真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

偶像や肖像(にすがた)は心の中にある象微にすぎない。そんなものより得るところは殆ど無い。

 

 

1話

 

 

 

103

 

偶像や肖像(にすがた)は心の中にある象微にすぎない。そんなものより得るところは殆ど無い。われわれは神の愛を知り且つ現わさなければならないのである。キリストは神のみ霊であり、愛によって天と地における一切の力を与えられているのである。

 

 

 

104

人々は二千年におきた「イエス」癒しに神秘の思いを抱いているが、現在あなたたちの間でおきている癒しと殆変わりはないのである。只ひとつ変っていることは「神癒の媒体として」使われているのが「イエスとは」別の人物の場合もありうるという事実である。しかし癒すのは同一の神我である。

 

 

 

105

真実なるものが愛の原理である。神は積極的、創造的、かつ至純なる想念によって宇宙を創造り給うた。宇宙は神の本性たる『』の表現である。この神性エネルギー()こそは、われわれを御自身に肖せて創造り給うた神にわれわれを固く結びつける久遠の環である。

 

 

 

                                                                                                                         

         

 

                             心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                   

                                     M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                         

                                                       霞ケ関書房, 1972  

 

 

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備考、

 ①至純

《名ノナ》この上なく純粋なこと。 「―な愛」[名・形動]まったくまじりけのないこと。この上なく純粋なこと。また、そのさま。「―な(の)愛」

 

                         素晴らしい言葉です。

                              

                                蒼氓。

 

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偶像や肖像(にすがた)は心の中にある象微にすぎない。そんなものより得るところは殆ど無い。

 

某、新興宗教は、偶像や肖像(にすがた)を提供して、資金源にしているが。

  最近、自分の息子が組織内のことを暴露しているが。 

  洗脳された、信者は知るよしもない。 宗教の怖いところである。

 

 

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