り〟の本来のあり方について次のように述べた。  

 

「それは、私に可能なかぎり最高の神の概念に波長を合わせたいという願いの表れなのです。  

私は祈りとは魂の1憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。

ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。

われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。

要望は口に出される前にすでに知れているのです。  

なのになぜ祈るのか。

それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。

その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。

僅かな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることが出来、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。  

利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーのムダ使いをしているに過ぎません。

それらには何の効力もないからです。何の結果も生み出しません。

が、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましと決意を授かり、祈りが本来の効用を発揮したことになります。

 

 

               シルバーバーチ 7巻 

 

 

1憧憬=しょうけい=あこがれる=強く心を引かれる。

 

 

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【この世を旅するものであれ。この世の者となるなかれと】言う訓えが説かれました。

その昔、

“この世を旅する者であれ。この世の者となるなかれ”と言う訓えが説かれました。

が、死後の生命への信仰心に欠ける地上の人間には、それを実践する勇気がありません。

金持ちを羨(うらや)ましがり、金持ちの生活には悩みがないかのように考えます。

金持ちには金持ちとしての悩みがあることを知らないからです。

神の摂理は財産の多い少ないでごまかされるものではありません。

 人間が地上にあるのは、人格を形成するためです。ふりかかる問題をどう処理していくかが、その人の性格を決定づけます。

しかし、いかなる問題も地上的なものであり、物的なものです。一方、あなたという存在は大霊の一部であり、神性を宿しているわけですから、あなたにとって克服できないほど大きな問題は絶対に生じません。

心の平和は一つしかありません。

大霊と一体となった者にのみ訪れる平和、大霊の御心と一つになり、その大いなる意志と一つになった人に訪れる平和、魂も精神も心も大霊と一体となった者にのみ訪れる平和です。そうなった時の安らぎこそ、真の平和といえます。

宇宙の摂理と調和するからです。

それ以外には平和はありません。

私にできることは摂理をお教えするだけです。

その昔、神の御国は自分の心の中にあると説いた人がいました。

外にあるのではないのです。有為転変(ういてんぺん)の物質の世界に神の国があるはずがありません。

魂の中に存在するのです。

宇宙の摂理は精細をきわめ、しかも完ぺきですから、一切のごまかしが利きません。悪の報いを免れることは絶対にできませんし、善が報われずに終わることも絶対にありません。

ただ、

永遠の摂理を物質という束の間の存在の目で判断してはいけません。

より大きなものを見ずに小さいものを判断してはいけません。

地上での束の間のよろこびを、永遠の霊的なよろこびと混同してはなりません。

地上のよろこびは安ピカであり、気まぐれです。あなた方は地上の感覚で物事を考え、わたしたちは霊の目で見ます。

『摂理を曲げてまで、人間のよろこびそうなことを説くことは、私にはできません』

 

                                            霊的新時代の到来

     2章 捲いた種が実りをもたらすのです

 

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日々の内省

日々の内省は毎晩、眠りにつく前の、潜在意識に入りやすいタイミングで行ないます。

ベッドに座ってもいいし、眠ってしまわなければ、横になっても構いません。

完全にリラックスして、 4:4のパターンド・ブリージングを始めましょう。

まず、朝起きた時から順を追って、今日一日にあったことをすべて思い出します。

一つひとつの出会い、出来事をもう一度見つめ直してください。

この時、自分自身や誰かを責めることなく、客観的な第三者の目で見つめることが大切です

慈悲と寛大な心をもって、自分自身に次のように質問しましょう

 

•思ったり感じたりすべきでなかったことで、思ったり感じたりしてしまったことは何か?

•思ったり感じたりすべきだったことで、思ったり感じたりしなかったことは何か? •言うべきでなかったことで、言ってしまったことは何か?

•言うべきだったことで、言わなかったことは何か?

•すべきではなかったことで、してしまったことは何か?

•すべきだったことで、しなかったことは何か?

 

 内省の目的は、自分自身や他の人々を責めることではなく、ましてや賞賛することでもありません。ただ、公平な目で、自らの思考や行動を観察することにあります

その上で、気づいた点から自らの言動を改めるように努力しましょう。  

こうして内省を続けていくと、だんだんと自分自身を観察することに熟達していきます

そして、やがて道徳面においても、霊的、神秘的な人生の側面においても、成長を加速していることに気づくはずです。

 

ナチュラルスピリット社版、ダスカロス著「エソテリック・プラクティス」より)

 

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①パターンドブリージングのやり方

 

まず、からだを完全にリラックスさせ すべての活動から、精神と肉体を解放させます。

呼吸は規則正しく、穏やかに。

心臓の鼓動に合わせて、3つ数えながら 鼻から息を吸い込みます。 最初の一つで下腹に息をいれます。 二つでお腹の中央部分に、 3つで胸いっぱい吸い込みます。

続けて3つ数えながら、口から息を吐き出します。

最初は下腹から、次にお腹の中央から 最後に胸という順番で吐き出してゆきます。

3つ吸って、3つ吐く。 この3;3呼吸法ができるまで、毎日数分練習します。

次に4;4カウント、その次は6;6カウント また7;7カウントなど試してゆきます。 (5;5カウントは、精神的にマイナスの影響を与えるので 避けます) ここで大事なのは、自分の考えたこと、感じたこと、言ったこと 感じなかったこと、言わなかったことなど について、ああ自分はだめだ、とか、恥ずかしいとか考えず、 ただ客観的に見ていくという行為。 つい、なんであんなことを言ってしまったのかしら~ なんで、あんな感情が湧いてきたのかしら

