一言いえば私は天上にいて、話している言葉も聴いた、そしてそれは生きている人間が話す言葉ではなかった。また言葉の中に流されている光輝も深い喜びも人間の舌が伝うるものではなかった。いまのこと以外は私は覚醒した状態にいた。とはいえ筆では書けない天上的な恍惚境ではあった。九時にベッドに入った。そして朝九時から十時までの間に起きたから十二、三時間も眠っていたことになる。天の神に感謝と栄光と賞讃を!神の御名があがめられんことを、聖なる神よ、聖なる大帝よ!
神以上に天使を愛すなという教えの意味を私はどれ程体験的にこの時に学んだことだったろう。そんなことをすれば全てが烏有に帰すのだった。
私は自分が光輪の中にいるのに気付いた。その光輪は殉教者に至福をもたらすものと同じ光輪であり、それは神への愛と名状できない神の恩寵のしるしに他ならない。
そしてそれゆえに殉教者たちは呵責がいつまでも続くことを願い、彼らにとって永遠の生命に比べれば呵責などはちりほどのものでもない。
そしてまたそれゆえに彼らは易々と命さえ捧げるのだ。
口でいえない至福の感じが私の心と体をひたしていた。
それゆえにもっと高いレベルに至れば肉体も至福の中に溶けてしまったろう。
これはイースターの日曜日と月曜日の間及び月曜日中に起きたのであった。
烏有(うゆう)=まったくないこと。
巨大霊能者の秘密
=スウェデンボルグの夢日記=
今村光一訳・解説
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備考、
このような、表現の文章にただ驚きを隠せない・・・。
それゆえにもっと高いレベルに至れば肉体も至福の中に溶けてしまったろう。