真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

生命には両極があるということを認識してください。作用があれば反作用があります。光があれば闇があり、日の当たる場所があれば日陰があります。戦争があれば平和があり、善があれば悪があるといった具合です。硬貨の表と裏といってもよいでしょう。

 

 

「光の中ばかりで暮らしておれば光の有難さは分かりません。光明が有難く思われるのは暗闇の中 で苦しめばこそです。こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、そちらの世界での 苦労を十分に体験しなければなりません。果たすべき義務を中途で投げ出してこちらへ来た者は、 こちらで用意している喜びを味わうことはできません。少なくとも永続的な幸せは得られません。

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人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て再び霊の世界へ戻った時にあなた を待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということ です。

そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。この地上があなたに とって死後の生活に鍛える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。」

「地上生活においては物質と霊との間がしっくりいかず常に葛藤が続いている以上、あなた方は 当然のことながら罪を犯すことになります。私はこれを過ちとよぶ方を好みます。もし過ちを犯さなく なったら、地上にも私どもの世界にも誰一人存在しなくなります。あなた方が地上という世界に来た のは、霊的なカと物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくから です。光を有難いと思うのは影と暗闇を体験すればこそです。晴天を有難いと思うのは嵐を体験 すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有難く思えるのは 闘争があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。

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もしも辿る道が 単調であれば開発は無いでしょう。さまざまな環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟 していくのです。」 「運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然と立ち向か うか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断はあなたの自由意志に任されて います。もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。その時点において取りまかれている 環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。地上生活 という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されており ます。そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心 の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。地上生活はその選択の連続と 言ってもよいでしょう。選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時に また、寿命つきて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新らしい仕事に対する準備が十分に出来て いるか否か能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって 決まります。単純なようで実に複雑なのです。」

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「人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解するうえでの大切な要素 です。もし光と闇とが存在しなければ、光は光でなくなく闇は闇でなくなります。つまり光があるから 闇があり、闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなり ます。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。その違いが分かるのは 相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。元は一つなのです。 しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。それが人生です。光と闇の両方 がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければ なりません。自我を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。」

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「私はいつも宇宙は全て両極性によって成り立つていると申しております。暗闇の存在が認識される のは光があればこそです。光の存在が認識されるのは暗闇があるからこそです。善の存在を認識 するのは悪があるからこそです。悪の存在を認識するのつまり光と闇、善と悪を生むカは同じもの なのです。その根源的な力がどちらへ発揮されるかは神のかかわる問題ではなく、あなた方の 自由意志にかかわる問題です。そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるということ です。」 「完全が存在する一方には不完全も存在します。が、その不完全も完全の種子を宿しております。 完全も不完全から生まれるのです。完全は完全から生まれるのではありません。不完全から 生まれるのです。」 「霊的意識を獲得するためには物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。 物から霊へと進化していくのです。つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現 することが可能となります。霊は物に宿ることによって自我を意識するようになるのです。」

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「魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛と なるべき性質を最低の形で表現しているまでのことです。愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で 表現できる性質は憎しみを表現する時に使用する性質と同じものなのです。人生は常に比較対照の 中で営まれています。たとえば、もしも日光にばかりいたら日光の有難さは分からないでしょう。 時には曇りの日があるから太陽の有難さが分かるのです。人生も同じです。苦しみを味わえばこそ 幸せの味が分かるのです。病気になってみてはじめて健康の有難さが分かるのです。病気にさせる ものがあなたを健康にもするのです。愛させるものが憎ませもするのです。 すべては神の法則の中で表現されていきます。それが人生のあらゆる側面を支配しているのです。」

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「悪も進化の過程の一翼を担っております。改善と成長、絶え間なく向上せんとする過程の一つなの です。人間にとって悪に思え苦痛に思えるものも進化の計画に組み込まれた要素なのです。 痛みがなければ健康に注意させる警告がないことになります。暗闇がなければ光もありません。 悪がなければ善もありません。地上にもし悪が存在しなければ、何を基準に善を判断するので しょうか。改めるべき間違い、闘うべき不正が在存しなければ人間の霊はどうやって成長するので しょう。」 「人生は一本調子ではありません。光と陰、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美と醜、善と悪の 双方が揃わなくてはなりません。人生はそうした比較対照を通じてのみ理解できるものだからです。

