真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

「スウェデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編

 

  宗教が説く地獄界は架空の話だった

 

現生で悪いこと、不道徳な生涯を送った者は死後は地獄へ投げ入れられ、そこで永遠の罰を受けるーーーこれは西洋も東洋も問わず世界中の宗教などが説いている”地獄の教え”だから、私がわざわざとり上げて紹介するまでもないことであろう。

しかし、これは私にいわせれば、宗教の上での必要からつくったつくり話で、少しも根拠のない仮空の話である。私の記す地獄は、これとはまったく違った地獄であり、その地獄は別に現世の悪業の報いとして投げ込まれる地獄でもなければ、また地獄に住むというサタン(悪魔の大王)やデビル(区鬼)などにより、霊界の中のひとつの世界として現実に存在する地獄であるからである。

人間の死後精霊となった者のうち、どんな者が地獄にへいくかを一口にいうと、つまり霊に眼ざめず、霊界の存在が見えない精霊たちだということになる。だが、彼らとて宗教の説くように現世で悪業を重ねたために、神のようなものによって罰として地獄に送られるわけではない。彼らは彼らの欲するところによって自ら地獄にいくに過ぎない。ただ、これら霊に真にめざめることのできない精霊の中には、確かに現世で悪業を行っていた者はすべて含まれるから、その点では結果的に、表面的には宗教の教えと同じことのようになるように見えるが、実際の理由は宗教のいうところとはまったく違うのである。地獄へいく精霊は、現世にあったとき、たとえば物質的欲望、色欲、世間的名誉欲とか支配欲などといった人間の外面的、表面的感覚を喜ばすことばかりに心を用い、本当の霊的な事柄を極端にないがしろにした者である。これらの者は霊的事物にはまったく眼が開かれなかったため,精霊界に入ってもやはり開かれない者が多い。このようなわけで、彼らの精霊としての心は、霊界の太陽の光や霊流を自分の内部に吸収することができない。そして精霊界にどんなに長い期間いても、彼らは霊界の太陽の光や熱の与える幸福や霊的理性の輝きを感ずるようにはならず、逆にそのあいだに、地獄界の火に心をひかれ、地獄界の区霊たちに親しみを感ずるようになる。この結果として、彼らは自分の希望するところに従って、その自然の区霊的な心の命ずるままに地獄界に入っていくのである。

 

これは、人間でも似たもの同士が集まるのと理由はまったく同じなのである。

 

 

    

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備考、

 

まったく地獄界は、スザマシイところである。この地獄界ですら、我々が勉強するために存在しているのである。神の叡智は計り知れない。       

                      蒼氓

 

 

  

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