真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

(東京大学名誉教授) 矢作直樹 対談(きずな出版代表取締役社長) 桜井秀勲  矢作直樹氏抜粋

あくまでも私自身の実体験から、こんなふうに感じている、というお話をさせていただきます。

 

説明しやすいのは、亡くなった人と交霊して会話し、おしえてもらったことです。

 

本に書きましたが、私は亡き母親の魂と交霊を通じて話したことがあります

また他の浄霊目的の交霊に幾度か同席したことがあります。そのときの内容から想像すると、どうやら、あの世はこの世とまったく別のとろに存在するわけでわなくて、私たちのいる世界と重なりあいながら、違う次元で存在しているようです

 

三次元のこの世に、幾重にもわたる高次元のあの世が重なっていて、最も高い次元では、すべてがつながった、1つの普遍的な意識になると言われています。

 

あの世にもいろいろな次元があるようですが、亡くなってすぐに行く世界は、この世とかなり似ているようです。

 

違うのは、自分が思った瞬間に、会いたい人に会える、食べる必要はないんだけど、「ご飯が食べたい」と思ったら、すぐに出てくる。

 

そんなふうに、自分の想念しだいでどうにでもなる世界だということ。

 

わかりやすく言えば、「ここよりもはるかに自由度が高く、格段に良い世界」という感じでしょうか。

 

だから霊からすると、こちらの世界はすごく居心地が悪いようです。母も必要最低限の話をすると、すぐ帰りたいという様子がありありと見えて、引き留めるのも------という感じでした(笑)

 

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備考、2011年「人は死なない」を上梓、死後の世界の存在を主張して18万部となり、以後出版活動をスタート。2014年に刊行した「おかげさまで生きる」は30万部を突破。

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 オススメ

     you tude   名著de100分宮沢賢治

 

                                                                                                                            蒼氓。

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神の心以外には何もなく、神の心が無限の空間を満たしていることを悟るであろう。

 

 

 

                     奇跡の言葉

                                              

 

 

 

 

あなたたちの(真我)が無限なる空間の中に拡大して行くにつれて、もろもろの体験を経て次第々々に偉大なる存在者となって行く。

 

無限なる空間」と云うこの真理をあなたたちは

(今のところ)まだ摑んではいないであろうが、もしもあなたたちが心の中で

 

(実は)空間なるものが何処にもなく、すべては神の心で満たされていることを観取するならば、神の心以外には何もなく、神の心が無限の空間を満たしていることを悟るであろう。

 

 

                                                                                                       第九話80

 

 

 

備考、

 

これ以上の、・・・究極の悟りか。・・・

 

                                                                                                  蒼氓。

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第八話 102~106

 

102

律法(ロー)が主(ロード)に上位することはないが、主(ロード)は律法(ロー)の上に位(くらい)する。「神なる我」は律法である、と主は云われる。

 

103

あなたたちがこの事を認めるならば、全能者の活気凛々たる現れをあなたたち自分自身の目でみるであろう、全能者のみが神我を通して、御自分に肖(に)せて、あなたたちを創造し給うたからである。

 

104

各人一人々々の魂の中に神我たる唯一無二の神の子が宿っている。故にあなたたちは神我の体の中に生き、神我のみ霊はあなたたち一人々々の中に生きている。

 

105

あなたたちは天にましますあなたたちの父の肖像として生まれたのであるから、その肖像は裡なる神我を通して外に反映する。

 

106

外とは肉と血とである、しかし肉と血とは天国には入れない。天国は霊と水との世界であり、肉は何ら関与しない世界だからである。

 

 

 

 

                 心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                               

                             M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                                   

                                              霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

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本物の科学者は神の存在を説く

 

 

 

 

ある日、記者から宗教についての見解を求められたアインシュタインは、

「ここのにコーヒーカップをここに置いた人は、誰か分かりますか?」と問いかけた。記者は、当然のように「もちろんアインシュタイン博士あなたです」と答えた。

 

アインシュタインは、コーヒーカップなどの小さい物でも、ある力が働かなければ動かすことは出来ません。考えてみてください。この宇宙にはたくさんの星があって、それらを一定の軌道で運行させる、その力をだせるのは、神しかいません」と説明した。

 

あるインタビューでは、「一部の人は、宗教は、科学理論に合致しないと考えている。私は科学者で、今日の科学は、特定の物体の存在を証明することはできるが、特定の物体が存在しないことを証明するこはできない。従って、我々がある物体が存在することを証明できなくても、その物体が存在いしないということを断定してはならない」と語った。

 

さらに「原子核」を例として、「数年前に例えば我々が原子核の存在を証明できなければ、もしその時、「原子核は存在しないのだ」と断定したとしていたら、それは大変な誤まりを犯していたのではなかろうか?」と説明した。

 

アインシュタインは「」の存在について、「今日の科学が神の存在を証明できないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定できないのであるから、われわれは、神の存在を信じるべきである」と語った。

 

 

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         シルバーバーチの霊訓より

 

       霊の力は無限大に強烈です 

 

 

 霊の力とはどんなものですか?

