知識こそ不動の基盤デアリ、不変の土台です。
宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然、その霊の力に対する不動の信念を産み出さなくてはいけません。
そういう義務があるのです、それも一つの法則、恐怖心,信念の欠如,懐疑の念は、せっかくの霊的雰囲気をかき乱します。
私たち霊は信念と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。
恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。
太陽が燦燦と輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり預金もあるような時に神に感謝するのは容易でしょう。
しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。
然るべき教訓を学び,魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。
霊的マストに帆をかかげる時です。霊的真理は単なる知識として記憶しているだけでは理解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験して、初めてそれを理解するための魂の準備が出来上がります。
どうもその点がよく分かっていただけないようです。種を蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょ。芽を出させるだけの養分がそろわなくてはなりますまい。養分がそろっつていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまくそろった時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。
人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。
何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。
そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地ができあがります。そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。
そしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。
魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。
霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。あなたはしょせん、現在のあなたを超えることはできません、そこがあなたの限界と言えます。
が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質に勝ります。霊は何ものにも勝ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。
三章 なぜ苦しみがあるのか 63p
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涙とともにパンを食べたことのないもの
悲しみに満ちた幾夜(いくよ)を
ベットで泣きあかしたことのないもの
そうしたものには天上の霊(れい)の力がわからない
ヨハン・ヴォホルフガング・フォン・ゲーテ