霊的法則を知らなかった為の矢敗
期待をこめて床に着きながら何事もないまま数日が過ぎた。そしてやっと三回目の霊界旅行を体験することになった。
この時は、同じように受身の姿勢を保っていたが、屋根と樹木の薄ぼけた輪郭が私の身体の下を通り抜けているのを見ているような感じだった。そこで私は意志を働かせてその映像から注意を外させた。
私の考えではそれは地上的映像であり、それに気を取られるということは地上へ意識を戻すことであり、霊界旅行の妨げになると思ったのである。私にしてみれば、たった一度の旅行でも無駄にしたくないという気持ちだったーそれほど興味津々だったのである。
間もなく動作の感覚が消えた。周りを見渡すと、私の目に映った限りではたった一人きりで明るい片田舎に立っていた。
そこえ突然妻が近づいてくるのが目には入った三十メートル程先である、私に見覚えのある足取りで笑い顔を浮かべながら近づいて来る。その時の私の気持ちは「ああやっと再会出来た」という思いで一杯だったと述べる以外に言い表しようがない。その時の光景はそれまで何度か霊視していたものより遥かに鮮明だった。妻は自宅に置いてある肖像写真と同じコートと思えるものを着ていた。
その写真のことを思ったことが間違いの発端だった。いつもそれを眺めては心に抱いていた哀惜の念が湧いたのである。すると突然私はそのシーンから後退し薄い闇の中をグングン引っ張られてゆくの感じた。
その瞬間、私は間違ったことをしたことに気づいた。ベットに戻ってから、肉体の感覚のなかで私は残念無念に思った。が私が一方的に悪いのである。哀惜の念は地上的無知の産物である。つまり死を永遠の別れとして悲しむ情である。それは真実を完全に無視した情であり、霊的法則に反し波長を下げることになる。
私はまだ霊界の住人ではない以上、その低い波長は肉体には適切である。結局私は地上で生活するような具合で無知のままで霊界で暮らすことは許されなかったのである。間違ったことをして一体どうして神の法則に特別の計らいを期待出来ようか。果たせるかな、その夜は天井に例の成功のシンボルは見られなかった。
私の霊界紀行
驚異の幽体離脱体験記
F・C・スカルソープ・著 近藤千雄訳
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