真理との邂逅 高級霊のメッセージ

友よ、歩み入る者に、霊的真理を、去り行く人に幸せを、住まう者に霊性の進化を。   蒼氓。

「一心法界三昧」弁栄上人は24歳のとき筑波山に二ヶ月こもって日夜念仏を唱える修行をおこなった。」

 

 

米麦そば粉で飢えをしのぎ、口で念仏を唱え、阿弥陀仏の姿を心に思い浮かべ礼拝すること、毎日、ついに一心法界三昧を会得した。

 

弁栄上人の説明によると「一心法界三昧」とはこの宇宙に存在する森羅万象のすべてが自分の心の中にあることを悟ることだという。

 

自己と他人の区別、自己と環境、さらに時間と空間の制限を越えた世界、二元性を超えた法界と自己の心が溶け合って一つになったのが法界心である。その法界心そのものになったというのである。

 

一つだから、自他の区別はなく、そこには内側も外側も中間もないのである。

 

我々がなぜ心の中に宇宙のすべてが存在する事が見えないかというと自我の観念に覆われているからだと言う。

 

我々は肉体や思考や感情を自己と思い込んでいるのである。今まで自分の外側に見ていた森羅万象が内も外も区別がなくなり、あるがままに映し出されていることを大円境智と呼ぶ。

 

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 不殺生の行為

 

蛇が衣を這い上がり、猿が無心に戯れる中、弁栄聖人は体はやせ衰え垢だらけ、髪も髭もぼうぼうになって窟に篭り、一日に十万回の念仏を称え、虚空を我が心とした我々のような凡人にはいくら想像しても想像できない境地だという。

下山して支援者の家に立ち寄った時、汚れた肌着に虱(しらみ)がうようよしていたので家人が熱湯をかけて殺そうとした。弁栄上人は「そのまま裏口に干しておいてくだされば、虱はてんで好きな方えいってしまいます。」と言って家人が虱(しらみ)を殺そうとす行為を止めさせた。その後も古くなった着物に虱がわいても決して殺さず日向に出してその去るのを待った。

また、刺した蚊を潰す者を見ると弁栄上人は「そうしてたたくと蚊の針の先が体に残って毒になります。そっと追うと針を抜いて去ります。」と諭した。弁栄上人の歌「やみのよになける蚊のこえかなしけれ血をわけにけるえにしおもえば」

手足を蚊にさされても弁栄上人がじっと血を吸わせて追われもしないので「お上人様蚊が」と申し上げると「命がけでくる蚊です。血の一滴や二滴供養してもいいでしょう。人はわずか蚊一匹のために五尺の体がとらえられて鬼の心になる。そして蚊を殺したと思っているが、自分の大切な霊性を殺していますね。」と静かにお話になった。それまで蠅たたきをつくってまで殺しまくっていた求道者たちはそれから蠅も蚊も気にしなくなったという。

 

歩く時は道に這う蟻を気をつけて避けて通られる。子供がこれにいたずらをしている所を見ると、「蟻さんの子や兄弟が泣きますよ」と丸みのあるやさしい声をかけられた。

 

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無執着

 

 ある日訪れた信徒が、上人が土鍋で白い汁を煮ているのを不審に思い、何ですかと尋ねると弁栄上人「これは白米のとぎ汁です。米の方は来客に出してしまったので、今日はそのとぎ汁を飲んでいます

 

飯米がない。村人からあるいは甘藷、あるいは麦をいただいて飢えを凌ぎ、三日くらいは食べる物なき時もあった。お困りでしたろうと尋ねる人あらば、弁栄上人「時々断食してみると、身も心も軽くなり、よい気持ちです

 

冬も火鉢はもちろん布団もない。朝早く訪ねた人が上人のおつもりに藁切れがついているのが可笑しく、わけを聞けば上人「このごろは寒さが強いから、藁を着て寝ます」

よい下駄を供養するものがあれば辞退して上人「坊主によいものはいりませぬ

予言ができるとか、 病気がなおるとか、そんな奇跡がなんの価値がありましょう。

凡夫が仏になる。これほど大きい奇跡がまたとありましょう。

 

山崎弁栄上人は人々に阿弥陀如来の知恵と慈悲の光明の中で念仏をとなえて生きてゆくことを教えた。自らの信仰を光明主義と呼んで、生涯、熱心な布教活動を続づけて多くの帰依者を得た。山崎弁栄上人は他説を破邪することがなかった。上人は全てが完全に向かう姿と見えたのである。

 

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 慢心

 

