恐怖は〔真理に対する〕理解を欠くところから我の造り出す一種の念力であって、生命が魂と肉体とを貫流するのを一時的に妨げる効果を来す。
もし外ならぬ自分こそが主であることが分かればあなたたちは恐怖するであろうか。
キリストこそが自分の神我であると知ればあなたたちは恐怖するであろうか。
神のみが実存し、〔すべては〕神の自己実現であり、神によって創造された存在であるあなたたちは決して神から引き離されうるものではないと知れば、あなたたは恐怖するであろうか。
十字架を見詰めてその与える教訓を知るがよい。
あなたたちがたとえ責め苛まれ、手足に釘うたれて十字架につけられようと、あなたたちは父なる神を否認せずに押し通せるであろうか。
あなたたちの力は常にあなたたちと偕にある神、すなわち愛に肖(に)せて〔あなたたちを〕造り給うた神、にこそ負うのである。
恐怖は化学変化をもたらし身体を悪変化する効力を有(も)つ。
しかしそれらの状態を克服するには愛という解毒剤、宇宙における唯一、恒久の力を用いればよい。
あらゆる想念、動き、行いはことごとく身体に或る化学変化をもたらす。
人は恐怖と不安とによって自分 の身体構造を絶えず変化させつつあり、それが不調和なのである。
しかし愛は調和であり魂と身体との癒しである。
「心身の神癒 主、再び語り給う」
1-79~83
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備考、
友よ、この短い文書を読み終えたあとの、聖なる時に、私は、神に感謝する。
蒼氓。