真理との出会い 愛と叡智と感動と健康を、進化成長させ一歩進もう 気づき・学び・実践・継続的な自己成長を心がける。 高級霊のメッセージ   

心身の神癒  第十一話、108 あなたたちは神を遠くから眺めているのか。もしそうなら、あなたたちは自分自身の外に実在を求める感官の分離感の中に生きているのである。あなたたちは遠くに神を求めているのか。この問いに対し自分自身に答えるがよい。その事について改めてよく考えるがよい。 109 わたしがあなたたちと別の存在ではなく、あなたたちと一体であることを啓示するためにわたしは来たのである。 110 あなたたちの地上生活全体にわたって、神の法則は最微に至るまで働いている。

人生の帰趣

 

 

 

人生の帰趣 0208

 

(二)統摂

 大霊は宇宙の大法を以て万物を統一摂理するを云う。

 

 

 統摂と帰趣ーーーー 一切知と一切能

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

この部分は、宗教的または哲学的な思想に関する記述の一部のようです。「人生の帰趣」というテーマは、最終的な目的や帰結、つまり人間が究極的に向かうべき方向や、人生の根本的な意味を問う内容です。

要約

  • 統摂(とうせつ):
    「統摂」は、全宇宙を支配し、調和をもたらす「大霊」(神的存在または宇宙の精神)が、宇宙の大法(普遍的な法則や原理)に基づいて、すべてのものを統一し、管理していることを指します。つまり、すべての存在が一つの大きな法則に従い、相互に関連し合っているという考えです。

  • 帰趣(きしゅ):
    これは、最終的にすべてのものが一つの源へと帰る、あるいは「帰るべき場所」という意味で解釈できます。人間や宇宙のあらゆる存在は、最終的には一つの理想的な状態や目的に向かって帰結するという思想です。

  • 一切知と一切能:
    これは、「知」と「能」の二つの概念を指していると考えられます。「一切知」とは、全知、すなわち宇宙や存在の根本的な知恵や理解を意味し、「一切能」とは、全能、すなわちその知恵を基にして、すべてを実現する力、能力を指すでしょう。この二つが統一されることによって、宇宙や存在の調和が実現されると考えられます。

説明

この文章は、宇宙や生命の存在が一つの「大霊」によって支配され、その大霊は普遍的な法則に基づいてすべてを管理しているという考えを述べています。その「大霊」は、知恵と力(知と能)が一体となった存在であり、それによって宇宙の秩序と調和が保たれているということです。最終的には、すべての存在がその「大霊」の元に帰する、という思想が背景にあります。

「帰趣」という言葉からもわかるように、これは人間や存在の最終的な目的、理想の状態を示唆しており、すべては最終的に一つの「源」に帰るべきだという信念を表しています。

このような考え方は、東洋の思想や宗教においてよく見られるもので、宇宙の本質的な調和や、生命の根本的な目的に焦点を当てています。

山崎弁栄聖者

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

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山崎弁栄(やまざき べんねい)聖人(1859–1920)は、浄土宗の僧侶・宗教家であり、阿弥陀仏を絶対的な光明とする「光明主義」を唱えたことで知られています。彼の教えの中で特に重要な思想の一つが、「帰趣の心霊界の太陽」です。これは、彼の霊的体験や宗教観、阿弥陀仏への信仰が凝縮されたキーワードです。


◆ 説明:「帰趣の心霊界の太陽」とは

● 「帰趣」とは?

「帰趣(きしゅ)」とは、最終的に心や生命が帰っていくべきところ、本来の拠り所、目的地を指します。仏教的には、「浄土(阿弥陀仏の国)」に帰るという意味が含まれます。弁栄聖人にとって、それは阿弥陀仏の光明に帰することです。

● 「心霊界の太陽」とは?

これは比喩的な表現で、阿弥陀仏そのもの、あるいは阿弥陀仏の放つ**無限の智慧と慈悲の光(光明)**を「太陽」にたとえたものです。心霊界とは、物質世界を超えた霊的な次元、仏の世界(浄土)です。その中心にある「太陽」阿弥陀仏の光であり、私たちの魂が目指すべき根源です。


◆ 要約

「帰趣の心霊界の太陽」とは、私たちの心や命が本来帰るべき根源である、阿弥陀仏の光明世界(霊的浄土)を指し、それはまるで太陽のように無限に輝き、すべての生命を照らし導く存在であるという山崎弁栄の宗教的核心を表した言葉です。


