第1話
104
人々は二千年前におきた「イエスの」癒しに神秘の思いを抱いているが、現在あなたたちの間でおきている癒しと殆ど変わりはないのである。只ひとつ変わっていることは、「神癒の媒体として」使われているのが(イエスとは)別の人物の場合もありうるという事実である。しかし癒すのは同一の神癒(キリスト)である。
105
真実なるものが愛の原理である。神は積極的、創造的、かつ至純なる想念によって宇宙を創造り給うた。宇宙は神の本性たる『愛』の表現である。この神聖エネルギー(愛)こそは、われわれを御自分肖せて創造り給うた神にわれわれを固く結びつける久遠の環である。
106
こうして人類は愛の表現の器となる。これこそが真の生活学である。
107
われわれが愛の泉を凝視すればするほど、神の御性質(すなわち神の愛)がわれわれの性質となる。父神がなされるのを見れば、わたしも又同じことをなす。(こうして)わたしの想いが、病いと死とのエーテルを健康と生命とのエーテルに変えられるところの癒しの力となることが、今やあなたたちには珍しくもなくなったのである。
108
聖なる想念の力によって、あなたたちの身体もまた肉の身より霊の身へと変えられるのである。
109
人はみな生ま乍らにして神の息子であり娘である。人はみな理解と愛とによって神の息子、娘となる。キリストとしての自分の本性を顕現するほどの人の心情において大いなるものはない、それ以上に大いなる力はいかなる世にもないのである。愛によってわたしは癒し、愛によってわたしは生きる。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972