真理との邂逅 高級霊のメッセージ

友よ、歩み入る者に、霊的真理を、去り行く人に幸せを、住まう者に霊性の進化を。   蒼氓。

「スウェデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編

  つねに目の前にある霊界の太陽

ラクダの背に荷を積んだ隊商が、東洋の砂漠を延々と列を連ねて西へ進んでゆく。広い砂漠には視界をさえぎるものとてない。隊商たちには、街道を進むときのような目標はなにもない。彼らに進路を示すものはただひとつ、時間と太陽の位置や高さから経験で割り出した西の方角だけである。時間は昼ごろ、太陽はちょうど南の空に輝いて彼らに進むべき方向を示していた。このとき突然、砂漠中に響き渡る遠い雷の音が隊商たちの耳に聞こえた。雨を求めている彼らは、その雷はどの方角で鳴ったのだろうと思って、思い思いに四方を見回した。彼らのあいだに大恐慌と異変が起きたのはこのときである。隊商たちが思い思に、各人勝手な方角に顔を向けた、その顔の正面に全員が太陽の姿を認めたのだ。隊商たちは、すべて自分の太陽を見た方角が南だと考えて、これを基準に各人ばらばらな方角へ進み始めた。「どこえ行くのだ、そっちは西ではない!」

「いや、そういう君こそ違う方角へ進んでいる。西は私のいく方角だ!」隊商の列の中には突然、大きな混乱と錯乱が起きて収拾はつかなるに違いない。人々は、この話を勝手な作り話として笑うだろう。

各人が顔を向けた方角がどの方向であっても、その方角に太陽が見えるーーーこんな馬鹿馬鹿しいことは、この世の人間の経験の範囲では起こりえないことだからである。

しかし、霊界は不思議に満ちた世界だが、その不思議のうちでも、もっとも不思議なもののひとつが霊界の太陽だ。霊界では、いま人びとが一笑に付いたような”馬鹿馬鹿しい”ことが、こと太陽に関してはもっとも普通なことなのである。霊界の太陽はつねに、”霊たちが顔を向けた方向にある”のである。前に記したように霊界の太陽は東の空の、それも霊たちの胸のあたりの高さにあって、”動かない太陽だ”。この太陽はまだ霊界に慣れない新米の霊たちにとっては、その動かないことといい、胸の高さにあることといい、じつに無気味この上ない太陽だ。まさに”何千億年の太古が胸の前にいつでもいて睨んでいる”という気味の悪い思いをさせる。しかし、この太陽は”いとも気軽に”霊たちが顔を向けた方向へ動くのである。霊たちはその顔によって、光や熱、霊流を受け入れて生きているのであるから、これでなくては困るに違いないが、それにしてもこの世の感覚ではまったく理解できない太陽であることには間違いない。その上、太陽のある方角が霊ではつねに東と決まっており、これが霊界の方位の基準である。”だから””東”もつねに動き、しかもそれぞれの霊によって、”東”は違っているのである。この太陽の不思議さだけは、霊界の賢者といわれる霊にも解けない不思議で、いまだかってこの不思議を解いた者は霊界にいない。

それはともかく、霊たちは太陽が動こうが東が動こうが、いっこうにとん着せずに暮らしている。これは霊たちが自分の顔の前面だけでなく、周囲のどの方向をも見分けることのできる顔と眼を心の中にもっていることによる。彼らは、周囲のどの方向も見える心の眼によって方位の感覚をあやまれずにいられるのである。

    第2章 霊界で私は何を見てきたか 105p

備考、霊界の太陽、まったく不思議である、この太陽が霊の根源いや生命の根源、摂理の根源か?、いな摂理から生まれたのが,霊界の太陽か?。いまだかってこの太陽を解明した者は霊界にいないと書いてある。

                   管理人。       

 

f:id:muratakazuhiko:20151130122803j:plain