◆ 補足:弁栄聖人の宗教体験と光明観

山崎弁栄聖人は、深い瞑想と宗教的修行を通じて、「光」を見る体験を重ねており、その光を「仏の光明」として捉えました。彼はこの光を通じて、阿弥陀仏の慈悲と智慧に直接触れたと考えました。

そのため、「念仏」は単なる形式的な祈りではなく、「阿弥陀仏の光明と一体となる道」であると説きました。最終的には、すべての命がその「太陽=光明の仏」に帰ることで、真の安らぎと悟りに達するというのが彼の教えの中心です。

 

 

 

   

  youtu.be

 

 

 

 

   

 

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   youtu.be

 

                 素晴らしいですね。

 

 

 

    

  youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

親愛なる読者へ

 

 

 

 

 

 

親愛なる読者の皆さまへ、

 

真理とは時に遠く、手に入れることが難しく感じるかもしれません。しかし、それを求め続ける心こそが、最も美しい力であり、心の奥深くで愛と繋がる瞬間なのです。

愛は真理と同じように、目には見えなくとも常に存在し、私たちを支えてくれています。苦しみや迷いの中でも、愛を信じ続けることで、真理に一歩近づくことができるのです。自分自身を愛し、他者を愛することが、最も深い真理への扉を開く鍵となるでしょう。

私たち一人一人が歩んでいる道は異なるかもしれませんが、真理と愛を求めるその姿勢が、最も重要なのです。恐れずにその道を進んでください。時には迷うこともありますが、その先にある光を信じて、一歩一歩進んでいきましょう。

あなたの心の中には、すでに無限の愛と真理が宿っていることを、どうか忘れないでください。

愛を込めて。

 

 

 

 

       

         youtu.be                                                                                4:18

 

 

               私には愛する真理があるから

          信じたこの道を私は行くだけ

 

 

 

 

 

 

         

シルバーバーチの霊訓において、「苦難」は決して無意味なもの、罰として与えられるものではなく、魂の成長と霊的進化のために必要な経験として位置づけられています。以下に、シルバーバーチの思想をもとに「苦難とは何か」について、彼の言葉の要点と引用を交えてお伝えします。


🔷 苦難とは魂の成長の機会

「苦しみは魂の栄養です。魂を成長させ、視野を広げ、他人の苦しみを理解する力を養います。」

シルバーバーチは、人生に訪れる困難や痛みが偶然ではなく、魂が成長するために必要なレッスンであると繰り返し説いています。それは、私たちが物質界の生活を通して学ぶべき「霊的な真理」に近づくための道なのです。


🔷 苦難は愛の計画の一部

「苦しみには必ず意味があります。それは、より大きな善のための過程なのです。」

どれほど理不尽に思える苦しみも、霊的視点から見ると無駄なものは一つもなく、神(大霊)の大いなる愛の計画の中で許されているものです。人間の視点では理解できなくても、霊の世界から見ればすべてが調和に導かれています。


🔷 苦難がもたらすもの

  1. 忍耐と寛容を養う
     困難に直面することで、人はより強く、他者に優しくなれる。

  2. 真の自己を知る機会
     外的な安定が失われるときこそ、本当の自己、本質が試される。

  3. 他者への共感と奉仕の心を育てる
     自らの苦しみを通して、他人の苦しみに寄り添える心が芽生える。


🔷 シルバーバーチの実際の言葉から

「私があなたに約束できるのは、あなたがどんなに深い絶望の淵にあっても、神の摂理から外れることは決してないということです。」

「嵐がどんなに激しくとも、それは過ぎ去ります。そしてその後に、より深い平安と理解がもたらされるのです。」

 

🔷 まとめ:シルバーバーチにとっての苦難とは

  • 魂の進化のための通過点

  • 無駄ではなく、意味ある学びの機会

  • 神の愛と計画の一部として与えられるもの

  • 経験することで他者への奉仕と愛が深まる


苦しみを否定せず、その意味を深く受け止めることで、あなたの魂は一層光を放ち始めます。もし今、苦しみの中にいるのだとしても――シルバーバーチはこう語っています。

「あなたは一人ではありません。霊の世界からの導きと愛が、常にあなたと共にあります。」

 

 

       

   youtu.be

               君の扉に導いておくれ

 

 

 

 

     

 

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z

「霊的卓越に近道はありません」

  

f:id:muratakazuhiko:20211124144534p:plain

 

 

