31
神癒という大いなる業は、肉の感官の働きが止み、意識が裡なる天国の方に向った時にのみ為しうるのである
32
これがあなたたちにわたしの与える水である、それはあなたたちが二度とは渇くことのないようにするためである。それはこの水が久遠生命から湧きあがるからである。
33
父と共に見たことについてわたしは語る。神がわたしの父であり、又あなたたちの父でもある以上、わたしがあなたたちを愛するようにあなたたちも互いに愛し合わねばならない。
34
自分の想念と心情を内に向ければ、神の分霊、太初から神とともに在る神の一人子、の暖みを魂は感じ始める。神に依らぬ限り何物も存在することはできなかったのである。およそ造られたもはすべて神を通して造られたのである。
35
子を通して御自らを現し給う父の愛の美しさが解ると、子が神の愛そのものであることが解るであろう。
36
子はこの愛が絶えず自分を通すして注がれていることを知り、かつ把握している。故に子はこの愛を受けると自然にそれを外に現すようになる。わたしがあなたたちを愛するようにあなたたちも互いに愛し合わなければならないのはその為である。
37
あなたたちが為しうることのうち、互いに愛し合い、わたしの教えを守ること以上に大いなるものはない。なぜなら、わたしは父の与え給う真理を語り、この真理があなたたちを無礙自在にするからである。
38
罪は外なる五官の「偽我」に結びついた虚妄である。それは分離と混乱とに属する。
39
世の罪なるものについて非常に多くの人々がお説教をしているが、罪を余り見詰めすぎてはならぬと、わたしはあなたたちに話したことがある。何時までも罪ばかり見詰めておればどうして神我を観ることができようか。
40
自分の内なる神我の方をこそ見詰めておれば、心と胸(ハート)の中にあるこの分離、この混迷、この罪は融け去るのである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972