霊験を求めていた婦人が弁栄上人に帰依し45年間精進してなんらかの霊験を得るようになった。そのうちその婦人は自分の境界を吹聴するようになった。

能力をひけらかす自己評価欲求がみたされていないからで、「私をみて、私てこんなにすごいのよという行動パターンを取ってしまう。慢心もすぎれば問題を起こすのである

上人「三歳の子供だ正宗の名刀を振り回しても自他ともに傷をつくる。」

上人「水晶のコップでも穴があっては役に立たぬガラスのコップでも無疵(むきず)のものがいい」

 

 弁栄上人は自分から世間話をされたことはなく新聞にある出来事を申し上げても「左様で」と低い声で簡単に受け答えされるだけっだった。弁栄上人があまりにもおごそかだなので、窮屈かと思えば終始なごやかで親しみ深かったという。無駄口一つされずいつもニコニコされていた。

 

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弁栄上人の心境

 

不動明王を信仰する行者が

「私はときどき亡者を見ますがあなたもさだめて亡者をご覧になるでしょう。」と申し上げると

上人「いや私は生き者ばかりが相手ですから、亡者はみません。」と話された。

 

一般的に超能力や霊的な現象のあるところにはそのことに興味を持つ者が集まってくるものだ。弁栄上人は決して自分をひけらかす事をしなかった。弁栄上人はひたすら光明のただ中にいた。しかし侍者は弁栄上人の天眼が開いていことを知っていた。

 

江戸川べりを通っておられると急に立ち止まって合掌念仏された。従者がその理由を尋ねると水辺に水死体があるといわれる。従者がこれを村人に話すと丁度水死した人が上がらずに困っていた。その場所を探した所果たして溺死したい発見された。それを話されても弁栄上人は振り向きもせず、「ほうそうですか。」

 

  ある夜、「この寺で、三十歳くらいの肥った婦人が亡くなったことはないか」と尋ねられた。この寺では先代の住職の妻が臨終のとき苦しんで若くして亡くなり、あと追ううかのように続いて住職も亡くなっていた。念仏を唱えている弁栄上人の心鏡にそれが映ったのである。

 

 無限の光

 

弁栄上人はいかなる時も「それは困った。」などと言われることはなく、都合の悪いことにもよい事にも「それが良い、」「それで良い」としかお答えにならなかつた。

 

弁栄上人による涅槃とは生死の夢から覚めて真如の光が現れることだという。

私たちは無限の光と無限の命の世界からやって来てそこえ又帰る存在なのだ。正覚とは太陽が出て、心の夜が明け、今まで見てきた娑婆世界が消え宇宙全体が真実に輝いて、光明に満ちた蓮華蔵世界が現れることだというその絶対なる世界が弥陀無量光如来のことだという弁栄上人は阿弥陀仏を諸仏の中での一仏ではなく、宇宙の大生命そのものととらえた

 

念仏について弁栄上人は「心が阿弥陀に同化した上はたとえ念仏を唱えなくても一切の行為が念仏となる。阿弥陀の業が行為に表れるのならばむしろ立派な行為である。念仏とは口で唱えるだけではない阿弥陀の心より出る行為は口で唱える以上の念仏である。従来の念仏者はただ口ばかりを重く見て仏の行為をしないのは発展度が低いことだ。」と語った。

 

阿弥陀の語源はサンスクリット語のアミタユースあるいはアミターバが語源だがアミタは「無限」アユースは「寿命をもつ」の意味なので無量寿という中国語訳があてられた。アミターバはアーバの意味が「光持つ」なので無量光と訳された。阿弥陀は意味を訳さず音を漢語にそのまま当てはめたのである。そうすると阿弥陀の世界とは死んだ後の世界のことではなく、この宇宙そのものをあらわしていることになる。

 

 

 

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弁栄上人は明治の人であり、その教えは仏教用語に満ちており、我々凡人には難解である。

その霊性の高さは計り知りえない。尊敬する人物の一人であり、これほどの聖者の存在を知りえただけで感謝しております。 

 

光明高校の創設者で、昔、訪ねた時に、光明高校の校庭に上人の銅像がありました。 

    

 この方の伝記を読むたびに、めがしらがあつくなり涙がこぼれてしまいます、少なからずとも私の人生に大きな影響を与えた人物です。

 

 

 僭越ながらご紹介させていただきました。               

                       蒼氓。

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「預言ができるとか、病気がなおるとか、そんな奇蹟がなんの価値がありましょう。凡夫が仏になる。これほど大きい奇蹟がまたとありましょう。   

 

 

                   山崎弁栄聖者。

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引様・参考文献

イーハトーブ心身統合研究所

山崎弁栄上人

光明修養会

 

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