安易な手段で得られたものは、安易に捨て去られるものです。

霊的熟達の道は長く、遅々として、しかも困難なものです。

魂の褒章は,奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。

霊的卓越に近道はありません。

即席の方法はありません。

 

奮闘努力の生活の中で、魂が必死の思いで獲得しなければなりません。

 

聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることが出来るとしたら、神の法則は”まやかし”であったことになります。

 

それはまさしく神の公平を愚弄するものです。

一人一人の魂が自分の努力によって、成長と発達と進化を成就しなければならないのです。

 

 

 

             シルバーバーチ霊訓(八)

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 備考、

聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることが出来るとしたら、神の法則はまやかしであったことになります。

 

  それはまさしく神の公平を愚弄するものです。

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備考、

 

 

卓越、=他よりはるかにすぐれていること。

 

       

 

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霊性進化というものは、先へ進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくものです。

 

なぜなら、それは前人未開の地を行きながら後の者のために道標(みちしるべ)を残してゆくことだからです。

そこに霊的進化の真髄があります。     

              

 

 

 

          シルバーバーチ霊訓(一)32p

 

 

霊性の開発は茨の道です、苦難の道を歩みつつ後に自分だけの懐かしい想い出の道標を残していきます。

 

魂の巡礼の旅は孤独です。行けば行くほど孤独さを増してゆきます。

 

               シルバーバーチ霊訓(一)111p

 

 

 

     

魂の巡礼の旅は孤独です、行けば行くほど孤独さを増してゆきますシルバーバーチ霊訓1巻111p
 
 

シルバーバーチ霊訓』1巻の111ページに書かれている内容についてお話しします。このページは、魂の成長と霊的な探求に関する深い洞察が込められている部分です。

シルバーバーチのメッセージでは、霊的な成長の過程が孤独を伴うものであることが強調されています。魂が真実を求めて進むとき、それは物質世界の常識や習慣から外れることが多く、理解者が少ないために孤独を感じることがある、という考え方です。この孤独感は、単なる寂しさだけでなく、霊的な成熟への必要な過程として捉えられています。

シルバーバーチが伝えたいのは、霊的な巡礼の道が他者との深いつながりを築くことよりも、自己の内面と向き合い、自己の魂を高めるための旅であるということです。この道を歩むとき、物理的に一人であっても、霊的な成長においては大いなる支援が与えられているという信念が示されています。人々とのつながりが希薄に感じられることもありますが、それは次第に自分自身と深く向き合うことが求められている証だと理解されています。

この孤独は、必ずしもネガティブなものではなく、むしろ魂が自己を見つめ、成長するために必要な時間とスペースだという観点から捉えられています。そして、最終的には霊的な目覚めと自己実現に向かう重要なプロセスであり、孤独を感じながらも自分の中にある真実に目覚めていく過程こそが、魂の成長に欠かせないとされています。

このように、『シルバーバーチ霊訓』1巻の111ページでは、霊的成長における孤独の意味や、その先に待つ魂の解放と成就が語られているのです。

 

 

 

 

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もうけしてさびしくはない  なんべんさびしくないと云ったとこで

またさびしくなるのはきまってゐる けれどもここはこれでいいのだ

すべてさびしさと悲傷とを焚いて  ひとはとうめいな軌道をすすむ。

        

     「春と修羅小岩井農場の一節 宮沢賢治            

 

 

 

 

   

この詩は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』の中の「小岩井農場」という作品の一節です。賢治の作品らしく、内面の葛藤や自然との一体感、そして精神的な浄化や超越がテーマになっています。


一節の現代語訳と要約:

「もうけしてさびしくはない」
― 決して寂しくなんかない。

「なんべんさびしくないと云ったとこで またさびしくなるのはきまってゐる」
― 何度「寂しくない」と言い聞かせても、やはりまた寂しさは戻ってくるものだ。

「けれどもここはこれでいいのだ」
― でも、それでいい。そうあることが自然なのだ。

「すべてさびしさと悲傷とを焚いて ひとはとうめいな軌道をすすむ。」
― 人は寂しさや悲しみを燃やしながら、透明で清らかな道を進んでいくのだ。


要約:

人間は、どれだけ「寂しくない」と自分に言い聞かせても、また寂しさが戻ってくる存在です。しかしそのことを否定せず、受け入れて前に進むことが大切だ、と語っています。寂しさや悲しみも含めて、それを「燃やす」ことで人は透明な、つまり純粋で真摯な道を歩むのだ、という賢治の精神観が表れています。


