真理との邂逅 高級霊のメッセージ    無限なる愛と無限なる叡智をあなたへ

光輝く愛の奇跡の言葉をあなたへ。親愛なる友よ、静穏の中、心奥の心の声で【霊読】御読みください。 もはや遥かなる神なるものを説く者達に聴くことをやめよ、吾が裡なるみ霊に耳を傾けよ、そこにこそ真理は宿る。 第九話 43 無智なる者は生命なきものを崇拝め、賢明なる者は神の中に生きる。 第十一話 28              世は父の御手の下にあるのに、世は父のことを殆ど知らない。 第十二話 43

第七話 46~50

46

このようにしてあなたたちは神性を現すのである。あなたたちが何処へ行こうと、何を云おうと、何を為ようと、あなたたちは意識もせずに神性を顕すすこととなり、従って他の人々はあなたたちの言葉や行いによって益を受けることになる。

 

47

この光りは隠しおおせるものではない、なぜならば、神の愛と英知とがあらゆる挙措動作、口より出るあらゆる言葉に出てくるからである。こうしてあなたたちは天啓を受けた魂となる。

 

 48

聖書の言葉の本当の価値は、(聖書を読むことによって)あなたたちの心が開かれ、神のもろもろの賜物がよく解るようになることにある。これらの賜物はあなたたちの神性展開に応じて下賜される。

 

49

『信ずる』という言葉は聖書で誤って解釈されてきている。『信ずる』という言葉は深く知るという意味なのであって理解(understanding)はこの深く知ることである。理解が深くなるにつれてて、自分を通して働き給う父なる神を益々意識するようになる。(故に)父が下し給うた賜物を自然に展開していくがよい。この賜物が、あなたたちによって認識されるのを今待っているのである。天啓(インスピレーション)があなたたちの聖なる賜物の展開を可能にする。

 

50

これまでの聖書の天啓(インスピレーション)を受けた文章があらゆる書物の上位に置かれ、幾百万人もの人々が真理の言葉によって天啓を受け高められてきた。

 

 

 

 

                     心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                    M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                      霞ケ関書房, 1972

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょそどうさ【挙措動作】 . 立ち居振る舞いのこと。 注記「挙」は、上にあげること。「措」は、下におくこと。「挙措」は、身のこなし・立ち居振る舞いのこと。出典の「挙措動作きょそどうさ、物ものは其その儀ぎに遵したがう。故ゆえに形かたち仁義じんぎ法則ほうそくを為なす」による

 

 

 

 

 

本の整理をしていたら、ずいぶん昔の本が出てきて、マーカーペンで書かれていた箇所を記す事にした。

四月十九日~二十日

 

本当に変な眠りだった。夢ばかり見ていて夢の後で私は震えた。だがそれがまったく思い出せない。夢は見るそばからどんどん記憶から消えて行ってしまった。

両手をしっかり組み合わせた。起きてそうしているとそれはまるで手と手、指と指がぴったり押しつけられ合っているみたいだった。主が神の加護によって私の祈りを聞き届けてくれるという意味だったろう。次に幻像の中にカール王が初めての戦いで敗れる様子が浮かび出て来た。その幻像は眠っているものでも醒めているものでもトランス状態でもない状態の中で起きたのだった。そしてつぎには王はサクソン人との二回目の戦いで勝利をおさめた。これは神の恵みによって私が闘いを克服したことを示し、キリストの血の功徳が私を助けてくれたこと、私の研究目的が達せられるだろうということを意味していた。私は内なる神をすっかり眼ざめさせた(注=この意味はよく理解できない)神は感謝と賞讃に価する。

 

我は我ものならず

我は確と信ずるなり

汝、神よ、汝は我を汝が所有物となし

我が命ある限り我を汝が所有物となし

汝はかくして我を支え、我を強めるなり

 

 

この日は私はひどく強い「試み」に惑わされた。だからイエス・キリストのことを考えてもそこには神を恐れぬ考えがすぐに湧いてくるのであり、どうやっても自分にはそれを抑える力はないのだ。私は自分を打った。だが、この日ほど生き生きとした勇気が感じられた日はなかつたのも本当だった他の日のように落胆しているとか、心が臆して傷つけられた気になっているとかいったことは全くなかった。「試み」は今までで一番強かった。しかし、神が私に強い信仰や信念を与えてくれていて、キリストの加護と盟約も与えてくれた。だから私はそこで信仰の働きに気付かされた。

この勇気を持って私は悪魔と相対し、彼に腹を立てていた。彼とは私は信仰という名の武器で闘った。このことから正しい信仰の効果なるものがよくわかる。それは理屈やあれこれという議論抜きにわかるのだ。

