天界でも地獄でも、あることを考えながら、しかもそれと違ったことを行うといった分離した心をもつことは許されない。基本的に善であるどんな間違いや悪も、次第に天界の真理と情愛に入れ替わってゆきます。
生活と愛を通して地獄を選んだ人には、これと逆のことが起こります。
*この世で固めてしまった性格を、死後には変えることはできません。あなたが愛したものがあなたを定めており、死後何か他のものを愛そうとするなら、あなたの生命に反してくるからです。
*どの人も、霊としての外側と内側を持っている、霊の外側とはその世界に他人と付き合ってゆくために適応される自分の身体(特に顔つき・話し方・態度)である。
けれども霊の内側とは、その人固有の意図とその結果としての思考であって、これはめったに顔つき、話し方、また態度のなかに明らかになるものではない。人は子供のときから、自己固有の意図を隠して、友情・親切・誠実に装うことに慣らされている。
そこで習慣の問題として、自己の内面がどのようなものか気にもしないで、外面では道徳や市民生活を身につける。この習慣が、人の中に深く隠れているものや外面的なものに対するその人の意図について無知であることの源泉となっている。
この世の極悪人ですら、外面的には賞賛に値する生活を送るでしょう。付き合いをよくし、親切にし、宗教儀式をおろそかにせず、よい評判を得ようとします。
殺人を犯した者が「善良な人物」と見なされていたことを何度も聞いたことが有るでしょう。
このように、外面の生活は衣服を着るようなものであって、とうてい本当のその人を示すものではありません。内部の人である本当のその人が天界あるいわ地獄に自分のために用意されている住まいを見つけるのです。
この世では、自分の本当の気持ちを偽ることが容易にできます。来世では不可能です。
(私たちの「内部での記憶」とでもいうべき「生命の書 」が)他界で開かれ、それに従って裁かれる、人はこのことをほとんど信んじることができないがまったく本当のことである。
参考文献。2016-01-13 生命の書にすべての事が記されている。
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ブルース・ヘンダーソン・著 鈴木泰之・訳
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