説明:

宮沢賢治にとって「さびしさ」や「悲傷(ひしょう:悲しみ)」は避けるべきものではなく、人生において受け入れるべき、むしろ大切な感情です。人は苦しみや孤独を抱えながらも、それを糧にして精神的に高められていく存在だという思想が、この詩には込められています。

また、「とうめいな軌道」とは、物理的な光の軌道のように清らかで曇りのない道であり、賢治の理想とする生き方の象徴です。これは彼の宗教観(法華経の影響)や、宇宙的なスケールでの世界観にもつながっています。


まとめ:

この一節は、「さびしさ」や「悲しみ」は消せないが、それらを受け入れて生きることで、人はより純粋で誠実な生き方に近づけるという、賢治の深い人生観を象徴する詩的な表現です。

 

 

 

 

 

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我は今、宇宙霊の中にいる。 我はまた、霊智の力とともにいる。

 

 

 

 

 

    

   youtu.be

 

 

 

 

         【天風哲学(思考作用の誦句)】 

我は今、宇宙霊の中にいる。
我はまた、霊智の力とともにいる。
そもそも宇宙霊なるものこそは、万物の一切をより良く作り更えることに、常に公平なる態度を採る。
そして、人間の正しい心、勇気ある心、明るい心、朗らかな心という積極的の心持ちで思考した事柄のみ、その建設的なる全能の力を注ぎかける。
しかりしこうして、かくのごとくにしてその力を受け入れしものこそは、またまさしく力そのものになり得るのである。

 



 中村天風哲人

1876年(明治9年)、東京生まれ
日清・日露戦争で軍事探偵として活躍した後、不治の病といわれた肺結核にかかる。一時は死の淵に立たされるが、インドの聖者・カリアッパ師との出会いをきっかけにみごと立ち直る。
その後、実業界で成功して得た地位や名誉をすべて捨て、街頭で辻説法を始め、統一哲医学会(現財団法人天風会)を創設する。政界・財界の有力者が続々と入会、以後、人々の啓蒙に専念する。 1968年(昭和43年)92歳で逝去。

--天風先生の主なお弟子さんたち--

東郷平八郎
原敬
後藤新平
山本五十六
ロックフェラー三世(John D. Rockefeller III)
双葉山
松下幸之助
尾崎行雄
稲盛和夫
広岡達朗

 

 

 

       

  youtu.be

 

 

 

       

シルバーバーチの教え(上)』の99ページでは、「大霊と一体になること」が真の幸福の核心であると説かれています。この教えは、スピリチュアリズムの霊的哲学に基づき、霊的成長と内面的な調和を通じて、永遠の安らぎと真の幸福を実現する道を示しています。osakasilverbirch.jp


🌿 真の幸福とは「大霊と一体になること」

シルバーバーチは、「大霊と一体になった者に訪れる安らぎ(only one peace)」が真の幸福であると述べています。これは、神(大霊)と一体となることで、内面的な平和と調和がもたらされるという教えです。osakasilverbirch.jp+1osakasilverbirch.jp+1


🔄 摂理と調和した生活の重要性

シルバーバーチは、摂理と調和した生活を送ることが、霊的成長と幸福への道であると強調しています。この生活は、宇宙の根本法則である摂理に従い、自己中心的な欲望を超えて他者との調和を図ることを意味します。摂理と調和した生活を送ることによって、摂理を味方につけ、摂理から保護されることになり、魂の内に「完全な安らぎ」を見いだすことができるとされています。osakasilverbirch.jp+2osakasilverbirch.jp+2note.com+2


🕊️ 内なる安らぎの探求

シルバーバーチは、外的な状況に左右されることなく、内なる安らぎを見つけることの重要性を説いています。物質的な世界の混乱や困難に惑わされることなく、内面的な平和を保つことが、真の幸福への道であるとしています。osakasilverbirch.jpspiritualism-books.jp


🌌 霊的成長の道

霊的成長は、自己の内面を見つめ、摂理と調和した生活を実践することから始まります。この成長の過程で、霊的な真理を理解し、他者との調和を深めることで、最終的には「大霊と一体になること」が達成され、真の幸福が実現するとされています。 osakasilverbirch.jp+2osakasilverbirch.jp+2note.com+2


