真理との邂逅 高級霊のメッセージ    無限なる愛と無限なる叡智をあなたへ

成長と理解との秘訣は柔軟な心を持つことである。・・・。親愛なる友よ、静穏の中、心奥の心の声で【霊読】御読みください。わたしが今あなたたちにしているこの話はあなたたちの心をあらゆる生命の本源に一層近づけつつあるのである。 十二話70   人は幾度も幾度も人によって傷つけられ、自分自身の愚行によって十字架につけられて始めて彼は、神の分霊を通してすべてのものが「大いなる一体」であることに開眼する。十四 話 34 、完全の中にいては完全は解らない。神の中にいては・・・  

明治時代の終わり頃ですが、旭川、(明治時代の旭川駅)に長野政雄という鉄道職員(庶務主任)がいました。

 

 

 

 明治時代の終わり頃ですが、旭川、(明治時代の旭川駅)に長野政雄という鉄道職員(庶務主任)がいました。

彼はクリスチャンでしたが、大変信仰厚く、性格は極めて温容で人徳のある立派な人物であったと伝えられています。

彼はその生活も実に質素で、洋服などもみすぼらしい服装であったと言われています。

また、非常に粗食で、弁当のお采なども、大豆の煮たものを一週間でも十日でも食べていたほど質素であったそうです。というと、甚だ吝嗇(りんしょく)のように思われるかもしれませんが、そうではなく、国元の母に生活費を送り、神様に多くの献金をしていたと聞きました。そして、伝道にも熱心で、略伝を引用すれば、「其の立ちて道を説くや猛烈熱誠、面色蒼白なるに朱を注ぎ、五尺の痩身より天来の響きを伝へぬ。然るに壇をくだれば、あい然たる温容うたた敬慕に耐えざらしむ。」とあります。

氏の人柄と信仰を垣間見ることのできる一文です。   

  

そして、長野政雄氏は、稀に見る立派な人格の持ち主であったのか、他の勤務地で問題のある怠惰な者、粗暴な者、酒乱な者など、どうにもならないような余され者が彼の所に回されて来ると、たちまち変えられ真面目に働くようになったと伝えられています。

次のようなエピソードがあります。彼が札幌に勤務していた頃、職場にAという酒乱の同僚がいました。彼は同僚や上司からは無論のこと、親兄弟からも、甚だしく忌み嫌われていました。益々、やけになって酒を飲み、遂には発狂するに至ったとうことです。当然職を退かざるを得ないことになりました。Aの親兄弟は彼を見捨てました。ところが一人長野政雄氏は、親兄弟までに捨てられたAを勤務の傍ら真心をこめて看護し、彼に尽くしてやまなかったというのです。

しかも、全治するまで、彼を看護し続け、上司に何度も懇願し、復職するまでに至ったのであります。まさに、愛の権化のような人格を持った人物であったのです。     さて、このような長野政雄氏ですが、明治42年2月28日夜、鉄道職員として、その信仰を職務実行の上に現し、人命救助のために殉職の死を遂げたのです。その日の夜は、なぜか最後尾に機関車がついていなかったため、急坂を登りつめた列車の最後尾の連結器が外れ、客車が後退をはじめたのです。そのとき、偶然、乗り合わせていた鉄道職員の長野政雄氏がとっさの判断で、自らの体をブレーキ代わりにしようとして線路に身を投じて、自分の体で客車を止めたのです。そして彼は殉職し、乗客は救われたのです。何か、思わず身震いするような感動を覚えないでしょうか。

 

愛の大きさは、その人の払った犠牲の大きさによって量られる。と言われますが、

 

他人のために自分のいのちを捨てるほど、大きな犠牲はありません。     

 

彼は乗客を救うために身代わりになって死んだのです。この長野政雄氏の殉 職の死は、後々まで多くの人に感銘を与え、語り継がれました。

長野政雄氏が塩狩峠において犠牲の死を遂げたことは、鉄道関係者、キリスト信者などはもちろんのこと、一般町民も氏の最後に心打たれ、感動してやまなかったと伝えられております。彼の殉職直後、旭川、札幌に信仰の一大のろしが上がり、多くの人が信仰に入ったと伝えられています。三浦綾子さんの小説は、多くの部分ががフィクションですが、長野政雄氏が、多くの乗客を救わんがために、自らの命を投げ出して、殉職したことは紛れもない事実なのです。

 

 

 

その夜の不思議な出来事  

 

 

