真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

心に太陽を持て

心に太陽を持て

 

心に太陽を持て あらしがふこうと 

ふぶきがこようと 天には黒くも 地には争いが絶えなかろうと

いつも、心に太陽を持て

 

唇に歌を持て

軽く、ほがらかに

自分のつとめ 自分のくらしに 

よしや苦労が絶えなかろうと

いつも、唇に歌を持て

 

 

                                         -ツェーザル・フライシェン(訳:山本有三

 

 

 

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ドイツの詩人 ツェーザル・フライシェン(1864~1920)

 

「心に太陽を…」このフレーズは小さな頃から頭のどこかにあったような気がします。 懐かしいようでもあり、読んだ瞬間にフツフツと心に湧き上がるものがあった♬ 自分の心の持ちようひとつで、見える世界も感じる世界も一変します。

何があろうと…今ここにこうして生きている! 心に太陽を持ち、歌を口ずさみ…

前を向いて歩いていこう! 立ち止まったっていい…休んだらまた歩き出そう。

自分の人生を切り開くのは自分でしかないんだから。

 

 

 

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神以上に天使を愛すなという教えの意味を私はどれ程体験的にこの時に学んだことだったろう。そんなことをすれば全てが烏有に帰すのだった。

 

一言いえば私は天上にいて、話している言葉も聴いた、そしてそれは生きている人間が話す言葉ではなかった。また言葉の中に流されている光輝も深い喜びも人間の舌が伝うるものではなかった。いまのこと以外は私は覚醒した状態にいた。とはいえ筆では書けない天上的な恍惚境ではあった。九時にベッドに入った。そして朝九時から十時までの間に起きたから十二、三時間も眠っていたことになる。天の神に感謝と栄光と賞讃を!神の御名があがめられんことを、聖なる神よ、聖なる大帝よ!

 

神以上に天使を愛すなという教えの意味を私はどれ程体験的にこの時に学んだことだったろう。そんなことをすれば全てが烏有に帰すのだった。

 

私は自分が光輪の中にいるのに気付いた。その光輪は殉教者に至福をもたらすものと同じ光輪であり、それは神への愛と名状できない神の恩寵のしるしに他ならない。

そしてそれゆえに殉教者たちは呵責がいつまでも続くことを願い、彼らにとって永遠の生命に比べれば呵責などはちりほどのものでもない。

そしてまたそれゆえに彼らは易々と命さえ捧げるのだ。

口でいえない至福の感じが私の心と体をひたしていた。

 

それゆえにもっと高いレベルに至れば肉体も至福の中に溶けてしまったろう。

 

これはイースターの日曜日と月曜日の間及び月曜日中に起きたのであった。

 

 

 

烏有(うゆう)=まったくないこと。

 

 

 

                                 巨大霊能者の秘密

                                =スウェデンボルグの夢日記=

                                       今村光一訳・解説

 

 

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備考、

 このような、表現の文章にただ驚きを隠せない・・・。

 

 それゆえにもっと高いレベルに至れば肉体も至福の中に溶けてしまったろう。

 

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第二話 101~第三話26

 

101

われわれは到る処でわれられの媒体をみつけては、今此処でしているように、秘められた方法で世界到る処で真理を説いている。それも物質界だけでなく、自分の存在の本性をまだ認識していない者のいる内界(霊界)においても又説いているのである。

 

102

わたしはあなたたち丈ではなく、あなたたちの俗眼では見えない人たちにも語っているのである。彼等が真理を会得した時、彼等は前途に待ち設けている栄光に向かって邁進するであろう。彼等はその意識が更により高き状態に高まりゆくにつれて自分がもはや地縛の存在ではなく、自分が心の中で勝手に造り出していた束縛より放たれ、無礙、自在であることに気付くであろう。わたしの言葉を受け容れるがよい。そうすればあなたたちも又無礙・自在となる。

 

103

あなたたちの胸(ハート)を、神と全人類とに対する愛で満たしつづけるがよい。そうすれば、わたしは多くのことをあなたたちに教えよう。

 

104

わたしはもともと単純であり、到達し易い(存在)であるから、たとえわたしの語る事が全部は解らないにしても、わたしの語ることをよく聞き、それに波調を合わして待つがよい。

 

105

すべての人が神について教えられるであろう、と予言書の中に書かれている。故に父なる神について聞いたことのある者、学んだことのある者はすべてわたしの許に来るがよい。

 

106

光り闇の中に輝きてあれ、と命じ給うた父なる神が、わたしの胸(ハート)の中に輝き給い、光りと神の栄光についての悟りとを与え給う。

 

 

第三話

キリストは汝の裡なる生命なり

 

 

1  神我の及ぶ処、それは広大である。それは遠く又近くに及ぶ。偏在するからであるいずちにある、父なる神のいます処わたしも又そこにいる。いずこにあるわたしのいる処、父なる神常にわたしとともにおわします。