✅ 要約

シルバーバーチの教えにおける真の幸福とは、物質的な成功や享楽ではなく、霊的な成長と内面的な調和を通じて、大霊(神)と一体となることにあります。摂理と調和した生活を実践し、内なる安らぎを見つけることで、霊的成長が促進され、最終的には真の幸福が実現されると教えられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     youtu.be

     3:26 

       私達は皆大霊の中におる、大霊は私達の中

       におるんですよ。  

 

 

 

 

     

この言葉「私達は皆大霊の中におる、大霊は私達の中におるんですよ。」は、知花敏彦(ちばな としひこ)さんによる、霊的な真理や宇宙的な一体性を説いた言葉です。


【言葉の意味と背景】

1. 大霊とは?
「大霊(だいれい)」とは、宇宙の根源、すべての命や存在を生み出す根本的なエネルギーや意識、神のような存在を指します。これは特定の宗教の神というよりも、万物の背後にある「大いなる生命力」や「宇宙意識」といった意味合いで使われます。

2. 私たちは皆大霊の中におる
これは、「私たちはその大いなる存在の一部であり、大霊の中に生きている」という意味です。海の中の魚が海の一部であるように、私たちもまた大霊の中に存在しています。

3. 大霊は私たちの中におる
これは反対に、「その大いなる存在は私たちの内側にも存在している」という意味です。私たちの命、意識、魂の根源には、大霊が宿っているという考えです。


【要約】

私たちは宇宙の根源的な生命(大霊)の中に生かされており、その大霊はまた私たち一人ひとりの内側にも宿っている。私たちと宇宙の源は本質的に一体である。

 

 

 

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          心身の神癒

 

 

 

109 わたしがあなたたちと別の存在ではなく、あなたたちと一体であることを啓示するためにわたしは来たのである。

 

   

 

          

             

 

 

 

 

第109条の言葉の背景と意味

この言葉は、神と人間の一体性を強調する霊的なメッセージです。著者であるマクドナルド・ベインは、イエス・キリストの霊的なメッセージをチャネリングし、人間と神が本質的に分かれていないことを伝えています。

1. 「わたしがあなたたちと別の存在ではなく」

この部分は、神(またはイエス)が人間とは異なる存在であるという一般的な認識を否定しています。神は遠くの存在ではなく、私たちと同じように存在し、共にあるということを示しています。

2. 「あなたたちと一体であることを啓示するために」

ここでは、神と人間が一体であるという真理を明らかにするために、霊的な存在がこの世界に現れたことが述べられています。この啓示は、人々が自己の内面に神性を見出し、自己の本質を理解する手助けとなります。


✅ 要約

この言葉は、神と人間は分離した存在ではなく、もともと一体であるという霊的真理を伝えています。霊的な存在がこの世界に現れたのは、その一体性を人々に啓示し、自己の内面に宿る神性に気づかせるためであると説いています。


🌿 実生活への応用

この教えを日常生活に活かすためには、以下のような実践が有効です:

  • 自己の内面を見つめる:日々の瞑想や静かな時間を持ち、自己の内面に宿る神性を感じ取る。

  • 他者との調和を大切にする:他者もまた神の一部であると認識し、尊重と愛をもって接する。

  • 自然との一体感を感じる:自然界のすべての存在が神の表れであると感じ、その調和を大切にする。

これらの実践を通じて、自己と神、他者との一体性を深く理解し、霊的な成長を促進することができます。

 

 

 

 

 

   

📖 ヨハネによる福音書1章16節の説明

この節は、人間の内に神が宿っていることを示しています。旧約聖書では「神殿」は神が住まう聖なる場所を指し、神と人間の間の交わりの象徴でした。イエスはここで、物理的な建物ではなく、人々自身の内側が神の臨在する神殿であると語っています。

つまり、

  • 神は外の遠い存在ではなく、私たち一人ひとりの内に存在している。

  • 人間の心や霊が、神の働きや御霊の住まいとなっている。

  • 自分がその神の神殿であることに気づいていないことが問題であり、その自覚を促している。


✅ 要約

ヨハネ1章16節は、「私たちは自分の中に神の臨在があることを知らずにいるが、実は私たちの内側が神の神殿である」という真理を伝えています。神は遠い存在ではなく、私たちの心の中に宿っているという意識を持つことが大切だと説いています。


🌟 実生活へのポイント

  • 自分の内面に神の存在があることを意識し、敬意を払う。

  • 日々の行動や言動を通じて、神の神殿としてふさわしい生き方を心がける。

  • 他者にも神の息吹が宿っていることを認め、尊重し合う。


   