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闘争を通して、奮闘を通して、逆境の克服を通してはじめて、神性を宿した人間の霊が芽を出し、 潜在するさまざまな可能性が発揮されるのです。そういう摂理になっているのです。私がそう定めた のではありません。私はただそれを自ら身に修める努力をしてきて今それを皆さんにお教えしている だけです。」

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「霊的向上の道は容易ではありません。知識の受容力が増したことは、それだけ大きい責任を負う 能力を身につけたことであらねばならないのです。幸と不幸、これはともに神の僕です。一方を 得ずして他方を得ることはできません。高く登れば登るほど、それだけ低くまで落ちることもあるという ことであり、低く落ちれば落ちるほど、それだけ高く登る可能性があることを意味します。それは当然 のことでしょう。」 「大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通してはじめて得られるもの だということです。人生というものはこの世だけでなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界に おいても、一側面のみ、一色のみでは成り立たないということです。

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光と影の両面が無ければなり ません。光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇がなければ光もありません。光ばかりでは 光でなくなり、闇ばかりでは闇でなくなります。同じように、困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を 見出していくのです。もちろんそれは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが 霊としての永遠の身支度をすることになるのです。なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を 去ったあとに待ちうける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につけることに あるからです。」

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「苦と楽、悲しみと喜び、平静さと怒り、嵐と晴天、こうしたものがみな魂の成長の糧となるのです。 そうしたものを体験し教訓を学んではじめて成長するのです。その時はじめて宇宙が無限なる愛に よって支配され、その愛から生み出された摂理に間違いはないとの自覚を得ることができるのです。」 「臆病も人間としての情の自然な発露です。私はいつも人生とは対照の中で営まれている。愛の倒錯 したのが憎しみであり勇気が倒錯したのが臆病である、と申し上げております。いずれも本質に おいて同じ棒の両端を表現したものです。また私は低く沈むことができただけ、それだけ高く上昇する ことができるとも申し上げております。臆病を勇気に、憎しみを愛に変えることができるということ です。この考え方がとても受け入れ難い人がいることでしょう。が、これが私の考えです。人間の 精神にはさまざまな複雑な感情や想念が渦巻いております。それをうまくコントロールするところに あなたの成長があり進化があり、低いものが高いものに転換されていくのです。それは、良いとか 悪いとかの問題ではありません。一つの感情が発露したものでありその人の個性の一部であるという までのことです。たとえ表に出なくても内部にはあるわけです。怖いという気持にならない時でも どこかに潜んでいるわけです。私が言わんとしているのは、そうした感情がいかに陰性のもので あってもいかに好ましからぬものであっても、あなたにはそれをより高度なものに転換する力が 具わっているということです。」

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「苦痛を知らずして健康の有難きを知ることはできません。日陰を知らずして日光の有難さは分かり ません。そうしたことのすべてがリズムと調和の中で展開する創造活動の一大パノラマを演じている のです。」 「苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれるとは決して申しておりません。苦難は地上にいる かぎり耐え忍ばねばならない避けようにも避けられない貴重な体験の一つで、それが人間性を磨く ことになると言っているのです。たびたび申し上げておりますように晴天の日もあれば雨天の日も あり、嵐の日もあれば穏やかな日もあるというふうに、一方があれば必ずもう一方があるようになって いるのです。もしも地上生活が初めから終わりまで何一つ苦労のない幸せばかりであれば、 それはもはや幸せとは言えません。幸せがあることがどういうことであるかが分からないからです。

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悲しみを味わってこそ幸せの味も分かるのです。苦難な人生とは何かを分からせる手段となることが よくあります。苦難、悲哀、病気、危機、死別、こうしたものを体験してはじめて霊的な目が聞くの です。それが永遠の実在の理解に到達するための手段となっているケースがたくさんあります。」 「光の存在に気づくのは暗闇があるからこそです。もしも暗闇がなければ、光とはいかなるものである かが分かりません。埋め合わせと懲らしめの原理というのがあります。神は厳正なる審判者です。 差引勘定がきっちりと合わされます。決算書を作成するときが来てみると帳じりがきっちりと合って います。」

 

