真理との邂逅 高級霊のメッセージ    無限なる愛と無限なる叡智をあなたへ

永遠の愛の奇跡の言葉をあなたへ。親愛なる友よ、静穏の中、心奥の心の声で【霊読】御読みください。 もはや遥かなる神なるものを説く者達に聴くことをやめよ、吾が裡なるみ霊に耳を傾けよ、そこにこそ真理は宿る。 第九話 43 無智なる者は生命なきものを崇拝め、賢明なる者は神の中に生きる。 第十一話 28      愛こそは唯一の実在にして常在である。然らばこの「常在なるもの」は一切の条件に制約されない永遠そのものであることを悟得するがよい。 第一話 77

丹波哲郎対談より。

 

 

池口恵観さん ( 高野山伝燈大阿闍梨 )

                      

僧侶の中でも最高 峰の位、高野山伝燈大阿闍梨でいらっし ゃる鹿児島最福寺 の池口惠觀さんを御紹介しています。     

今月も、大変興味深いお話が聞けました。僧侶の世界では、霊界の存在を否 定する方が多い中、池口さんは全く違った 考えをしています。

21世紀は、きっと宗教と科学の境界線はなくなり、西洋文化が 追求し続 けても判らなかった様々な事柄が、既に大昔から東洋文化が行き着い ていた事実に気付く時代でもあります。    

池口さんは、この激 動の時代に、厳しい「行」を通し、多くの人々の苦しみを自   分の苦しみとして、人の為だけに生きている方なのです。                         

 

                                                  生命は宇宙の一部

 

 

 

 

池口 

私たちは、霊を信じるから行が出来る。信じられなかったら行は出来ないんですね。  つまり、肉体はなくなったら土に帰る。魂=霊は残るんです。宇宙に偏満するんです。真言密教では「大宇宙大生命体」を「大日如来」というんです。その大生命体から生み出され、また大生命体に帰って行くのです。

丹波

まさにその通り。霊とは、宇宙全体の生命の一部分が我々に届いている。だから肉体など問題じゃないんですね。   ところで、池口さんは何故修行をするんですか。

 

 

                                            なぜ「行」をするのか

 

 

池口

1*いろろいな人達の苦しみを体験するわけにはいきませんから、苦しい「行」を通じて、皆さんの苦しみが、自分の苦しみとして解りたい。

そして、人の為になりたいと考えるからです。  

ただ「行」をして何かを悟っても、それで終わりだったら自分の為だけですから、それではだめなんです

「行」をすることは、人の為に生きるということなんです。

丹波

素晴らしいですね。大勢の者たちのカルマを、御自分が背負ってでも、やってやろうという意気込みで、伝統ある行者の家に生まれて来たんですね。  使命を感じていらっしゃることでしょう。

 

池口

何回生まれ変わってきても、皆さんの為になるような「行」をしたいというのが願いですね。 「行」では、八千本の護摩木を焚きます。それを弟子たちが私に渡して行くわけです。弟子の中に最後の護摩木を持ったまま、私に渡そうとして死んだ者がいます。ものすごく綺麗な顔をしていました。「行」をしている者は誰しも人の悩み・苦しみをお祈りしながら死んでいきたいと常に思っています。  

私も、読経しているときに、何とも言えないきれいな所へ行くときがありますが、そういう中にスーっとひかれて霊が離れていったのではないかと思いますね。

丹波

本当に素晴らしいお話が今日は聞けますね。

おっしゃるように、死ぬと言うより、肉体という着物を、どうやって脱ぎ捨てるかが問題なんですよね。

池口

そうですね。人の着物を破いたり(他殺)、自分の着物を破いたり(自殺)したら、この時は大変だと思いますね。  親(大日如来)から、せっかく頂いた着物ですから、大事にしなくてはいけないのに、粗末にしたら親は怒ります。  そういう時は、自分たちの魂が、すんなりと親の元には帰れないんですね。

そうしますと、どなたかに頼らないと成仏出来ないんです。

丹波

これを注釈すると、死んだ場合、守護霊様の指導が必ず必要です。守護霊様は私たちを常にガードしてくれています。こうしている今現在もそうです。そして、あの世の行くべきところへ連れていってくれます。  

だから、生きているときから守護霊様と親しまないといけません。守護霊様は、大勢の人達にやさしい心を持っている者を喜びますから、ガードしてもらいやすくなります。  これが、仏教で言う成仏ということになります。

池口

人を大事にし、人を喜ばすと「徳」として残る。それが、子供や孫に、そういう「徳の花」が咲くんですね。

丹波

徳」というのは、人の為に尽くした業績の集まりです。自分だけの為にやったことは「悪行」で、他人の為に尽くしたことは「善行」として積み重なるということですね。  

         

                                                     生命とは?

 

池口

生命とは、海の水をすくって、その水が再び海の中に帰っていく、そんなものだと思うんです。それが永遠なんです。それを信じるから「行」が出来るんです。

丹波

そうですね。生命が永遠なら、心に余裕が出来て、人の為に尽くそうと思えるわけです。  たとえば、車を運転していて、時間があれば、他人に道を譲ろうとします。「ありがとう」という合図に対して「いいんですよ」と答える。そうすると、一日気持ちがいいじゃないですか。でも、時間がなければ、我先にと争いになるでしょう。事故も起こすかも知れません。生命とは、時間があるどころじゃない、永遠なんですね。  如何に生きるかが、後々自分自身に帰ってくるんですね。 『情けは人の為ならず』です。人に対しての思いやりは、巡り巡って自分自身に返って来るんですね。 今日は本当に有意義な時間ありがとうございました。

                                                                                                                                      《おわり》 

 

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備考、

1*皆さんの苦しみが自分の苦しみとして解りたい、そして人の為になりたいと考えるからです。

をするということは、人の為に生きるということなのです

 

ほかの人の痛みをそのまま体験することはできません。けれども、

共感することならばできます。

 

                                                                                                              日野原重明

 

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