はしがき
この講話が述べられるようになった経緯を説明するのは不可能と思われる、なぜなら説明したところで自分の意見を述べる丈であって、それも又不正確であるかも分からぬからである。しかしわたしの得た感じを読者諸氏に述べることはできよう。
この講話の始まる前数ヶ月間というもの、睡眠中、明らかにわたしに話しかけている或る声が聞こえては目を覚ましたものである。夢でも見ているのかと思ったが夢ではなく、ほんものの声であった。しかしそれがわたしの声であったか、それとも誰か他の者のそれであったかは定かではない。
その声を聞くと同時にその意味が推し量られるのが不思議であった。
こういう体験を幾度も繰り返した後、その声は、適当な時期が来れば特別の講話をしようというのであった。
いよいよその時期が到来した。するとその声は、出席者が選定されたら或る日の夜に話を始める、とおしえてくれた。その日以後は、講話の続いている間中は何人も入れてはならないこと、これらの講話は速記をし、テープ・レコードにも取って一語も失わぬようにしなければならぬこと、になった。
やがて指定の講話の夜が来て、わたしは講堂に坐をしめた。これから何が起きようとするのか、わたしは少なからず不安だった。丁度その時、千ボルトもの電流がわたしの全身を貫く感じがした。巨大な或る力。わたし自身の意識を遥かに超える或る意識がわたしに臨んでいるのを自覚したが、わたし自身の意識を失いはしなかった。それどころかわれわれは或る不思議な方法で結びついていたのである。しかしその方法はわたしには説明できない、なぜならわたしには解らないからである。
やがてわたしは自分の声を聞くことができた。しかしそれは何時ものわたしのそれとは違っいた。それは大いなる権威、絶対的英知をもてる人の権威を似て語っているのである。わたしは語られることに極めて注意深く耳を傾け、嘗て体験したこともない程明瞭それを理解しえたのであった。
語られる言葉には毛筋程の欠点もなく、講話のつづく間中淀むことなく、完璧であった。わたしは驚嘆した、なぜなら、かくの如きは何人の頭脳を以てしても真似ることができないからである。しかもそれが二週間長きに亘って各週毎に繰り返されたのである。
これらの講話をテープ・レコーダーで改めて聞いた時始めてわたしは、常ならぬまでに美しき何ものかが起きたことを思い知ったのである。読者諸氏はここにその語られたるものをみずから読むことができる。もしそれが、わたしや、これらのみ言葉を直接に聞く特権を得た人々に与えたように、慰めと満ち足りた思いとを読者に与えるのであれば、み言葉もまた無駄ではなかったことになる。
これらのみ言葉は、一語たりとも勝手に加えることなく、又一語たりとも勝手に削ってはいない。
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同席した聴講者、聞法者たちの数多くの体験のうち、若干を次の数頁に録しておいた。
M・マクドナルド・ベイン
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備考、
まさに、奇跡の書、としか言いようがない。
たんきゅ者、蒼氓。