一点の曇りもなく霊的真理を確信できた人間は真の自我に目覚め霊的可能性を知ることになると私たちは信じているのです。
生命は死後も途切れることなく続くことに得心がいきます。
霊的自我に目覚めたその魂にとっては、その時から本当の自己開発が始まるのです。
そして霊的知識に照らして自分の人生を規制するようになります。
自然にそうなるのです。
それによって内部の神性がますます発揮され、霊的に、そして精神的に、大きさと優雅さが増してまいります。
容易な手段で得られたものは容易に棄て去られるものです。
霊的熟達の道は長く、遅々として、しかも困難なものです。
霊の褒章は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。
霊的卓越に近道はありません。
即席の方法というものはありません。
奮闘努力の生活の中で魂が必至の思いで獲得しなければなりません。
聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることができるとしたら、神の摂理はまやかしであったことになります。
それはまさしく神の公正を愚弄するものです。
一人ひとりの魂が自分の努力によって成長と発達と進化を成就しなくてはならないのです。
そうした努力の末に確信を得た魂は、もはや霊的真理をおろそかにすることは絶対にありません。
地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。
もしも魂が目覚めないままに終われば、その一生は無駄に終わったことになります。
地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかったことになります。
地上で目覚めなかった魂は、霊界では手の施しようがありませんから、もう一度地上へ誕生せざるを得ない場合があります。
霊的自覚が芽生えるまでに地上の年数にして何百年、何千年とかかることもあります。
(引用;シルバーバーチの霊訓(8))
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