だが、これも神の恵みによってだけそうされるのだった。もし、こんなことが前に起きていたら、私は恥じいったり当感したりしたことだろう。だが、私は自分自身が主の手の下から、逃げ出そうとしたことで彼の気持を害したのではないかと心配だ。そのことには私は心からへり下って許しを乞うだけだ。全身が血に染まったカール十二世が出て来たのは多分そのことを表わしていたに違いない。

 

 

                                                                         

                                                                                        夢日記」68p

 

 

 

 確=たしかなようす、しっかり、はきり。

 

 

 

 

                              巨大霊能者の秘密

                    =スウェデンボルグの夢日記=

                                                今村光一訳・解説

 

 

ところで本書の原本夢日記は巨大な天才であり、かつ霊界探究者としての彼を知るためのもっとも貴重な文献と評価されている。『夢日記』は彼の死後九十年も経った一八五九年に発見されスウェーデン国立図書館の所蔵となった。しかしもともと公表するために書かれたものではない。あくまでも彼の私的なメモだった。そしてそれだけに『夢日記』の中には、天才、霊界探究者、超能力者としての彼の心の秘密があます所なく語られている。

 『夢日記』は彼が五十四歳当時の千七百四十四年約一年間の日記でこの時期を境にして彼は全く違う人間〝変身"する。それまでの科学者、哲学者、そして政治や技術といった学問の実務の世界の人から超能力者、霊界探求者に"変身"したのであった。だから『夢日記』のなかには生涯を大転換させた彼の心の中の事情が随所に書き残されている。そしてそれが我々の興味をひきつけて離さない。又『夢日記』では我々にとってもっともわかりにくい霊との交流の様子や超能力の秘密も語られている。こんな文献は確かに他に例がない。だから『夢日記』は彼を知るためばかりでなく人間の心の秘密を探る文献としても貴重でかつ興味深いものになっている。

                               

                                                                                                          はしがき抜粋

 

 

 

 備考、

 

この本を読んでいたころは、意味が解からなかったが、今になって・・・

この、文章は、私にとって、非常に意味のある文章になっている。

やはり、奇跡としかいいようがない。

赤裸々に自分の心の中を書いている私的メモ。

時空が共鳴したようだ。

 

感動以外に言葉がない。

 

あなた様の探求の参考になれば、これ以上の幸せはありません。

 

謙譲へりくだって、父に(神)に感謝します。

                                                                                                      蒼氓。

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第七話 41~45   この内奥の平安は大いなる謙譲(へりくだり)の極みが「われ自らは何事をも為す能わず、常にわが裡に留まり給うは父、その父こそみ業を為すなり」である。

 

41

神の子には天上天下における一切の力があることを証明したではないか。わたしを死者より挙げたこの同じみ霊があなたたちの中にも宿ってい給い、わたしと同様にあなたたちをも挙げて下さるのである。

 

 

42

わたしと同じようにそれをあなたたちは体験するであろう。そのためにわたしはきたのである。

 

 

43

父はわたしの語る言葉とわたしの胸の想いに歓び給う。それというのも

 

 

 

44

あなたたちがあらゆる生命を通して作動し給うわたしの父の最高の表現体となり、光りを放ち、内奥の深い平安を現わし、かくして無意識のうちに神性を顕現するようにならんがためである。

 

 

 

45

この内奥の平安は大いなる謙譲(へりくだり)の極みが「われ自らは何事をも為す能わず、常にわが裡に留まり給うは父、その父こそみ業を為すなり」である。

 

 

 

 

                       心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                     M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                         霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 

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「どうしたら神になれるでしょうか?」

 

 もちろんそんな途方もないことを聞いても、誰も答えてくれるはずがなかった。そんな折、一冊の本が目にとまった。吉田兼倶が書いた神道大意」である。兼倶は室町時代に、吉田神道を体系化した天才的な神道家である。その中に「心とは神なり」という一節があった。彼はこの短い言葉からインスピレーションを得た。

 

「そうか、今まで神というものは、何か自分外にいるように考えてきたが、そうではなかったのか。

神さまは自分の心の中におられるのだ。いや、人間の心そのものがすでに神なのだ。

 

神になろうと思うなら、心に悪いと知ればそれを行わず、良いと思うことばかりを行っていくことだ。そうしていけば、きっと神になれる」

この着眼点はユニークである。

さすがといわざるを得ない。しかし言うはやすしだが、実際に実行するのはたいへんむずかしい。ほかのどんな厳しい修行よりも困難だといっても過言ではない。

人間といものは、酒の飲み過ぎは体に良くないと思っても、つい飲みすぎてしまう。タバコやギャンブルもしかりである。また、ウソや他人の悪口は良くないとわかっていながら、つ言ってしまうものだ。

