(物的なものはいずれ朽ち果てる)
私にできることは永遠・不変の宇宙の原理・原則を指摘することだけです。
地上世界のことがすべて探求しつくされ、説明しつくされ、理解されつくしたあとに、なおかつ誰一人として完全に究めることも説明することもできない永遠の摂理があります。
それは構想においても適用性においても無限です。人間のすべてが、日々決断を迫られる問題に直面した時に、自分が霊的存在であること、大切なのは物的なもの----それはそれなりに存在意義はあっても----ではなくて、それがあなたの本性、永遠の霊的本性に与える霊的な意義であることを自覚することができるようになれば、どれだけ素晴らしいことでしょう。
物的なものはいずれ朽ち果て、元のチリに帰ります。
野心、欲望、富の蓄積、こうしたものは何の役にも立ちません。
所詮はあなた方も霊的存在なのです。真の富はその本性に宿されているものだけであって、それ以上ではありえませんし、それ以下でもありえません。
そのことを生涯を通じて悟っていかなくてはいけません。
それを悟ったとき、あなたは真の自分を見出したことになり、自分を見出したということは神を見出したということになり、そうなった時のあなたこそ真の意味での賢者と言えるのです。
私の目には、あれこれと”大事なこと″があって毎日あっちへ走りこっちへ走りして、忙しく暮しながらその実 “いちばん大事なこと″を見落し、なおざりにしているために、心が絶望的でヤケになっている大ぜいの人々の姿が見えます。このあたりに私どもが説く教えの核心があるのですが、お判りになりますか。その人たちが日々の生活の中に生きるよろこび---神の子として当然味わうべき充足感を見出してくれるようにと願って霊界から舞い戻ってくるそもそもの目的がそこにあることが判っていただけるでしょうか。 それはいわゆる宗教、教会、信条、教義といったものより大切です。人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱の原因となってきた、その類のもののいずれにもまして大切です。
が、
それは自分という存在についての(霊的存在であるという)いたって単純な事実にすぎないのです。なのに、それを悟っているのはごく僅かな人たちだけで、大多数の人は知らずにおります。
『シルバー・バーチの霊訓(4)』(近藤千雄訳)
p94-96
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