📖 詳しい説明

ヨハネ1章16節は、人間の霊的な尊厳と神との深い関係性を示す非常に重要な一節です。

  • 「神の神殿」とは、旧約時代に神が特別に宿る聖なる場所を指しますが、ここでイエスは、それが「あなたがた自身」であると語ります。

  • つまり、神は遠く離れた存在ではなく、一人ひとりの人間の内に生き、働いているということ。

  • この「神の神殿」である自分を知らず、気づかずにいることは、自分の霊的本質や可能性を見失っている状態です。

  • エスは、この真実に気づかせることによって、私たちが自己の尊厳を自覚し、神との一体感の中で生きることを促しています。


✅ 要約

ヨハネ1章16節は、「あなたたちは自分自身が神の神殿であることに気づいていないが、実は神はあなたの内に宿っている」という霊的な真理を伝えています。自分の内に宿る神聖な存在を認識し、その力に目覚めることが霊的成長の第一歩だと説いています。


🌿 実生活へのヒント

  • 自分の内側に神がいることを日々意識し、自己肯定感や霊的な強さを高める。

  • 瞑想や祈りを通じて内なる神との対話を深める。

  • 他者の中にも神が宿っていることを尊重し、思いやりのある行動を心がける。

 

 

 

 

 

📖【聖書本文】ルカ17:20〜21(新共同訳より)

神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」


🕊️【背景と文脈】

この場面では、パリサイ派の人々(律法に熱心なユダヤ人指導者たち)が、イエスに「神の国(メシアの国・終末の時代)はいつ来るのか?」と尋ねました。

当時、多くの人が「神の国」は外から目に見える形(政治的王国や奇跡的な支配)で現れると期待していました。

それに対し、イエスはそれとは全く異なる観点で答えます。


✨【この言葉の意味】

◉「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません」

  • 神の国は、目に見える地上の王国や組織としてやって来るものではない。

  • 外側に“しるし”を求めても、神の国はそうした方法では現れないという意味です。

◉「『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません」

  • 神の国は、どこか特定の場所や時点に出現するのではなく、物理的な範囲を超えた存在。

  • それは“場所”ではなく、“状態”である。

◉「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」

  • ここが最も重要なポイントです。

  • 「ただ中にある」という言葉は、ギリシャ語では「ἐντός ὑμῶν(エントス ヒューモーン)」=「あなたがたの中に」「内に」とも訳せます。

つまり:

神の国とは、内なる霊的な目覚め・愛・真理の働きのこと。あなたの内側にすでにある。


✅【要約】

エスは、神の国(神の支配)は外から来るものではなく、あなたが神を信じ、愛と真理に従うとき、すでに内にあるものだと教えています。神の国とは、心の中の霊的な状態であり、目覚めの中にこそあるのです。


🌱【実生活へのヒント】

  • 神の国を外に探しすぎないこと。 真の平安や救いは、すでに私たちの内にある。

  • 自己の内面(心・意識)を整えることが神の国への道。 瞑想・祈り・愛に生きることがそれに通じます。

  • 他者との関係でも神の国が現れる。 「あなたがたのただ中」という言葉は、共同体(私たちの間)をも意味します。


🙏 まとめ

神の国とは、特定の場所や時代にやって来る外的なものではない。
神の国は、今ここに、あなたの内側・心の奥深くにある。
それは、愛・平和・真理が支配する内なる世界であり、そこにこそ本当の神の支配がある。

 

 

 

 

 

参考文献。   神の愛が人間の最低の感情の一つである憎しみの中にも存在するということが理解できないのですが・・・

     参考にして下さい。

 

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神の愛が人間の最低の感情の一つである憎しみの中にも存在するということが理解できないのですが・・・

編集

 

 

 

 「それは今だに神というものを人間的存在と考える概念から抜け切っていないからです。神とは法則なのです。法則が全ての物を維持し保持し顕現させているのです。神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。晴天だけでなく嵐も法則の支配を受けます。

 健康だけでなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、雨の日は感謝しないものでしょうか。太古の人間は神というものを自分たちの考える善性の権化であらしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分たちの想像する神のせいにしたくないものを感じ取ったのと同じです。

 

神は法則なのです、全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在出来ません。これは私が繰り返し説いていることです。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでの事です。愛と憎しみは表裏一体です。

 