自分の利益になることだったら、少しくらい悪いと思っても、「まあ、誰でもやっていることだから、これくらいはいいだろう」

と考えて、陰でこっそり悪いことをする。

良いとわかっていてもなかなか実行できないで、悪いと知りながらそれをやめられないのが人間なのである。

悲しいかな、これが浮世に生きる人間の性である。

人里はなれた山奥で誰とも接することがない生活を送っていれば、心を平安に保つことはある程度できるかもしれない。しかし、ふつうの日常生活の中でこれを実行するのは至難のワザである。それを青年・宗忠とことん頑張った。

しかし、実際にはそれがまだまだ表面意識上の、自力による修行の世界であり、そこには大きな壁があった。つまり、自分が設定した善悪にだんだん縛られていき、自分で自分の壁を作っていったのである。そして、そのおおきな壁を越えられないままに、彼は死の宣告を受けたのであった。

 

 

            太陽の神人

        黒住宗忠 山田雅晴

 

             第一章 大悟の道は身近にあったより。

 

 

 

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第七話 36~40  外なる意識が父を自覚するようになれば、外なるものの中に父の世界が顕現れる。わたしが言葉を語った時わたし自身の意識を満たしたのはそのことであった。そしてこの言葉が実現したのである。

36

かくしてあなたたちは父のみ霊によって(いろいろな物事を)外部に造り出すのである。それ以外に力の根源はなく、宇宙にはそれ以外の力はないのである。

 

37

前にも話した通り、(神と人、人と人、万有間には)何処にも区切りはない。神は区切られるものではない。又、神が御自身を区切られたこともない。しかし造られたものはすべて神の中において、神によって、神と共に造られているのである。

 

38

言葉は意思疎通(コミニュケーション)の象微にすぎない。しかし一旦父のみ霊が外なるものに入ってくれば、言語を絶する大いなる開迷啓蒙(イリウミネイション)が起る。

 

39

外なる意識が父を自覚するようになれば、外なるものの中に父の世界が顕現れる。わたしが言葉を語った時わたし自身の意識を満たしたのはそのことであった。そしてこの言葉が実現したのである。

 

40

あなたたちが信じさえするれば、そのことはあなたたちにもあてはまる。よく理解することによって自分の意識を肉体、感覚を超越したみ霊の状態に高め、其処で自分自身の意識を通して父の力を受け、かくて永遠に君臨する強大なる力を現示するがよい。

 

 

 

                          心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                       

                                 M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                     

                                                      霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

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第七話 31~35 わたしの言葉を理解するには、あなたたちの意識を肉体感覚を超えた霊の界層に高めなければならない。そうして始めてわたしの言葉が理解されるであろう。私の言葉は肉の感覚を超えて生きているからである。

31

もろもろの制約・混乱・暗黒の中に常に実在と真理の光りをもたらすことを学ぶがよい、そうすればそれらはおのずと消える。

 

32

あなたたにの裡なる神我の意識があなたたちの創造力である。この神我意識があなたたちを通して顕現れ、すべてのものを新ならしめるのである。

 

33

わたしの言葉を理解するには、あなたたちの意識を肉体感覚を超えた霊の界層に高めなければならない。そうして始めてわたしの言葉が理解されるであろう。私の言葉は肉の感覚を超えて生きているからである。

 

34

神我こそが神の久遠の一人子なることをあなたたちは知るであろう。あなたたちに生命を与えてい給うみ霊、あなたたちの中に生きてい給うみ霊こそわたしの中で語り給うみ霊である。なぜならば、語る力はみ霊にのみあるからである。

 

35

このキリスト意識があらゆる被造物の中にある力なのである。この力は、それを意識すればする程、それだけあなた自身の生命、生活、生涯に偉大なるものとなって顕現れる。

 

 

 

 

           心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                       

                         M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                     

                                       霞ケ関書房, 1972   

 

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第七話 26~30

26

その時代々々のコトバが肉体の器官で語られており乍ら、それが永遠なるもの、霊的なるものとなるのが発声され言葉の奇蹟であり、それは神より遣わされた天才のみの為し能うところである。

 

27 

わたしの中で語るのは父である。肉の感官、肉の身を通して語り乍ら、その言葉を久遠、常在の実在たらしめるのは父である。

 

28

既に肉の身を離れて今、内界に在る人々は依然として生きている。その人々もわたしの言葉を聞き、それによって天啓(インスピレーション)を受けている。

 

29

あなたたち一人々々が悟りによって、肉体感覚を超越した高い意識界層に今、入ることができるのである。

 

30

わたしは「パン」という言葉を使ったが、それには、あらゆる物事において人を生かす霊的栄養となる真理、という聖なる霊的意味をこめていたのである。

 

 

 

     心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                       

         M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                     

              霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 

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