真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

恐怖の克服は、自分の中に神が存在することを知ればよい

 

恐怖は〔真理に対する〕理解を欠くところから我の造り出す一種の念力であって、生命が魂と肉体とを貫流するのを一時的に妨げる効果を来す。

もし外ならぬ自分こそが主であることが分かればあなたたちは恐怖するであろうか。

キリストこそが自分の神我であると知ればあなたたちは恐怖するであろうか。

 

神のみが実存し、〔すべては〕神の自己実現であり、神によって創造された存在である

あなたたちは決して神から引き離されうるものではないと知れば、あなたたは恐怖するであろうか。

 

十字架を見詰めてその与える教訓を知るがよい。あなたたちがたとえ責め苛まれ、手足に釘うたれて十字架につけられようと、あなたたちは父なる神を否認せずに押し通せるであろうか。

 

あなたたちの力は常にあなたたちと偕にある神、すなわち愛に肖(に)せて〔あなたたちを〕造り給うた神、にこそ負うのである。

恐怖は化学変化をもたらし身体を悪変化する効力を有(も)つ。

 

しかしそれらの状態を克服するには愛という解毒剤、宇宙における唯一、恒久の力を用いればよい。

 

あらゆる想念、動き、行いはことごとく身体に或る化学変化をもたらす。

 

人は恐怖と不安とによって自分 の身体構造を絶えず変化させつつあり、それが不調和なのである。

 

しかし愛は調和であり魂と身体との癒しである(*42)。 』

 

 

 

「心身の神癒 主、再び語り給う」1-79~83 

 

 

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「スウェーデンボルグの死後の世界」 ブルース・ヘンダーソン著 訳 鈴木泰之 監修高橋和夫

 

スウェーデンボルグは数回、古代キリシャの哲学者たちが当時のままに暮らしているアテネと名付けられた天界の共同社会を描いています。

 

そこは大きな都で、図書館・博物館・大学・法廷などがあり、またいろいろな商業活動もなされています。

 

そこのスポーツ試合、女性によってなされる刺繍、それに「霊的な方法による芸術的腕前を持った」職人のことも述べています。

個人の住まいは、そこに住む人の性格を反映します。

あなたの住まいも、あなたが何に気を使い、何を大事にしているかといったあなたの性格をかなり物語っています。

天界では、もっとそうなります。各人の家は神からの贈物であり、どの天使の性格や個性にも完全に似合ったものです。

事実、あなたの永遠の家は、天界にあろうと地獄にあろうと、すぐに自分のものだと分かるほど自分の一部なのです。

これは、この世の生活を通して設計し建築したものだからです。

この家が永遠にあなたの住まいとなります。

 

この住まいは、完全で平和な秩序を持った国にあります。

スウェーデンボルグは、神から広がり出た相互愛の(スフィア)「霊気」が天使たちの社会に行き渡っている天界の統治形態も描いています。これは多くの人が望む統治です。論争やエゴがなく、支配よりも仕えることに専心する人々の統治を想像するのは難しいかもしれませんが、このことが統治を天界のものにします。そこでは天使たちは、ただお互いにとって最善なことだけを望みます。それで天界での統治は私たちのものと非常に異なっています。

 

そこの統治者たちをスウェーデンボルグは次のように描いています。

 

・・・他のだれよりも愛と知恵にすぐれ、だれにでも愛から善を願い、知恵から善をどのように与えたらよいかを知っている。

 

このような人は、支配したり命令したりしないで、奉仕し仕える・・・

 

自分を他人よりも偉い者としないで、劣る者とし、社会と隣人の善を優先し、自分のことを後回しにする・・・。

 

それでも、統治者たちにも名誉と栄光がある。彼らは共同社会の中心に、他のものよりも高いところにある荘厳な邸宅に住んでいる。

 

