Marc Chagall (マルク・シャガール)の言葉
人生に必ず終焉があるなら、我々も人生が続く限り、愛と希望の色でそれらを彩らなければならない。
この愛には、生活の社会理論とそれぞれの宗教の本質がある。
私にとって、芸術と人生における完成は聖書の源に由来している。
この由来なくして、芸術も人生も、ロジックと創造性のからくりだけでは結実することは無い。
人生でも芸術でも我々が恥じらうことなく愛という言葉を口にすればすべては変わりうる。
真の芸術は愛にあるのだ 愛だけが私の興味を引く。
だから愛を取り巻くものとしか私はかかわりを持たない。
人生と芸術に息を吹き込む画家のパレットそれと同じように、人生に意味をもたらす一色が人生にはある、それは愛という色 私を幻想的と呼ばないでほしい。
反対に私はレアリストなのだ。
私は大地を愛している。個人的には、私は科学的な傾向は芸術にとって喜ぶべきものとは考えていない。
印象主義も立体主義も私には無縁のものだ。
芸術はとくに魂のあり方なのだと私には思われる。 すべての人の魂は神聖なもので、地上どこにでもいるすべての両足動物の魂は神聖だ。
ただ自分の論理と理性を持つ真摯な心だけが自由なのだ。文学が不条理であろうとも、
最も純粋であると人々に言われる段階にまで達したのは、
魂それ自身によったのである。
ただ神のみが手をかして、
私は自分の絵の前で、
真実の涙を流すのだ。
私の絵に、私の皺、私の蒼白の顔色が残り、そこに、
永遠に流動する私の魂が止まるだろう。
💮 急に天井があいて、光とひどい音をたてて翼のある人が降りる。
部屋は動揺と雲でいっぱいになる。 引きずった翼の触れあう音。
私は考えた。天使だ!
眼を開けることができない。 あまりにも明るすぎ、眩しすぎる。 天使はすっかり調べてから、すべての光と青い空気を持って天井の裂け目から昇って行く。
また暗くなる。 私は目がさめた。 自然を無視する習慣が、今の時代には深く根づいている。 このような態度は、人の顔を決してまともに見ない人々を連想させる。
私は彼らが動揺し、常に目をそらそうとそているのが分かる。
とにかく働くことだ。 いつでも仕事をして 一時思い悩むことがあってもまた、すぐさま仕事を始めなければダメなのだ。 気が遠くなるほど働いてやっと、理想に近づきたいと考えられるようになる。 自分自身を完全に打ちこませなければいけない。
仮に99%しかのめりこめないのであれば情熱が足りないか才能が足りないかのいずれかだ。
僕の全生活は仕事で成り立っている。 他のことはどうでもいいことなんだ。
もちろん、愛や死や誕生は大きな衝撃だけれど、それでも仕事は全く同じに続いていく。
ベラが死んだときには、僕は何か月も仕事ができなかった。
僕が仕事を休んだのは、そのときが初めてだったよ。
仕事ができなくなったら、僕は死んでしまうだろうね。 内側から駄目になってしまう。 休日は仕事のためにあるんだ。 仕事をしない日は、僕にとってはないも同然なんだ。 一歩前進した、問題をひとつ解決した、何かを発見した、と思っていたいんだよ。
何でこんなふうにいつも走っていなければならないんだろうか。
たぶん僕は絶対に見つけることのできないものを永久に探し続けているんだろうね。
芸術家が絶対に満足することがないというのは、何てありがたいことなんだろう。
そうでなければ仕事をやり続けることなんてできないよ
『シャガール わが回想』
*****************************************************************************************************
参考、
💮ちなみに、この夢を再現した『出現』という作品があります。
『出現(L'APPARITION)』