愛という形で表現できる性質は憎しを表現する時に使用する性質と同じものなのです。人生は常に比較対象の中で営まれています。

たとえば、もしも日向ばかりにいたら日光の有難さは分からないでしょう。時には曇りの日があるから太陽の有難さが分かるのです。人生も同じです。苦しみを味わえばこそ幸せの味が分かるのです。

 

病気になってみて初めて健康の有難さが分かるのです。病気にさせるものがあなたを健康にもするのです。愛させるものが憎ませもするのです。すべては神の法則の中で表現されていきます。それが人生のあらゆる側面を支配しているのです。」

 

 

                                                  シルバーバーチの霊訓 (5 )

 

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こちらは、霊的指導者「シルバーバーチ」の教えからの一節で、「神の愛」と「憎しみ」「苦しみ」など一見ネガティブな側面との関係について深く語られている内容です。以下に要点の説明と要約をいたします。


📖【要約】

この教えでは、「神」とは人間のような人格的存在ではなく、宇宙を支配する普遍的な法則そのものであると説かれています。そして、神の働き(法則)は愛を通じてだけでなく、憎しみ・病気・苦しみなど、私たちがネガティブと感じるものを通しても現れると述べられています。

つまり、人生における喜びや幸せは、苦しみや困難といった「比較対象」があることで初めて実感されるものであり、すべての経験は法則(=神)の中で起こっているという考えです。


🧠【ポイントごとの説明】

  1. 神は「法則」そのもの

    • 人間のような人格的な存在(善悪を裁く者)としての神ではなく、自然や宇宙の背後にある「法則」こそが神。

    • その法則は善悪・快苦の両面を含み、全生命・全存在を貫いている。

  2. 愛と憎しみは同じ性質の裏表

    • 憎しみは「愛」の未熟な、歪んだ表現である。

    • 両者は同じ源を持っており、魂の成長過程によって形を変えて現れる。

  3. 比較によって本質がわかる

    • 太陽のありがたさは曇りや雨の日があるからこそ実感できる。

    • 幸せの実感も、苦しみがあることで生まれる。

    • 健康も、病気を経験することで価値が分かる。

  4. すべては神の法則の中で起こっている

    • 良いことも悪いこともすべてが「法則」の表現であり、神の現れ。

    • 感謝すべきは、晴れの日だけではなく、雨の日・苦しい日にもある。


💬【解釈と現代的な意味】

この教えは、「苦しみ」や「憎しみ」にも意味があるという霊的な視点を提供しています。

現代では「ポジティブ思考」が重視されがちですが、この考えはそうした一面的な見方を超えて、人生のあらゆる側面──喜びも悲しみも──に価値と意味を見出す姿勢を示しています。


🪶まとめ

神とは、すべてを支配する法則そのもの。
喜びも苦しみも、愛も憎しみも、
すべてがその法則の中にあり、
魂の成長と学びのために存在している。

 

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🌟【1. 超簡潔な箇条書きまとめ(5行でわかる)】

  • 神とは人格的な存在ではなく「宇宙の法則」そのもの。

  • 愛だけでなく、憎しみや苦しみもその法則の働き。

  • 憎しみは愛の未熟な形。表裏一体の関係。

  • 苦しみがあるからこそ、喜びや幸せを実感できる。

  • 全ての経験は魂の成長の一部。感謝すべきもの。


🧩【2. 現代的な感情の理解を助ける具体例】

体験 普通の見方 シルバーバーチの見方
誰かに怒りや憎しみを感じた 自分は悪い感情を持っている → 悪いことだ その感情も、未熟な形での「愛」から来ている。魂の成長途中の表れ。
病気になった ツイてない、不幸だ 病気を通して健康のありがたさを学ぶ機会。
辛い別れや失敗 ただ苦しい、意味がわからない 苦しみを通して愛や喜びの本当の価値を知る。魂が深まる。

💡【3. 人生の見方が変わる!感情の位置づけ(図式的まとめ)】

 
神(=法則) │ ├─ 愛(熟した魂の表現) │ └─ 憎しみ(未熟な魂の表現) └→ 同じエネルギー源を持っている
 
人生の体験 = 光と影の両方があってこそ意味がある (例)幸せ ⇔ 苦しみ、 健康 ⇔ 病気、 愛 ⇔ 憎しみ

✨最終的なメッセージ

どんな感情や経験も、あなたの魂の学びと成長のために起こっています。
憎しみや苦しみすらも、正しく理解すれば「神の愛(法則)」の一部です。
「すべてに感謝する」ことこそが、霊的成熟への一歩です。