2 全能なる神のみがおわします、それが全てである。存在するものにして神によざるものなく、又、その子、神我を経ざるものはない。これこそが大いなる真理である。

3  世界の平和は神我の中に宿っており、すべての人々の魂が神我なる生命に気づき、父なる神の愛と美と力と智と強さとを顕現することを待っている。

4  父なる神のみが生き給い、しかも神は愛であり、智であり、平和であり、唯一無二の実在であるというこの真理を認識し、把握することによって、それが自然と発露してそれ自身を顕現していくようにしさえするならば、あなたたち全員の裡には常に平安と霊とが変わることなく存在しつづけるであろう。

5 神我の力は、先ずそれに気づき、次にそのことを完全に把握し、静寂の時間を割いてその間に主たる汝の神の臨在を一層自覚するようになることによって、涵養される。

6  真理の把握とは、久遠の神が今、此処に実存し給うことを知ることである。『父なる神とわたしとは一つである』。父なる神はわたしより偉(すぐ)れて大きい、しかしわれわれは共に一体として働くのである。父なる神なくしてのわたしは何事をも為しえないが、父なる神と偕であれば、神の為し給うみ業はすべてわたしもそれを為すことができる。われわれは一体であるからである。

7  認識が先ず第一である。次に十分に把握をし、静寂の時間(複数)を置くようにすれば、わたしの力〔普遍なる神我の力〕があなたたち自身の意識の中で発達して行く。しかし意識は実は只ひとつあるのみであって、それが全宇宙にわたって具象化しつつあるのである。それが大生命自身の裡なる意識である。大生命がすべての形体(かたち)あるものを創造(つく)り給い、その形体の中に大生命がその栄光を意識的に顕現しうるようにし給うたのである。

8  大生命が大生命自身の意識の中に自己顕現することができるように人間の魂と体とを創造(つく)り給うたのである。このことを真に了得した時、あなたたちは神我(キリスト)の力を自分自身の生活の中に発動するようになる。

9  あなたたちは物質生活、商取引の生活から抜け出て、暫しのあいだ神の国に休らわねばならぬ。そして、常にあなたたちの生活の中に顕現しようとして待機している真の大生命と神我(キリスト)の力とを自分が着実に成長させかつ展開させつつあることを知るがよい。

10  神我(キリスト)がその儘顕現(ままあらわ)れ出ているという態度を持ち続け、その事が自分にとって意味するところのものをよく考え、ジッと沈黙したままで待つがよい。こういう生き方によって着実な成長が得られるのである。 

11  この状態は誰かが云うような「空白」状態でもなければ「空無」の状態でもない。又、意識が理解もしないうちにやみくもに認容することを強制されようとする際の緊張でもない。

12  あなたたちはこのような極端な生き方は避けなければならない。そして、自分と父なる神との間にはいかなる分離もあり得ないという正しい理解に満ちた静けさを、自分の胸の中に保ち続けることである。

13 胸(ハート)の中でこう云うがよい、「わたしの中に留まり給うのは父なる神である。この神こそがみ業を為し給いつつあるのである」と。これがあなたたちの個我意識を遍在している神意識に結びつけるのである。

14  あなたたちがわたしを認め、わたしの生命が久遠に活発として働いていることを認める時、わたしはわたしの神性を現す。わたしの生命の久遠なる特質を認めるのは、神我(キリスト)があなたたちの中で顕現しつつあるという事である。天上天下にこれ以上の大きな力はない。天上天下のあらゆる権能(ちから)がわたしに与えられているのである。これがわたしの本態であり、神の愛の現れである。わたしの生ける臨在が常に活気凛々(りん)としてあなたたちと偕にある以上、それがあなたたちにとってどういう事になるのかを胸(ハート)の中で考えるがよい。その事をよくよく了解することの中に栄光と平安とはある。

15 思い込んでいる者もあれば、まだ夢を見ているものもいる。しかしいづれは皆、生ける神があらゆるものの中に神御自身を永遠に顕現しつつある真理に目覚めるであろう。神の顕現は久遠であり、常在であり、あなたたちの裡なる神我として展開しつつある。

16 そういう風にして結果は、あなたたちや、あなたたちの接触する人々全部にとって極めて有益なものとなるであろう。なぜならば神我ーー裡なる神の力ーーは現れ出、すべての不調和は静かに融け去るからである。不調和なるものは、あなたたちがそれを信じ込まない限り、もはやあなたたちの上に力を及すことはなくなるからである。

17 あなたたちは、わたしを、あなたたちとは全く違ったものと心の中で考えている。聖書にある二千年前の歴史を読んで、あなたたちはわたしが過去の人物であると思っているが、しかしわたしは常にあなたたちと偕にるのである。各人一人々々の魂に同じ神のみ霊が宿っていることを銘記するがよい。わたしの父なる神の御意志を行う者が、わたしの母であり、姉妹であり、兄弟なのである。

