自分の未来を予知することは可能だ
私はこの手記の最後に記すように、1772年3月29日にこの世を捨て霊界へと住み家をかえることになっている。人々は私がこのように自分の死の日(私からいえば、たんにこの世に肉体をすて霊の世界に移ることに過ぎないが)を何年も前から知っているいることは不思議でしかたがないだろうし、なかにはいまは私のいうことを信じない人々も少なくないだろう。
私は、人々には誰にでも本当は自分の一生の運命を定め知ることができるのだということを、ここで記すことにしよう。私は例によって、自分の生涯を二十歳のときに予言していたある男の例を挙げて、このことを説明してみよう。
彼はフランスの農夫だった。彼は二十歳のとき、すでにつぎのように自分の生涯の運命を語っていた。---彼は二年後の七月二十日、ある友なる者が西から現れ、その者は彼の五十二歳の六月まで彼と一緒にいるだろう。小さな友がこれに続いて三人現れるが、そのうちひとりは彼の三十五歳のなかばに彼に涙を与えるだろう。
また彼は、三十九歳の秋に水の底に彼の家が沈むのを見るに違いない。彼は三十二歳の春には、南十字星がよく光るのを見ることになるであろうーーー。彼は自身の”予言”どおり、二十二歳の七月に彼の村から西方にある村の同じ農村の娘を妻にし、妻は彼の五十二歳のときに世を去るまで一緒に暮らした。子供(小さい友)は三人生まれ、そのうちひとりは彼の三十五歳のときに病死し、彼に”涙を与えた”彼の村は彼の二十九歳のときに大きな洪水に見舞われた。彼の家は予言どおり水の底に沈むことはなかったが、農作物は”水の底に沈み”全滅の被害を受けた。また、彼はこの洪水後三年あとの三十二歳のときには、遺産相続のない親類の土地を相続したが、この土地は小高い丘の南向きの斜面の土地だったのである。私は、彼も私同様にある程度の「死の技術」を持っていたのだと思う。死の技術によって、彼もときには霊界へ入ることができたのである。霊界の霊同士のあいだでは、想念の交換中にその霊の人間であったときの一生や、その後にその霊が霊界で送るべき永遠の未来の霊の”一生”のことが、すべてこと細かに描かれた絵巻として相手の眼に見えることがあるということは、私はすでに記した。この絵巻は、霊でも自分の絵巻を自分で見ることは不可能なのだが、相手の霊が見た絵巻の内容を言葉で教えてもらうとか、あるいはその霊が眼に見える形の表象によって教えてもらうことはいたって簡単にできる。そこで、もし人が、ある程度死の技術を身につけて霊界に入り、ほかの霊と自由に想念の交換を行えるとすれば、死んで霊となる以前に、自分の人間としての一生の未来を知ることはたやすくできることになるわけだ。私は彼もこの方法で自分の未来を知り、それを予言として人々に語っていたのだと思う。
第四章 霊界とこの世は一つの世界だった 196p
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備考、
スウェデン・ボルグは1772年3月29日自分の予言のとおり死去した。生前人の死も言い当てその通り死去している。スウェデン・ボルグいわく、こんなことはあの世で見てくれば簡単なことだと!
蒼氓。