真理との邂逅 高級霊のメッセージ

友よ、自ら思い立って真理探究を志し、行為と想念でもって意思表示をすれば、その人物がそれまでに到達したレベルに相応した知識と教えを授かるように法則が働いて、その波動と調和し始めます。そのレベルには限界というものはありません。なぜなら人間みずからが無限の霊性を宿しており、真理も無限に存在するからです。  シルバーバーチのスピリチュアルな法則より。

文豪、夏目漱石の詩作の最後を飾るにふさわしい絶唱というべき作品。 漢詩 無題

 

 

                                                 漢詩 無題 

                                 夏目漱石

 

 

 

眞蹤寂寞杳難尋

欲抱虚懷歩古今

碧水碧山何有我

蓋天蓋地是無心

依稀暮色月離草

錯落秋聲風在林

眼耳雙忘身亦失

空中獨唱白雲吟

 

         

  

眞蹤(しんしょう)は寂莫(せきぼく)として杳(よう)として尋ね難く

虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す

碧水碧山何ぞ我有らん

蓋天(がいてん)蓋地是れ無心

依稀(いき)たる暮色(ほしょく)月草を離れ

錯落(さくらん)たる秋声風林に在り

眼耳双つながら忘れ身も亦失のう

空中独り唱う白雲の吟

 

 

通訳、

 真実の道はひっそりとしてかすかで、手の届かない遠い彼方にある。せめて、私は、我欲利己心のない、てんたんとした心で人生を歩み、生涯を終えたいと考えている。

碧く澄んで河の水、青々とした山の緑を見るがいい、どこに我執の色があろうか。

広い天地を見るがいい、すべてみな無心である。ほのかに夕闇のとざす草むらの向こうに、明るい月が上がり、雑木林を吹く風が、わびしく入りまじる秋の音をひびかせる。

私は今、この風物を目にして、耳にしながら、感覚を失ったようにふと我を忘れ、

ひとり空中に浮かんで、白雲の歌を歌っているような気分を味わっている。

 

鑑賞、

 詩の気韻といい、格調といい、きわめて高く、そして深く、文豪漱石の詩作の最後を飾るにふさわしい絶唱というべき作品。

ちなみに、漱石は、この詩を作った翌々日から、床につき、それ以後は、ずっと病床の人として、十二月九日、ついに霊界に帰ったのである。

 

 大正五年十一月二十日の作、漢詩における絶筆となった作品。

 

 漱石が晩年到達人生観は(則天去私)であった。その詳しい解説は哲学書に譲るとして

(天の則って私を去る)というこの言葉は、西郷隆盛が好んだ(天意を知る)にも通じ、公正無私な天を手本にして、利己心を捨てるべきだという考えを表している。

 

 詩の最後のところの文章で、漱石は、幽体離脱をしているのかもしれません。

いずれにしろ、文豪漱石の素晴らしい作品です。

                感動以外にありません。

                            蒼氓より。

 

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スウェーデンボルグに関心を持っていたカーライルやエマソンを知っていた漱石が、スウェーデンボルグがどのような人物であったかを知っていた、というのは容易に想像できる。

漱石の「こころ」と言う小説に、主人公とKとの会話の中にスウェ-デンボルグの名を登場させている。

心霊現象や心霊学に関心を持っていたと言われる漱石は、スウェーデンボルグにも関心を持っていたのが伺われる。

 

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漱石没後100年、もし、漱石の意識と通じたら、こんな事言うかもしれません。

     我輩は霊である、肉体はもうない。

                          蒼氓より。

 

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