長野政雄のこの生涯をもとに、作家の三浦綾子氏は、小説『塩狩峠』を著した。

この小説は、長野政雄の生涯そのものではないが、それをもとにして描かれたものであり、読んだ人々に深い感動を与えている。この作品はまた、映画化された。  

 

じつは塩狩峠の事故があった夜、長野の通っていた旭川六条教会で、

 

ある不思議な出来事があった。

 

当時のその教会の牧師・杉浦義一氏の三男・杉浦仁氏は、こう述べている。  

「ちょうどその日二月二八日、集会の終わりに近い午後九時前後かと思いますが、駅からの使いで急変が知らされました。

 

しかし最初、一同はいっこうに驚きませんでした。  

 

なぜなら、

 

少し前に長野氏が遅れて教会にやって来て、前方のいつもの席でお祈りしていたからです。

 

ところが、あらためてその席を見ると彼の影も形もなく、初めてびっくりしたという事件がありました」。  

 

この出来事は、一体何だったのか。皆の勘違いだったのか。

 

しかし、長野の亡くなった夜、多くの教会員が彼の祈る姿をそこで目撃したというのである。  

 

余談だが、このようなことは、長野政雄以外にも起こっている。

 

本書で先に取り上げた「ある死刑囚」の手記にも、同様な体験が載せられている。

 

この死刑囚は、獄中で回心し、キリスト者となって残された短い日々を過ごした人であるが、その回心の背景に、当時の偉大なキリスト者永井隆博士(長崎で原爆症の研究をした人)との、手紙を通じての心温まる交流があった。  

 

その死刑囚は、回心以来、尽きぬ平安に満たされて、眠れない夜というものがなかった。ところがある夜、彼は何か心にざわめきを感じて、どうしても寝つけなかったという。  体に何の異状もなく、何の思い煩いもないというのに、寝つけなかったのである。

彼はとうとう起きて、一睡もせず、朝まで聖書を読み明かした。  

翌朝のこと、彼は永井博士の召天の報を、耳にしたのである。

 

そのときのことを、彼は手記に次のように記している。

 

「私は、博士の短冊(彼が博士からもらった聖句入りの短冊)の下で机の前に座し、頭を深く垂れて、  

ああ、そうであったか! 昨夜私があのように一夜眠れなかったのも、博士との友情を、主がよみされたからに違いない。不自由な身体を離れた博士の霊が、第一番にこの獄舎に来て、「覚めて祈れ」との主の御言葉を教え、励ましてくださったのだ』  

と思い、感謝の涙を抑えることができずに祈りました」。  

彼は、前の晩不思議にも眠れなかったことを、博士の霊が獄舎に来てくださったから、と解釈したのである。

同様に、

長野の死後、長野の祈る姿が教会で見られたという先の出来事も、はたして肉体を離れた彼の霊であったのか。  

臨死体験者(ニアデス体験者)は、肉体の死後も霊はしばらくこの世にいることがある、という証言をしばしば行なっている。こうした出来事は、そうした証言をも思い起こさずにはいられない。  

長野が教会で祈っていたというあの出来事は、彼の人生全体を象徴するものである。

 

彼の人生は、愛と祈りの生涯だった。  

 

列車の事故は突然のことであり、長野は自分の人生の最期を前にしたあのとき、充分な祈りの時間を与えられなかった。それで死の直後、天国に召される前、彼の霊は神のご配慮によって、しばらくの間教会で祈る時が与えられたのかもしれない。  

長野政雄の霊は、今は主の御(み)もとで深い安息を得ているであろう。

私たちも死後天国へ行けば、彼に会えるのである。  長野政雄の生き方は、今日も私たちの心に生き続けている。

主イエスが言われたように、  

「人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていない」                                                                                       (ヨハネ一五・一三)。

 

 

参考、

 

吝嗇」(りんりょく)の意味はひどく物惜しみする・こと。

 

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            第二の聖書

 

愛する人々の死 あなたたちは自分達の間から偉人が死んでいくのを損失だと思う。

 

しかしそうではないのである。

 

なぜならばこれら

 

偉大なる精神の所有者達はますます偉大になっていき、あなたたちを置去りになど決してしていないからである。

 

彼らはこれまでよりも猶多く実在の中に生きている。

 

故にあなたたちは何ものをも失ってはいず、むしろこれまでよりも多くのものを得ているのである。

 

あなたたち自身の身罷(みまか)った愛する人々を考えてみるがよい。

彼らを失ってしまったとあなたたちは思い込んでいる。

 

わたしは保証するがそれは真実ではないのである。

 