けれども、この名誉と栄光を受けているのは、自分のためではなく、従順のためである。この名誉と栄光はじつに主から与えられたものであり、よれゆえ従わねばならないものである。とそこのだれもが知っている。

 

スウェーデンボルグは地獄の統治も描いていますが、天界と地獄を対比させてみれば、その正反対の性質を知ることができるでしょう。

地獄でも統治は欠くことができません。「なぜなら、統治がなくては、そこの人々を拘束できないからです。しかし地獄の統治は天界の統治と正反対のものである。

 

だれもが他人を支配し、頂点に立とうとする。自分の側に来ない者を憎み、復讐し、暴力による危害を加える。

 

自己愛とはこうしたものである。

 

こうして最も悪い者が支配し、他の者は恐怖から服従するのである。」

 

 

          第5章 天の御国103p

 

 

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「自分の成長」

 

 

魂がその深奥にあるもの最高のもの、を発揮するにはさまざまな体験を必要とするからです。

 

魂は永遠の存在であり、

 

それまでの思念の一つ一つの結果、口にした言葉の一つ一つの結果、行為の一つ一つの結果をたずさえており、結局今のあなたは、あなた自身がこしらえたーー一秒ごとに、一分ごとに、一時間ごとに、一日ごとに、一週間ごとに、一か月ごとに、一年ごとに、

 

築いてきたことになるのです。

自我の成長は自分で達成するのです。

 

そして行う行為の総決算があなたの現在の進化程度をきめるのです。自分以外の誰にもそれはできないのです。

 

 

 

         silver  birch  愛の摂理p74

 

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霊性の発揮

 

あなた方も元来霊的存在であって、それが今物的身体を通して自我を表現しているにすぎないという、

 

この基本的真理をつねに念頭においてください。

 

霊をたずさえた肉体ではなく、

 

肉体をたずさえた霊だということです。

 

その認識のもとに、

 

内部の霊性をできるだけ多く発揮することになるような生活を心掛けることです 

 

 

                                                                  silver  birch 霊訓8  p58~59

 

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すべての悩みや取り越し苦労は一時的なものにすぎない

(すべての悩みや取り越し苦労は一時的なものにすぎない)  

 

人間は物質の中に埋もれた生活をしているために、バイブレーションが低くなっております。

朝目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配ごとの波に呑み込まれていきます。

大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの、等々いろいろあります。

いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、そういうものに心を奪われてしまうと、背後霊が働いてくれている事実を忘れ、あなた方の思考の流れの中から霊的要素が閉め出され、霊的流入を遮断する一種の壁をこしらえてしまいます。     

 

           『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)      

                                                                            

 

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 心配・不安・恐怖 (明日のことを思い煩うな)

  

 (霊界の先祖や肉親から守られるために)  

 

あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。

時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。

その人たちの念があなたがたを動かしています。

必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。

悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。

穏やかな心、やすらかな気持、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。

 

私たち霊界の者は出来るだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合、進化の程度にかかっています。

 

霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。

霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。

 

そういう人はスビリチェアリストばかりとは限りません。

 

知識としてスピリチュアリズムのことを知らなくても、

 

霊的なことを理解できる人であればそれでいいのです。

 

宗教の違い、民族の違い、主義主張の違い、そんなものはどうでもよろしい。

 

冷静で、穏やかで、明るい心を保つことです。

 

それが霊界の愛する人々、先祖霊、高級霊からの援助を得る唯一の道です。

 

恐れ、悩み、心配、こうした念がいちばんいけません。       

 

                                    『古代霊は語る』

                                                     (近藤千雄訳編)

 

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「地上近くをうろつく霊」

 

 

 

「困ったことに、権力欲や、強欲は霊を地上に縛りつけます。

 

身体的には死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。

 

波長が、私たち(高級霊)より人間の方に近い状態です。

 

そして、

 

同じ欲に燃えた地上の人間と観応しあってその欲望を増幅してまいります。

 

ーということは地上近くをうろつく霊が、ますます増え、同時にそれが地上問題の解決を難しくしているということでしょうか。?

