真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

幸福とは一般に相対的なものです、不幸な状態と比較して幸福だと思うものです。

貧乏とか病気とかのない、私共よりもっと進歩した世界の人達は、私共が感じる以上に幸福を感じていますか。

 

幸福とは一般に相対的なもので、不幸な状態と比較して幸福だと思うものです。私共よりましだとはいっても、完全というわけではありません。従って、そういう世界の住民達にも悩みや心配事がある筈だと思います。

地上でも金持達は、貧乏人のような苦しみはないとしても、それ相応の悩みがないとは申せません。つまりですね、我々には我々の幸福度の基準というものがあるように、そういう進歩した世界の住民達にも、独自の幸福度の基準があって、その尺度によって自分達を不幸と考えないのかと、こういうことです。また彼等も私共のように、自分の運命に不足を言うことはないのかと、幸福度の尺度になるような過去の悪い状況の記憶はないのかと、こういう質問です。 「この問いには二種の回答がある。先ず、お尋ねのような住民達の中、過去生の記憶が明晰正確にあって、それ故に神から授かったままの幸福が享受できる、また享受している、そういう人々の世界が存在するということ。

またこれとは違って、

質問のような地上より進歩した状況にありながら、多大の苦悩や不幸さえも背負っている、そういう世界もある。

①彼等は過去の不幸な状況の記憶がない為に、現在のより進んだ状況を、そのように感じとれないのである。しかしながら、彼等には正しくその状況が感じとれないとしても、霊界に戻った時には、正しい評価が分かるのである」

 

                             霊の書  10章 地上への再生より

 

*****************************************************************************************************参考、

 ①  「苦しみは、喜びの深さを知るためにある

                            チベットの諺

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