彼らはこれまでよりも優れた者となっており、これまでよりもあなたたちに

 

近いのである。

 

従って又、わたしもあなたたちを置き去りにしたのではなく、

 

依然としてあなたたちと偕にあることが、今解ったであろう。

 

わたしは世に在って世を変え、

 

すべての人々が内在の真理を悟り、自分の神性を自覚するようにすべての人々の心を高めつつあるのである。

 

あなたたちは自分自身の真我を知れば知る程わたしを一層理解するようになるであろう。              

 

 

 

 

 

 

                      心身の神癒―主再び語り給う                 

 

                                               第2話 24-27 

 

 

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徹底した愛の人  

 

 

このような徹底した思いやりと愛を、彼は生まれつき持っていたのか。そうではないであろう。

彼は、主イエスの愛を思うにつけ、自らの身を打ちたたき、実行的信仰の階段を一歩一歩上りつめていったに違いない。  

残念ながら、長野政雄の日記や手紙等は、彼の遺言(ゆいごん)により、彼の死後一切が焼却された。

そのため今日、彼自身の心の内面を詳しく知ることはできない。  

もしそうした手記等が残っていれば、心の内面をもっと知ることができたのに、と惜しまれる。

彼はどのように回心に至ったのか。彼にも心の葛藤や、悩み、信仰の成長の段階等があったはずだが、それらはどうだったか。

それらは今日知るよしもない。  

しかし、彼の心の内面をよく象徴していると思われる、ある事実がある。

それは彼が、日頃から遺書を、自分の内ポケットに秘めていたことである。  

彼は、神と隣人のためには、いつでも命をささげると心に決意していた。

それは自分の人生を忌み嫌っての遺書ではない。

自分の命を愛のために捧げる、との決意をあらわす遺書だったのである。  

彼は遺書を、いつも自分の身につけることにより、愛のためにはいつでも死ねる覚悟をしていた。彼は、いつ死んでも自分の人生の清算はできている、と言えるような生き方を欲したのである。

 

人生の終わりを見つめて生きている人と、人生の終わりを考えないで生きる人とは、たしかにその生き方に大きな差がある。

 

死は、それまでの人生の集約である。

いかに死ぬかは、いかに生きるか、ということである。

 

彼の心には、いつもあのキリスト・イエスの十字架の姿が映じていた。

主イエスは、私たちのために命を捨ててくださった。

私たちを、罪と滅びの人生からあがない出すために、身代わりに命を投げ出してくださったのである。  

主イエスの愛により、私たちは「愛」ということを知った。

いまや長野の心には、主イエスが生きておられたのである。  

長野の人柄をよく知っていた杉浦仁氏は、こう書いている。  

「長野政雄先生は、父杉浦義一の最も信頼していた愛弟子であり、片腕でもあった関係で、ひとしお感銘深いものがあります。

一個の人間像において、

長野氏のようにあらゆる美徳を兼ね備えた人物は、絶無といっても過言ではありません。・・・・  

上司、同僚、下僚、友人・・・・彼を知る限りの人から敬われ、愛され、親しまれた事実は、そのことを雄弁に物語っています。

 

自己に関しては非常に厳格でしたが、他に対しては寛大でした。

長野氏がかつて人を非難し、批評したことを私は知りません」。  

また当時の彼の友人だった旭川六条教会員の山内氏は、  

「君は愛の権化(ごんげ)と言ひて可なり」  と書き記している。

 

 

 

明治42年2月28日夜、塩狩峠に於いて、最後尾の客車、突如連結が分離、逆降暴走す。 乗客全員、転覆を恐れ、色を失い騒然となる。 乗客の一人、鉄道旭川運輸事務所庶務主任、長野政雄氏、乗客を救わんとして、 車輪の下に犠牲の死を遂げ、全員の命を救う。

 

その懐中より、クリスチャンたる氏の常持せし遺書発見せらる。

 

苦楽生死 均(ひと)しく感謝。余は感謝して全てを神に捧ぐ。 上は、その一節なり。30才なりき 

 

 

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 備考、

 

数年まえ、この方を知ったのですが、どんな人だろうと思い、いろいろ調べたのですが。そのお顔の写真がありましたので、納得しました。

心は顔にでるというが、 なぜこうも、崇高な御顔なのだろうか、なぜ、こんなにも優しい御顔なのだろうか・・・

余談ですが、村田奈津恵さんの時、感動して花を手向けてきました。

 

                                                                                                   蒼氓。

 

 

 

参考↓

 

  

 

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