第1話
66
磔刑とは、人はすべて十字架にかかるとの意味である。
あらゆる者がそれぞれのゲッセマネ(マタイ伝26章36節以下。マルコ伝14章32節以下。ルカ伝22章39節以下)の門をくぐらなければならない。或るものは或る道を
行、或る者は他の道を通って。こうしてあなたたちは自分自身の経験によって浄められていく。
67
生命を再び得んがために十字架にわたしの生命をかけよれによって生命を再び得たことがあらゆる経験のなかで最大のものであった。しかしそれはわたし自身のためではなく、およそ生きているすべての人々、そして又「わたしを信ずる人々が決して死なないようにするため」であった。事実彼らは久遠の生命の秘蹟をすでに得たのである。
68
次に来るのが蘇りである。死に定められたこの肉の身よりの魂の蘇りである。神我(キリスト)は肉の中に顕現した神の霊であり、昇天とはこの実在を真に認識すること、久遠の神我(キリスト)を真に把握することである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
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参考、
イエスはなぜ、十字架に架かったのですか。・・・
自らの肉体とひきかえに、
復活して、永遠の生命があることを教えたのです。
蒼氓。