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「地上の人間にとって苦しみは悪であり、痛みは歓迎されませんが、実質的には必ずしもそうでは ありません。苦は楽と同じく神の計画の一部です。苦がなければ楽もなく、暗闇がなければ光明も なく、憎しみがなければ愛もありません。作用と反作用は同じものであると同時に正反対のもの です。一つのコインの両面と思えばよろしい。善と悪はともに不可欠のものであると同時に、相対的な ものです。」

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「私たちと同じくあなた方も法則の中で生きております。そして病気というのはその法則との調和が 乱れた結果として生じるのです。言ってみれば霊として未熟であることの代償として支払わされるの です。しかしその支払いとはまた別の補償の法則もあります。物事には得があれば損があり、損が あれば必ず得があるのです。物質的な観念からすれば得と思えることも、霊的な観点からすれば 大きな損失であることがあります。すべては進化を促すための神の配慮なのです。」 「教訓を学ぶ道はいろいろありますが、最高の教訓の中には痛みと苦しみと困難の中でしか得られ ないものがあります。それが病気という形で現れることもあるわけです。人生は光と陰のくり返し です。片方だけの単調なものではありません。喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、 こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです。ということは双方に神の意志が宿っている ということです。良いことにだけ神が宿っていると思ってはいけません。辛いこと、悲しいこと苦しいこと にも神が宿っていることを知ってください。」

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「魂は低く落ち込むことが可能であるだけ、それだけ高く向上することもできます。それが両極の原理 です。すなわち作用と反作用は相等しいものであると同時に正反対のものであるという法則です。 憎しみと愛、光と闇、嵐と静けさ、こうした対は、同じコインの表と裏の関係にあるのです。」 「地上生活につきものの困難と苦難と面倒なことから逃れることはできません。なぜなら、それは 魂の進化にとって必須のものだからです。光明を味わうには暗黒を体験しなくてはなりません。 太陽の有難さを知るには雨の日を体験しなくてはなりません。人生は両極性を体験しなくてはなりま せん。一方だけでは他方の存在価値が分からず、物質的にも精神的にも霊的にも啓発が得られない からです。地上生活の体験があるからこそ、霊界での生活を可能とさせるのです。」

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「地上生活は霊界の生活と違って両極性(相対性〉から成っていることです。霊界では同じ発達段階 の者が同じ界層で生活しておりますが地上ではさまざまな発達段階の者が混ざり合って生活して おります。ということは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られるということです。 かくして光があれ闇があり、温かさがあれば冷たさがあることになります。そこに地上生活の存在 理由があるのです。そうした両極の体験を通じて魂が真の自我に目覚めていくのです。言いかえれば 地上は学校です。そこでいろいろと学ぶことによって、いつかは住むことになる霊の世界での生活に 必要な教訓を身につけるのです。

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苦悩を味わうということは、その反対である喜びを味わえるという ことです。」 「人生には何ごとにも二面性があります。光があれば闇があります。安らぎがあれば苦労があり ます。もしも晴天の日ばかりだったら晴天の有難さは分からないでしょう。時にはイヤな思いをさせら れる体験を通して、ある事を学ばされることがあります。いずれ皆さんもこちらへお出になって地上 生活を振り返った時は、きっとこう思われることでしょう。いちばん大切な教訓を学んだのは生活が ラクだった時ではなく、嵐が吹きまくり雷鳴が轟き稲妻が走り太陽が雲にさえぎられて、すべてが暗く 絶望的に思えた時だったと。」

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「光を見出すのは暗闇の中にあってこそです。人生はすべて両極性です。苦労なしには魂は自我を 見出すチャンスがありません。苦難がその触媒となるのです。霊的に向上し、霊的資質をより多く 具え、喜んで人のために自分を犠牲にする覚悟ができるようになるその手段として用意されるの です。」 「地上は死後に否応なしに始まる次の段階の生活にとって不可欠の準備をさせてくれるところです。 一つ一つの体験が進化していくために支払う代価なのです。地上人生は一本調子ではありません。 光があれば影があり、日和の日があれば嵐の日がなければなりません。両極端があり、対照となる ものがあるからこそ人生の意義が理解できるのです。作用と反作用は正反対であると同時に相等し いと言われます。人を憎むことのできる者はそのエネルギーを愛に転換することができるのです。 愛と憎しみとは同じコインの表と裏です。どちらを選ぶかはあなた次第です。」