 けして自分を責めることなく、冷静に見ていくこと。 エゴがあったら、それを認識する 気づくことが手放すことにつながります

 

内省することは、特に霊的な成長を目指している方には とても大切なことだと感じます

ダスカロス曰く 「マスターと呼ばれる人ですら 自らのエゴイズムに対して、常に休むことなく 監視を続けています」

この「エソテリック プラクティス」の序文の中にも

どんなに霊的に成長しようと、 人間には最後まで欲望、慢心といったエゴイズムの 誘惑がつきまといます。

知識や能力を持つほどに、自他の影響力が高まるために 間違って悪用した場合のダメージや負債はいっそう大きくなってしまうのです と書かれてありました。 内省は人生を通じて続けていくべきものなのでしょうね しっかり自分の内を見つめて 手放すべきものは、その都度、手放していきたいと思います。

 

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 参考、

   瞑想はいろいろあります。参考までに!

 内省、反省は、成長には欠かせないとおもいます!

  

                               

                                  蒼氓。

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多くの信者が集まり宗教組織がつくられるようになると、人間の持つ煩悩が当初の純粋さを失わせていくことになります。

 

地上の組織は規模が大きくなると、役割分担に基ずく組織活動が避けられなくなります。それにともない必然的に組織内に上下関係が生じることになります。また組織を維持し布教を推し進めるために多額の資金が必要となり、資金調達がメンバー(信者)にとっての重要な仕事の一つとなるのです。

 

やがていつの間にか自分達の宗教組織を大きくすることが、そのまま地上人類を幸せにする道であると説かれるようになり、メンバーは教団の拡大が"神の意志”であるかのごとく思いこむようになっていきます。そして神の意志/人類救済大義のもとで、教団拡大のために時間とエネルギーの大半を費やすことになります。自分達は特別な役目を担っているとの優越心・特別意識が、信者の活動を支えるのです。こうしたことが、いずれの宗教教団において見られます。

 

しかし地上の宗教につきものの組織拡大の活動は、その宗教の霊的生命を徐々に奪い去っていくことになります。資金調達や布教のための活動、結局は組織自体を衰退に追い込んでいくことになるのです。地上の組織は規模が大きくなればなるほど必ず形骸化し、霊的生命を失い、単なる拘束のための手段に成り下がってしまいます。そして、この世の一般的な組織と同じような権力・金が物を言う世界がつくられることになります。これが大半の宗教がたどってきた共通のパターンです。こうした世俗的な流れに飲み込まれることなく霊的生命を保ち、純粋な信仰を全うしてきた宗教団体は、ほとんどないといっても過言ではありません。純粋な内面的信仰を求めている人々は、そうした宗教組織の中では存在することができなくなっていきます。組織の拡大のために実績をあげることが"信仰の証”として重要視されるようなところでは、霊的成長は片隅においやられていまうからです。「自分の魂を向上させたい!」と切望する人々は、いずれその宗教に魅力を失い、自分の居場所がないといった状況に置かれるようになります。

 

          

       霊的生命を奪い去る地上の宗教組織

 

       スピリチュアリズム普及会   抜粋

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過酷な体験の目的は、慈悲の心を芽生えさせることです。

慈悲の心なしに人を救う仕事は出来ない

 

 人のために生涯を捧げる使命を持つ人は、過酷な試練を体験しなければなりません。 これ以上は耐え切れないと思う、ギリギリの淵まで、追いつめられ試されなければなりません。

地上の誰からも、救いの手は差しのべてもらえないと思える、深さまで落ちてみなければなりません。

そこに至って初めて魂が目を覚まし、霊界から届けられる、豊かさと力と導きと叡智と愛を受け入れる用意が整うのです。

過酷な体験の目的は、慈悲の心を芽生えさせることです。

なぜなら、霊能力者も治療家も慈悲の心なしに、本当の意味で人を救う仕事は出来ないからです。

それしか方法はありません。

太陽がさんさんと輝き、何不自由ない生活の中で、果たして魂の開発が望めるでしょうか。

試練を経ずに、魂の崇高性が発揮できるでしょうか。

何一つ学ぶことのない人生を送って、一体どういう精神的発達が望めるでしょうか。

そのうちあなたも地上人生を振り返って、

” 厄介な問題こそ有難かったのだ。あの苦労があったからこそ、人生の目的を悟り、魂の開発の道が見出せたのだ” と思う日が来るでしょう。

人生の出来事の一つ一つに償いがあり、差し引きがきちんと行われるようになっています。

神が間違うことはありません。

過去を振り返ってみれば、霊的な道を歩む他の全ての人と同じく、あなたの人生も霊に導かれていることが分かります。

 

 

             シルバーバーチ霊訓(11)

 

 

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