真理との邂逅 高級霊のメッセージ

友よ、歩み入る者に、霊的真理を、去り行く人に幸せを、住まう者に霊性の進化を。   蒼氓。

「スウェデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編

地獄界の区霊は、霊界の光や霊流から霊としての喜びや幸福を感ずることができない代わりに、自分の欲望を満足させることを喜ぶ。これらの欲望は、ほかの区霊を支配したり、ほかの霊に悪業を働いたり、あるいはほかの霊の賞賛を得たりしたいといった人間でいえば、外面的、物質的な低級な欲望ばかりだが、それにしてもいくら低級な欲望とはいえ、これを満足させることは彼らに喜びであることには間違いない。そこで、彼らはこれらを彼らの”光”として永遠の生を送ることになる。霊界の霊は、自分たちの生命の源もすべて霊界の太陽にあることを知っている。そこで、彼らは自分が本当は自分の主でなく、太陽こそが主であり、その太陽が霊界にゆきわたらせている霊界の秩序に従って生を送ることこそが、もっとも正しい霊の生だと知っている。これに対し、地獄界の霊の生命の源は、彼ら自身の欲望であり、この欲望が彼らの光なのだ。そこで彼らにとっては、主は自分自身であり、ほかになんの主の存在も認めないことになる。地獄界が争いの場であり、苦しみと汚れに満ちた場になるのは、彼らのひとりひとりが自分を最高の主だと考えているためにほかならない。宗教は、地獄界の罰は神というようなものが与えるものだと説くがこれもまったくの間違いである。地獄の罪は、そこに住む区霊自身が、その性質のゆえに自ら招くものにすぎない。彼らは、つねにほかの霊を支配し、これを虐待し、なぶり者にすることによって自分の喜びとしようとしている。このため、彼らの世界には秩序はなく、あるのは醜い我執の対立だけとなる。その上、かれらの悪のすさまじさは、彼らが人間にいたときのような法律や世間の評判、彼ら自身の打算というような束縛を脱して、赤裸々な悪としての物凄さをむきだしにしているのである。顔が半分かけた区霊、骸骨のように眼穴だけが暗い穴を開けた区霊・・・・などといった怪奇な霊の顔つきも、かれらがその本来の悪の正体を霊となることにより、むきだしになったことを示しており、彼らとて人間であったときは、その外面的な容貌はこんなではなかったはずなのである。区霊たちが霊界の太陽を拒んでいるのは、このような怪奇な姿を明るい光のもとにさらされるおそろしさと、彼らには霊界の太陽の光は、あまりにまぶし過ぎて耐えられないことのふたつの理由による。 

      

                      第3章 霊界と地獄界の謎が解けた165p

 

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