18 わたしの中に生きてい給い、あなたたちの中に生きてい給うのは、同じ神のみ霊である。この真理を認容し了解することによってまた、同一の神我があなたたちの中に顕現する。なぜならあなたたちも又一切のものに対する主権を与えられているからである。わたしを信ずる者はわたい以上に大いなる事さえ為すであろう。

19 『神我』(*I am*)は最奥神霊意識である。神我の意識は神の意識であり、子の中に現れる父なる神である。

20 努めてこの真理を堅持することである。そうすればあなたたち一人々々の生活の中にこの真理の力が発揮されるであろう。あなたたちはすでに自覚しているのである。現に生きているのである。この事を自覚するがよい。かくして、あなたたちの生き方があなたたち一人々々の人生における最も支配的で最も重要な要因なのである。

21あなたたちは自分が久遠に生きるものであること、自分が生命そのものであること、大生命から離れては生きえないこと、を今迄に考えたことがあるだろうか。あなたたちの意識は大生命が肉体の中に自己顕現する媒体なのである。肉体も又大生命を離れては生きることはできない。意識は大生命それ自身の中にあり、裡にあって指図する力である。『わたしは生命である』 。

22この力は個我を通して現れる。従って外部のエネルギーはすべて障害であることを知るがよい。神我は常に活動しており、決して静止することはない。神我は常に内から働いている創造エネルギーであり、常に活動している沈黙であり、常にみ業を為し給う父である。静かに神我に待けば、神我の息は、無音の中に、秩序正しい働きによってあなたたちの肉体のあらゆる分子を更新する。

23わたしの教えは『吾は生命なり』である。あなたたちとわたしとは、神のおん前においては同じである。神のみ霊がわたしを造り、神の全能の力がわたしに宿ってい給う、そしてここの同じ神のみ霊があなたたちの中に留まってい給うのである。

24わたしは全人類を他所にして、自だけが神性であると宣言するために来たのではなく、わたしは全人類の中にあり、全人類はわたしの中にあること、わたしの言葉をよく理解することによって、あらゆる人々が神我こそ人類の救い主であることを主張するようになることを示すために来たのである。

25神の分霊がわれわれ各人の中における生ける神の臨在である。即ち、神が神御自身を現わしつつあるのである。それ以外にはあり得ない、なぜならば神のみが独在すからである。太初にそうであったように神のみが生きい給うのであり、また未来永劫に神のみが生き給うのである。神我は分離しているのではない。神我はあなたたちの中に、そして又わたしの中に等しく臨在している。神我とは御自身を表現し給う生ける神である。わたしが『吾は命なり』という所以がここに存するのである。父なる神は御自身の中に生命を持ち給い、その子が同じ神の生命をその子自身の中に持つことを許し給う。

26私は神の子であるから、わたしが知っている神の創造計画の中に、一定の地位を占め、かつ又それをわたしは自覚する。この創造の過程において求めたものはそれに対応する地位を占める。何故ならわたしは自分一切のものに主権を有っていることを証明したからである。あなたたちも又わたしを信じ、わたしの言葉に基いて行動をするならば、わたしと同様にその事を証明しうるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その知識は悟りにあらず  

 

その知識は悟りにあらず  

 

あなた方は、せめて一日の内に1時間でもいいですから、時間を決めて、瞑想をしてください。 せめて一日に1時間でも高い状態にいることができるのか、 あるいは10分でも、14、15分でもいいし、あなた方はその波動を 高める時間は、いくらでもあるのです。

「わたしは、忙しくて、瞑想する時間がないのです。」と、低い状態を 思う時間はあるのに、自分の波動を高める時間がないということは、 嘘になりますね。

瞑想ということは、その意識を高めるということなのです。  

その瞑想というものは何かと言いますと、

この念仏というものと、 瞑想というものは同じなのです。

仏を念ずることが、念仏なのです。 即ち、神を念ずることが瞑想なのです。

念仏と瞑想とは同じものです。

親鸞上人」が、その一例です。 皆様方は、日本の有名な「親鸞上人」は、知っていると思います。 親鸞上人は、非常に知識の高い、博識を持っていました。

彼の読んだ書物は、荷馬車の二合分もあったと言われています。  

一生懸命、勉強して、本を読みましたが、悟らなかったのです。 「悟らなかった。」

どんなに知識を得ても、悟るものではないということを、 彼は悟ったのです。

 

最終的になにを選ばれましたか。念仏を選んだのです。 「その知識は悟りにあらず」と言ったのは彼なのです。

 

 

 