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「平穏の有難さが分かるのは嵐の中においてこそです。晴天の気持よさが分かるのは雨の日が あるからです。このようにすべてが両極の原理で成り立っているのです。もしも全体が光ばかり だったら、光の有難さは分かりません。そうした違いが分かり自然の摂理のすばらしさが分かる のは、そのコントラスト、比較対照の原理のおかげです。」 「もしも人生が一本調子のものだったら、もしも光だけで闇がなかったら、もしも楽しいことばかりで 苦しいことがなかったら食べるものに事欠かず空腹というものを知らなかったら、その光も、楽しい ことも、食べられることの有難さも分からないはずです。

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人生の目的と可能性についての理解を もたらしてくれるのは、その両極性です。愛と憎しみは正反対であると同時に相等しいものです。 愛を憎しみに変えることができるように、憎しみを愛に変えることもできます。銅が溶鉱炉から取り 出されて鍛えられるように金塊が製錬されてはじめて純金となるように、ダイヤモンドが磨かれて はじめて輝きを見せるように、魂も辛酸をなめてはじめて真の自我に目覚めるのです。それ以外に、 地上で魂が目覚めそして活動を開始するための手段はありません。」

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「低く下がれるだけ高く上がれるという償いの法則によって本当の意味での人間的向上が得られる 過程の一環なのです。光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中に おいてこそです。真実の自我を見出しはじめるのは、地上にはもはや頼りになるものは何もないと 思えた時です。これは人生の両極性という、魂が真の自我を見出すための原理の一つです。 果てしない宇宙に展開する生命活動の一つ一つが、規律づけられた何らかの役割をもっております。 嵐も、晴天と同じく、無くてはならないものなのです。闇も、光と同じく、無くてはならないものです。 人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中においてこそです。その両極性を体験してはじめて成長し はじめるのです。私は屁理屈を言っているのではありません。大霊がその無限の叡智によって 地上の人類のために案出した進化の法則がそうなっているということを申し上げているのです。 言い換えれば、必要なものは時が熟せば与えられるということです。困難・試練・試金石・障害、 こうしたものは魂がその潜在的資質を発揮するために欠かせない体験です。一種の触媒を提供して くれるのです。これまでを振り返ってごらんになれば、最大の窮地と思えた時に道が開かれ、真実の 自我を発揮する方向へと導かれていることに気づかれるはずです。」

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「実在に目覚めるためには晴天と嵐というような対照的な体験が必要です。憎しみも所詮は愛が 正しい目的からそれて歪められたものに過ぎません。要は魂の成長に係わる問題です。」 「健康を損うまでは健康のありがたさは分かりません。雨の日の鬱陶しさを耐え忍んではじめて 晴天のありがたさが分かります。それと同じく、苦難は肉体が自分ではなくそれを繰っている霊こそ 自分であることを悟るために神が用意した、一種の触媒です。」 「神とは法則です。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在できません。 あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に 存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の 形で表現しているまでのことです。愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で表現できるエネルギー は、憎しみを表現する時に使用するエネルギーと同じものなのです。」

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「真理というのは至って単純なのですが、一見すると矛盾しているかに思えることがあります。闇が あるから光の存在が分かり、悲しみがあるから喜びが味わえるのです。危機にさらされるから 平穏無事の有難さが分かるのです。」 「人生は両極性から成っています。作用と反作用、同等と正反対といった具合ですが、それは同じ 硬貨の両面です。ですから憎しみが愛に変わることがあると同時に、不幸にして愛が憎しみに変わる こともあるわけです。両者は同じ力なのです。問題はその力をどう働かせるかです。」

 

  

      両極性についての霊言 シルバーバーチ

 

 備考、

    この文章から、何かを感じ取ってもらえたら幸いです。

                               蒼氓。

 

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 シルバー・バーチは言う。

 

「私たちが誠実であろうとするのは、一つの教義に対してではなく、一冊の聖典に対してでもなく、一個の教会に対してでもありません。それは、生命そのものである神とその永遠不変の摂理に対してなのです

 

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