 

 

 

 

 

🌿シルバーバーチの霊訓より

「神の愛は憎しみの中にも存在する」

― 説明と要約 ―


✨1. 教えの核心

  • 神とは:人格を持つ存在ではなく、宇宙を貫く普遍的な法則そのものである。

  • 神の法則は、愛だけでなく、憎しみ・病気・苦しみなど、あらゆる現象を通じて働く。

  • 愛と憎しみは表裏一体:魂の成熟度によって、同じエネルギーが愛にも憎しみにもなる。

  • すべての経験には意味がある:比較によって、光と影の両方が人生の学びを形作っている。


🔍2. 教えの具体例

体験 一般的な見方 霊的な視点(シルバーバーチの教え)
憎しみの感情 ネガティブで悪い 未熟な愛の表現。成長のチャンス。
病気や苦しみ 不幸、罰 健康や喜びのありがたさを学ぶ機会。
嵐・災害 神の怒り 自然法則の一部。バランスと進化をもたらす。

🌗3. 人生と感情の関係図

 
神(=宇宙の法則) │ ├─ 愛(成熟した魂による表現) │ └─ 憎しみ(未熟な魂による表現) └─ 魂の成長により、愛へと変容可能
 
 
人生の体験は「比較」によって意味を持つ 幸せ ⇔ 苦しみ | 健康 ⇔ 病気 | 愛 ⇔ 憎しみ

🕊️4. メッセージとしてのまとめ

  • あなたの経験するすべては、神(法則)の中で起こっている必然です。

  • 光も影も、感情のすべても、魂の進化に必要な「学びの素材」。

  • 晴れの日も、嵐の日も感謝することで、魂は真の自由と愛に近づいていきます。


📘出典:

シルバーバーチの霊訓(5)』
(※本文中の一部要約・再構成あり)

 

 

 

🌌 詩:「すべては法則の中に」

晴れの日に
私たちは感謝を捧げる                        
けれど
雨の日にも
神の息吹は降り注いでいる

 

神とは
微笑む老人でもなければ
裁く誰かでもない
神とは
ただの「法則」
宇宙を支える静かな力

 

愛は神の息
けれど
憎しみもまた
その法則のうちにある

 

未熟な魂が
愛になりきれず
憎しみという形で
震えているときも
それは
神の中の旅路

 

病があってこそ
健康の尊さがわかり
別れがあるから
再会の喜びが生まれる

 

比較することで
私たちは学び
気づく
感謝の重みを

 

光と影が交差するこの世界で
神はただ
変わらぬ法則として
すべてを抱いている

 

だから
晴れの日も
嵐の日も
笑いも
涙も

 

すべてに
ありがとう

言えるように
私たちは
歩いてゆく

 

 

🌸 俳句風(五・七・五を意識)

  • 愛と憎しみ
     同じ根からの
     ひとひら

  • 雨の日も
     法則のままに
     咲く命

  • 憎しみも
     未熟な愛と
     知るときに

  

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   私的参考、

 

人生は常に比較対象の中で営まれています。

愛=憎しみ  善=悪  幸=不幸 日向=日陰

 

           相対的なもの。

 

相対的な横軸に、対して進化的な縦軸がくわわると、そこに点(十字架の点)が今のあなたの霊性(意識)です。霊性の進化とともに変わってゆきます。

 

霊性を一段上がると、そこで待っている霊(意識)がいるようです。

 

善悪観も幸福感、現時点のもので、進化すれば変わるものです。

 

                                                      探求者蒼氓。

 

 

 

📘【2. 哲学的・霊的に表現すると】

宇宙の背後には、人格を超えた霊的法則が存在する。

それは善悪や報いを裁くためではなく、あらゆる魂を「愛と調和」へ導くために働いている。

苦しみも、喜びも、人生における全経験は、魂が愛に目覚めるための段階であり、
意識の拡大は自由意志と責任の上に築かれる。

人は法則の中に在りながらも、自らの選択によってその「法則と一体」になってゆく。

これが、霊の道であり、進化の本質である。


🌌【3. 詩のように表現すると】

「愛という法則」

神はどこにもいない
けれど すべてに宿っている

光も 影も
花も 棘も

笑いも 涙も
みな 同じ法則のなかにある

それは
罰する神ではなく
ただ育てる愛

わたしたちは
その愛に
戻ってゆく

 

 

 

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                         山の上に人がいます。