真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

分離間

 わたくしたちは、分離感を持つゆえ、この世に生まれてきた。

本来は一体であるのに。  

 

分離感は、一体であるわれわれの意識に対し、

外部から入ってくる情報がそれぞれ異なり、

しかも その情報は限定されていることにより生じるのだろうか。  

 

あなたに入ってくる視覚・味覚・聴覚・触覚などからの情報 あなたが生きてきたいろいろな環境(国籍・人種・教育・財産・家庭・習慣・伝統)や情報 あなたの今のいろいろな環境や情報 が、人それぞれ違う。    

 

そのためだろうか、わたくしたちは、自分を完全に他とは別箇の存在だと思っている。  

神が御自らを分霊され、個々の存在を作り給うたのであるから、 個々の存在と 個々に入ってくる情報の相違自体は問題は無いと思う。

 

しかし、 唯一存在し給う神の顕現が、自己であるということを忘れたがために 分離感だけが残ったのではないか。  

この分離感をなくすためには どうしたらいいのだろうと考えて

心身の神癒 を調べてみた。

 

心身の神癒では、その分離感について 次のように 書かれている。

 

『 第十一話 ~神のみ霊人格化して汝らの裡なる神の分霊(キリスト)となれり~

 

95 五官を通して触れたり感じたりしうる物を見ると、あなたたちはそれを現実的存在(リアル)という、しかしそれは実在の影にすぎないのである。実在とは裡なるもの、不可視のものである。実質が裡なる物であって、外なるものは影である。

 

96 真理に対する無智のためにかくも多くの苦悩が地上に生じたのである。すべての人々が真理を把握したとき、すべての人々はみ霊を見上げるであろう。み霊こそが実在であり、外なるものは内なるものの現れであり、内なるものなくしては外なるものは存在しないからである。

 

97 「わたしは生命である」というこの言葉を理解するにあたっては、先ず、神が生命であり、生命は神であることを知らなければならない。そうすれば、『わたしは生命である』と云っても、自分で自分の云っていることが分かっており、「わたしは生命である」という言葉の意味を理解していることになる。

 

98 わたしは生命である。この言葉は真実であり、〔その意味〕が把握されると巨大なる力を発揮する。

 

99 わたしは神を中核とする生命であり、ありとしあらゆるものを通して愛と癒しと智慧とを放射している。

 

100 この智慧は能動的であって決して静止はしていない。それは常に父の御意志を積極的に現している。もし意識がこの事に気付かないと、それは界外の事物の中に迷い込み、〔結局〕それが真理を把握していない心における妄想(もうそう)となる。

 

101 すると意識はこれらの妄想を映(うつ)し出し、その結果は本人にとっての悲哀事となる。しかし、もしみ霊を知り、み霊の力をよく把握しておれば、父の御意志が顕現(あらわ)れる。これが神我(キリスト)、これがすべてを一つの群にまとめる神の愛と英智と力の顕れである。かくて羊飼いは一人のみとなる。

 

102 あなたたちの中(うち)、わたしと霊的に交(まじわ)る者はわたしに臨在を感ずるであろう。わたしはあなたたちより分離してはいないからである。わたしと父とはあなたたちと一体である。

 

 

103 然り、あなたたちがわたしに倚(よ)り頼むならば、わたしはあなたたちを見捨てはしない。すべて、あなたたちにとって良いことが、わたしを通じてあなたたちにやって来るであろう。

 

 

104 大きな敵は〔見かけの〕分離を人間の心の中で本物にしてしまう分離感である。

 

105 数世紀にもわたる無智のために、男女ともに自分を完全に別箇の存在だと思い込んでしまい、人類の苦悩を何か自分の外にあるものと見做(な)してしまっている。

 

106 分離というものは無いのである。一人に影響するものは全体に影響するのである。それが神の分霊(キリスト)の道である。この神の分霊こそが人類の救いである。

 

107 然り、わたしは人類全体とともに苦悩を感ずる。しかし、あなたたちがわたしの話をよく聞きさえすれば、わたしはこの苦悩をあなたたちより引き揚げる。わたしの道は救いの道である。わたしの道は、人間を同胞とし、神を父とすることである。わたしの道は、死ではなく生である。

 

108 あなたたちは神を遠くから眺めているのか。もしそうなら、あなたたちは自分自身の外に実在を求める感官の分離感の中に生きているのである。あなたたちは遠くに神を求めているのか。この問いに対し自分自身に答えるがよい。その事について改めてよく考えるがよい。

 

109 わたしがあなたたちと別の存在ではなく、あなたたちと一体であることを啓示するためにわたしは来たのである。 』

 

さらに、この分離感をなくすには、

 

『 90 自然全体を深く理解すると、神のみ霊の顕現――鉱物、植物、動物、人間におけるみ霊の顕現――を見るようになる。

 

神我(キリスト)意識とは一切がみ霊であること、人間の中にある神の意識を認めること、それを自覚することである。わたしは神の子である。

 

地上の何人(なんぴと)もわたしの父ではない、天にまします唯一の無双(そう)の方のみがわたしの父である。

 

この神我を知るためには

 

『 33 神我(キリスト)はすべての人類の中にある神の霊である。わたしは神の愛である。この霊を知るためには、愛である神を敬慕しなければならない。 』

 

愛である神を敬慕するためには

 

34 ではいかにして愛なるところのものを敬慕するか。

それは――

 

あなたたちの裡なる最高のものに達することによって、 あなたたちを創造(つく)り給うた方からあなたたちに流れ来る愛を与えることによって、

あなたたちの魂を通じて流れるこの生命(ライフ)と愛(ラブ)の溢れる河を自覚することによって ――である。

 

と書かれている。

 

愛に生きることは、分離感をもなくす。

 

                   心身の神癒-主再び語り給う

 

 

 

 

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