ダスカロスとの質疑応答
あなたは、瞑想時間が1日に7時間にも及んだり、あるいはリトリートが何ヶ月や1年にも及ぶような方法には賛成しないと思いますが、どうでしょうか?
そのようなやり方は、ある伝統の中では適切かもしれませんが、私たちはキリストの教えの中で、奉仕にあることを考え、助けを求める同胞のために支援を放棄すべきではないと考えています。私たちは、世界との関わりを強調していますが、それらに隷属することではありません。ジョシュアも次のように述べています。
「わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです」
適切な瞑想の時間については、どのように考えられますか?
このように考えては如何でしょうか。例えば、あなたが1本の“苗木”を持っているとしましょう。あなたは日当たりを考え、良い土壌をあたえ、毎日ある程度の水をやるとします。そうすれば、それは予定通りに育つでしょう。しかし、もしあなたがそれを太陽の強い炎天下にさらし、あるいは根にあふれるほどの水をやれば、それはしなびて枯れてしまうでしょう。
すなわち、瞑想をやりすぎると、瞑想過多の危険性として、瞑想期間と正常な意識時間との間に極端な分離感をつくり出してしまいます。私たちがお勧めするのは、1回15分程度を基本として、長くてもせいぜい20~30分程度の瞑想で、1日に2~3回程度でしょう。 私は、瞑想過多による神経システムの深刻なトラブルをいやというほど診てきました。私たちはまさしくこの世界に生きていて、弁証法的に現実世界と向かい合って行くべきなのです。
より高いレベルのエクササイズや瞑想とは、原因、原理、イデア、そして法則を探求し、同期させて行くことであり、最終的には“一体化”させることを意味しています。それぞれの「実現性の循環」は、「全なる愛」、「全なる力」、「全なる智恵」という“神聖なる支配力”に従って働いています。これらの最も完全な生命の力と言うものは、私たちの「大天使的人間の形態」の内に存在しています。
真実の「エクスタシー」というものは、私たち自身を「神聖なる存在」と一体化することなのです。
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