十一章 なぜ神に祈るのか
〝あなたはなぜ神に祈るのですか〟と問われてシルバーバーチは〝祈り〟の本来のあり方について次のように述べた。
「それは、私に可能なかぎり最高の〝神の概念〟に波長を合わせたいという願いの表れなのです。
私は祈りとは魂の1憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。
ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。
われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。
要望は口に出される前にすでに知れているのです。
なのになぜ祈るのか。
それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。
その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。
僅かな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることが出来、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。
利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーのムダ使いをしているに過ぎません。
それらには何の効力もないからです。何の結果も生み出しません。
が、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましと決意を授かり、祈りが本来の効用を発揮したことになります。
シルバーバーチ 7巻
1憧憬=しょうけい=あこがれる=強く心を引かれる。