真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

③本能的欲望のままに、地上時代の快楽を求め続ける未熟霊ーー”地縛霊”

 

霊界に入っても死を自覚せず、いつまでも生きていると錯覚している霊(自縛霊)の中には地上時代と同じように物質的・本能的欲望を追求し続ける者がいます。彼らは地上の本能的人間に働きかけて、間接的に肉体的快楽を味わったり、地上人をそそのかして悪の道にさ誘い込んだりします。

 

そうした霊の多くが地上生活において肉体的快楽を最優先して求めてきました。そのため肉体的快楽の刺激が魂(霊的心)にまで染み込み、肉体を脱ぎ去った後も、それが心を占めるようになっているのです。彼らの意識は常に地上に向けられ、いつまで経っても霊的向上の意欲が芽生えてきません。結局、彼らは地上時代と同じように肉体的快楽を求めて活動することになります。地上の酒飲みや麻薬中毒者・淫乱者の背後から忍び寄り、その肉体を共有して(*地上人に憑依して)快楽の感触を味わおうとするのです。こうして霊界に行ってからも、さらなる罪をつくり続けることになります。

 

またこの手の未熟霊の中には、意図的に地上人のオーラの中に侵入、悪質な憑依現象を引き起こす者がいます。このタイプの未熟霊は典型的な「低級霊・邪悪霊」で、彼らが存在する場所は、地上に近い幽界の最下層に限られます。特に地上人の物欲・本能欲の渦巻くような場所にたむろして住みつ着きます。

 

 

           (3)霊的世界からの妨害者

                 低級霊・邪悪霊

 

            スピリチュアリズム普及会 第一公式サイトより

                          必読を進める。

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 (一)霊主肉従の努力(霊優位のための自己コントロール

 

「霊主肉従」と「肉主霊従」 私たちの心は、霊本来の意識(霊的意識)と、肉体に由来する本能的意識の二つから成り立っています。

 

地上においては、この霊的意識と本能的意識を“心の内容”として認識しています。

ところがこれら二つの意識の方向性は相反しているため、心の中で絶えず霊と肉とが葛藤するようになります。

地上という物質世界にいるかぎり、本能的意識(肉体的意識)が力を持ち、簡単に霊的意識を閉じ込めてしまいます。

その結果、本能的意識が心の中心を占めるようになり、心全体が“利己性”を帯びるようになります。

 

こうした心の状態を「肉主霊従」と言います。それとは反対の状態、すなわち霊的意識が本能的意識を抑え、心全体を支配するようになることを「霊主肉従」と言います。

「霊主肉従」は、心が霊優位になった状態のことです。

地上人の心は、「霊主肉従」か「肉主霊従」のいずれかの状態にあります。

また一日のうちでも、この二つの状態の間を揺れ動いています。

地上人は、大きく「霊主肉従」をベースにしている人間と、「肉主霊従」をベースにしている人間の二つに分けることができます。

肉体を持っているため、一日中すべての時間を完全な霊主肉従の状態で過ごせる人はいません。

誰でも霊主肉従の清らかな時間と、本能的意識(物質的意識)に支配された時間をともに持っていますが、

全体として見たとき「霊主肉従」の方が多い場合には「霊優位の人生を送っている」と言えます。

現在の地球上では、霊優位の人生を送っている人はごくわずかです。

大半の人間が、物質的欲望にどっぷり浸かった生き方をしています。日常のほとんどの時間が「肉主霊従」となっています。

 

 

 

               続スピリチュアリズム入門> 第2部 霊的真理の実践

   (霊的成長のための実践論)  ――第2章 霊的真理の実践内容(霊的人生の実際)

 

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