大きな地響きとともに、彼の立っていた地面がまっ二つに裂けたのだ。そして、この裂け目は彼の目のとどく限りの霊界のはてまで一瞬のうちに広がっていった。中から暗黒のどれだけの深さとも知れぬ深淵がのぞいていた。彼は気絶せんばかりに驚いた。だが、彼の驚きはこれに止まらなかった。裂け目の中から一巻の巻物のようなものが現れた、彼の足下に置かれると、その巻物のようなものはするするとひとりでに音もなく広がっていったのである。
だが、つぎに不思議なことに彼は気ずいた。それは、青年の霊は、こんな大異変にも一向に気ずかない様子で相変わらず、先ほどからの話を続けていたことであった。
1*巻物にはなにが記されていたか、それはその青年の霊の人間であったときの一生の記録と、これまでの霊界での記録、そしてこれから彼が霊界で送るべき永遠の未来の記録までがすでに書かれてあったのである。
人間の感覚は霊のものに比べれば数千倍もいや、もっと鈍感だ。だから、人間がもし霊の話を聞けたとしても彼にはわかりっこないのだが、霊同士のあいだでは相手の言葉の中に含まれる話し手の意思、感情、知性の姿がはっきりと眼に見えるように映る。意思、感情、はその言葉の諧調の微細な変化のなかに、知性は、言葉と音節の無意識の配列の中に現れるのである。これは、一万キロメートル離れて針の落ちる音を聞くようなかすかなものなのだが、霊にはそれがわかるのである。また霊は、その言葉を自分の心の状態そのままに、ほとんど自分では意識せずに音声にだして話す。そこには、人間のようにいろいろな思惑や判断にわずらされるものわない。このことから彼の言葉は、すべてが純白な雪のように霊の本心そのままなのだ。
そして、その本心の中のどんな微細な微妙なもの、かすかなものも彼は表現し得るのだ。このことと、霊の感受性が人間には考えられない鋭感さにより、聞き手は話し手のすべてを知ることができる。意思、感情、知性は、霊の場合もその心の本性を決めるすべてであり、心の本性が結局はその人間や霊の一生を決めるものであることを考えれば、人びとにはもはや、先ほどの絵巻物が老人の霊の眼の前に現れた理由は推察されるに違いない。老人の霊は、若者の霊の話を聞きつつ、その話の内容とは別に彼の霊としての心のすべてを、言葉の諧調の変化、色合、音節と言葉の配列の中に感じることができ、これが表象として眼の前に若者の霊の生涯を示す絵巻物として現われたのを見たというのに過ぎないわけである。
第3章 霊界と地獄界の謎が解けた 141p
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備考、
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