 

「その通りです。

 

というのは、霊界は地上界からの他界者で構成されていることを知らねばなりません。

 

地球からの渡来者しかいないのです。 

 

何の用意も身支度も出来ていない未発達で、適応性のない霊を地上から送り込んでいるかぎり、地上と霊界の双方の問題を増幅するばかりです。

 

それで、私たちが地上人類の啓発のために、こうして働いているのです。

 

暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、ようするに世界各地での戦争と、不協和音と分裂の元区である恐ろしい癌の発生を防ぐためです。

 

 

                  silver  birch (10)

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備考、

 

地縛霊,浮遊霊、など、唯物論、拝金主義者など、今現在は、大変良くない状況だとおもいます。  

 

                                                                                                                          蒼氓

 

 

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心に太陽を持て

心に太陽を持て

 

心に太陽を持て あらしがふこうと 

ふぶきがこようと 天には黒くも 地には争いが絶えなかろうと

いつも、心に太陽を持て

 

唇に歌を持て

軽く、ほがらかに

自分のつとめ 自分のくらしに 

よしや苦労が絶えなかろうと

いつも、唇に歌を持て

 

 

                                         -ツェーザル・フライシェン(訳:山本有三

 

 

 

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ドイツの詩人 ツェーザル・フライシェン(1864~1920)

 

「心に太陽を…」このフレーズは小さな頃から頭のどこかにあったような気がします。 懐かしいようでもあり、読んだ瞬間にフツフツと心に湧き上がるものがあった♬ 自分の心の持ちようひとつで、見える世界も感じる世界も一変します。

何があろうと…今ここにこうして生きている! 心に太陽を持ち、歌を口ずさみ…

前を向いて歩いていこう! 立ち止まったっていい…休んだらまた歩き出そう。

自分の人生を切り開くのは自分でしかないんだから。

 

 

 

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神以上に天使を愛すなという教えの意味を私はどれ程体験的にこの時に学んだことだったろう。そんなことをすれば全てが烏有に帰すのだった。

 

一言いえば私は天上にいて、話している言葉も聴いた、そしてそれは生きている人間が話す言葉ではなかった。また言葉の中に流されている光輝も深い喜びも人間の舌が伝うるものではなかった。いまのこと以外は私は覚醒した状態にいた。とはいえ筆では書けない天上的な恍惚境ではあった。九時にベッドに入った。そして朝九時から十時までの間に起きたから十二、三時間も眠っていたことになる。天の神に感謝と栄光と賞讃を!神の御名があがめられんことを、聖なる神よ、聖なる大帝よ!

 

神以上に天使を愛すなという教えの意味を私はどれ程体験的にこの時に学んだことだったろう。そんなことをすれば全てが烏有に帰すのだった。

 

私は自分が光輪の中にいるのに気付いた。その光輪は殉教者に至福をもたらすものと同じ光輪であり、それは神への愛と名状できない神の恩寵のしるしに他ならない。

そしてそれゆえに殉教者たちは呵責がいつまでも続くことを願い、彼らにとって永遠の生命に比べれば呵責などはちりほどのものでもない。

そしてまたそれゆえに彼らは易々と命さえ捧げるのだ。

口でいえない至福の感じが私の心と体をひたしていた。

 

それゆえにもっと高いレベルに至れば肉体も至福の中に溶けてしまったろう。

 

これはイースターの日曜日と月曜日の間及び月曜日中に起きたのであった。

 

 

 

烏有(うゆう)=まったくないこと。

 

 

 

                                 巨大霊能者の秘密

                                =スウェデンボルグの夢日記=

                                       今村光一訳・解説

 

 

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備考、

 このような、表現の文章にただ驚きを隠せない・・・。

 

 それゆえにもっと高いレベルに至れば肉体も至福の中に溶けてしまったろう。

 

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