もし、人間が霊の存在、その永遠性を本当に確信をもって信じられるように、すべての人びとができていたらどんなことになるか。
おそらく多くの人びとはその肉体的、自然的生命を全うすることなく、自ら命を断って霊界へと入ってしまうに違いない。
自然界は、その不思議な知恵によって人間に自然的生命を全うさせるため、霊や霊界の存在と永遠性をその死の瞬間まで人間の眼にふれさせないようにしているのである。
人間が霊のことを知らない理由はもうひとつある。また、この理由は同時に霊が人間の存在を知らずにいることと表裏の関係にある。
人間は霊と肉体とのふたつの要素からできているが、もし人間がつねに自分の肉体に住む霊の存在を意識し、その霊に支配されていると思っていたらどんなことになるか。
自由をなによりのも欲する人間は、必ず自分を支配しようとする霊と対抗し、ここに両者の闘争が起きるにちがいない。
また人間の中に住む霊は、そのことをまったく知らない。彼らには自然界の存在である人間の肉体は見えない。
そしてその結果、霊は人間そのものを自分だと思っているのだ。これは、人間が霊の存在に気ずかず、自分の全体はすべて自分のものと思っているのと同じなのだ。
霊は人間の中に住んでいることに気ずかず、すべてが自分だと思いつつ、人間の肉体に生命を与え、その考えや思いを無意識のうちに支配しているのだ。
ここには、*霊界と自然界のふたつをひとつに合わせた大きな世界の知恵が働いているのである。
なぜなら、霊の中には区霊というものもあり、この霊は自分と関係のあるものの生命や思考に破壊を及ぼすことをつねに狙っている。もし、この霊が肉体に住んだ場合に、区霊にそれが自分自身でなく、人間というものの肉体であることがわかるとすれば、直ちにその肉体に害を及ぼすからだ。しかし、区霊といえども、人間を自分そのものと思っている限りには、やはりそれを自分として大切にしこの肉体に生命を与える働きをするのである。
スウェデンボルグの霊界からの手記
今村光一抄訳・編
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備考、*霊界と自然界をふたつをひとつに合わせた大きな 世界の知恵が働いているのである。
この文章を読んだとき感動に震えた記憶があります、
感動的な知恵、大きな世界の知恵、感動以外にありません。
蒼氓。
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季節がらメツセージ
風に散る花の行方は知らねども
おしむ心は身にとまりけり
桜の花を愛した西行。
桜の花も時期が来ないと花が咲かない、
人の心も時期がこないと(受け入れる時期)がこないと花が咲かないようです。
摂理ですかね。
蒼氓。
降り積もる雪に覆われた
春待つ息吹のように
かすかでも光に向かう強さを抱きしめたい
作 桜井和寿