                                                                                                    知花敏彦

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第六話 71~75 二千年前わたしはひとつの寓話を与えた。それは放蕩息子(の話)と称されている。あなたたちがその寓話をもう一度読み直すならば父の愛の深さが解るだろう。

 

 

71

 

此の事があなたたちを誘い、終わりなき光りの流れに乗らしめ、遂にその本源に到達するまで、前へ前へと進ませるのである。

 

72

父なる神は、われわれが父なる神の謙虚さを以て拝する時始めてその偉大さを現し給い、かくして父はその必上無二の愛もて一切のものを安全なる箇所へと挙げ給う。

 

73

二千年前わたしはひとつの寓話を与えた。それは放蕩息子(の話)と称されている。あなたたちがその寓話をもう一度読み直すならば父の愛の深さが解るだろう。

 

74

何人も父なる神から引き離されることはできない。最も不従順な子でさえそうである。しかもそのような子ほど、従順な子よりも愛が一層必要なのである。

 

75

この事がわかると父なる神の慈み深き愛に対する敬慕で魂が一杯となる。なぜならわたしたちの神は人間心の中で造り上げられたあらゆる神々を超越してい給うからであり、わたしたちの父にして母なる神はおよそ人間の考え及ぶ最上の観念をも超越してい給うからである。

 

 

 

       心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

            M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                  霞ケ関書房, 1972   

 

 

             奇跡の御言葉。

 

 

 

 

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参考図書 「スウエーデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた エマニュエル・スウェーデンボルグ   今村光一抄訳・編 

 

抜粋「われ、汝を死後の世界、霊の世界へともなわん。汝、そこにて霊たちと交わり、その世界にて見聞きしたるところをありのままに記し世の人びとに伝えよ

 

この不思議な人物には、その後この世ではもちろん霊界、死後の世界でも一度も会わない。

 

いまの私は、あれが世の人びとのいう神というものであったのか、それとも私自身の気ずかなかった私の心の中の霊であったのかとも思うが、それはさだかにはわからない。

 

ただ、はっきりわかるのは、私がこれを機縁として人間の死後の世界、霊の世界へ出入りするようになったこと

 

そして、いまこうして人類の歴史に例のないこのような手記を書き残すようになったことだけである。      

 

                                                                            本文25p

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備考、

霊界を語る上でこの人の存在ははずせません。後に     *スウェーデンボルグはアンドリュージャクソンデービスの指導霊となって働きかけています。不思議なことに二人とも八十四歳で亡くなっています。あと丹波哲郎さんもたしか八十四歳だと記憶しています。

*スウェーデンボルグの指導霊は(聖書の黙示録を書いた)ヨハネと言われています。                                        

 

                                    蒼氓。

 

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「天界のスウェーデンボルグ」

 

 

 

彼の「死」以来、フィラデルフィアのアーサー・フォードや、インドのサドゥー・サンダー・シングのように、霊界でスウェーデンボルグ接触したと主張する霊能者がいました。

 

 

1928年から29年にかけて、サドゥーはしばしば「尊敬すべきスウェーデンボルグ」に霊界で会った、と報告しました。

 

 

「彼は高いところを占めている」とサドゥーは書きました。」

 

 「彼は栄光に輝く人間であるが、慎み深く、いつでも奉仕しようとしてる」。さらにまた(興味深いことに)「スウェーデンボルグの名前は変わり、彼の高い地位と任務、そしてきわめて美しい性格を表現する名前になっていた」(もう一つの改名でしょうか?)。

 

「彼は無類の幸福のうちにあって、他者を援助することでいつも忙しい」。

 

(彼の最終的な名前が地上の文章に記録されかったのは残念です!)。

 

 

          未来の花嫁

 

ところで、彼はまだ独身なのでしょうか?彼の妻のことについては、だれもが情報を全然こちらへ伝えてくれなかったよう思われます!にもかかわらず、彼の著作「結婚愛」に述べられたスウェーデンボルグ自身の証言によれば、天使はみな結婚した一組となっています。

 

それで当然のことながら、スウェーデンボルグ自身の配偶者はだれかということについて、彼に従った人々のあいだで推測がおこなわれました。

 

彼の知性的な生命を分かちもち、その愛によって彼を動かしている、この女性の天使とはだれでしょうか?彼女は地上の彼の友人または知人のひとりだったのでしょうか?

 

          ・・・ 以後続く

       スウェーデンボルグの神秘的生涯より。

 

 

賛同

「 もし、屠殺場がガラス張りだったらみんなベジタリアンになるだろう。」

 

      ミート・フリー・マンデー

               ポール・マッカートニー

 

光明会、山崎弁栄聖者は虫一つ殺さなかった。    

 霊性の高さいかほどにか。         

 

弁栄聖者 立身石 巖窟。 出口王仁三郎聖師 高熊山。

                                  

                                 蒼氓。

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