 

「人間によって認識されている、どんなモノサシにもかからないものです。

 長さも幅も高さもなく、重さも色も容積も味も臭いもありません。ですから常識的な地上の計算法では霊力は存在しないことになります。

 

つまり、実在とは人間のお粗末な五つの感覚でとらえられるものと、決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊力は存在しないことになります。

 

しかし、愛は目に見えず耳にも聞こえず、色も味もサイズもないのに、立派に実感があります。

 

それは、深い愛の体験をした人が証言してくれます。

 

確かに愛の力は強烈です。

 

しかし、霊の力はそれより無限大に強烈です。

 

あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも霊の力があるからです。

 

物を見、音を聞き、動きまわり、考え、言葉を喋るのも霊の力があるからです。

 

あなたがたの行動の全て、存在の全ては霊の力のおかげです。

 

物質界の全て、そして肉体も、生命力あふれた霊力の流入によって、存在と目的と導きと命を与えられているのです。

 

物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。

 

科学者、化学者、医学者がいくら努力しても、命の根源は解明できません

 

それは、物質の中には存在しないからです。

 

物質は一時的に借りている宿にすぎません」

 

 

           シルバーバーチ霊訓(三)

 

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 参考、

 

   霊の力=神の愛。神の分霊(神我)。

 

                                                                                             蒼氓。

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第八話 99~101

 

 

99

自然体と霊体とがあるが、神我はその両方の支配者である。

 

 

100

アダム(男性人間の始源の先祖)はみ霊の活力によって生ける魂となった。

 

 

101

外なる人間が地であり、内なる者は天の主である。天の主が一切を統治している、それはあらゆる力が天の主に与えられているからである。彼は主(ロード)であり律法(ロー)である。

 

 

  

 

    

     心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                     

         M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                   

               霞ケ関書房, 1972   

 

 

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観無量寿経(像想観)の中の一文、すなわち、

 

 

如来はこれ法界身なり、一切衆生の心想の中に入る」

の文における「入ー一切衆生心想」が、実にそこから限りなく創造活動がいとなまれていく根源的な契機となっているのである。念仏とは、そして、念仏三昧そもののいとなみとしての芸術的な創造活動とは、不断の自己脱却に即しっっ念々に根源者(阿弥陀仏=法界身)に直結し、そこからの心想への流入がそのまま人間の創造活動となっているのである。芸術かつどうとは元来、決して単なる人間の主観のいとなみの次元にとどまるものではなく、かかる主観主義を限りなく超え出ていくところにいとなまれてゆく行為なのである。三木清も論じた「構想力」の問題も本来的にはかかる宗教的超越的な実践の地平と関わっているのである。弁栄上人の縁にあった多くの人たちもかかる上人の芸術作品に触れることによって、実に阿弥陀仏のはたらきそのものに触れていたのである。そしてそれぞれにみずからの信仰に目覚め、その信仰を深めていったのである。

 

       山崎弁栄上人

          ーー その生涯と宗教芸術 ーー

                                 川波昌

                            

                             抜粋

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              光明主義用語集

 

法身(ほっしん)理法の御身。宇宙全体一切のものは宇宙大霊が自分の理法のままに発現されたもの故に

宇宙大霊は大宇宙内の一切を生み、統一摂理し給う超在の一体神に在し理法の御身に在す故に法身とお呼びする。  産みの御親

 

 

阿弥陀如来阿弥陀佛  無限の大宇宙を身とし心とし給う御方で、一切諸仏の諸菩薩あらゆる神々及び私共一切衆生の本元の親様であり諸仏を統摂し一切万行の帰趣する所の御方即ち独尊統摂帰趣に在す御方。法身・報身・応身の三身即一に在す最も尊き唯一の如来よ」とお呼びするのは親様であらせられる如来様のお徳の表明。光明主義においてはその如来様のことであって西方浄土に在する諸仏のなかの一佛としての阿弥陀如来ではない。従って私共が南無阿弥陀仏と帰依し奉るのも従来の所謂阿弥陀佛ではない。

 

 

 

 

 

 所謂=いわゆる

 

 

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       人生の帰趣 0208

 

(二)統摂

 大霊は宇宙の大法を以て万物を統一摂理するを云う。

 

 

 統摂と帰趣ーーーー 一切知と一切能

 

独尊統摂帰趣の三義云うも大霊に体が三あるのではない。

 

独尊なる大霊が一切万物に対して基法則を以て能く秩序を整へ条理を為さしむると万物を生成する勢力とにて、言う換(か)ふれば大霊の一切知と一切る能との二属性を有つて居る事にて、更に小さく人間に例して云はば知覚と運動の二性を有する人であると云う様なものである。

 

統摂。

 

天地万物が行はれて自然の法則がこ基常規を違はず細大となく行はれゆくは万物内在の智慧が存在するからである。

例えば人間に理性があるから物の秩序が判る如く万物中に自ら完全な理性云ふべき性が存在するから天体の星雲が運行するにも基秩序を失はず如何に細少生物の生理に至る迄も自然法則がきちんと定つてゆくのは大霊の一切知が万物に内在する故に物のきまりが立つてゆくのである。

 

理性的に物の秩序を為し條理を為して行くが一切知なので而して一切の生物の為めに内外の力と為りて自らも活動し外からも力を与えて生成養育せしむるのが一切能と云ふ。

 

是万物が活動するの一大原動力は大霊の勢力より発現するので此勢力を以って万物生成活動する故に万物が基結果として終局に帰着することが出来る。

 

一切知と一切能との二属性が一切万物に対して統一摂理し生成帰趣するの性能となるのである。

 

法は即ち法理の事にて仏教にて法爾の理と云う又自然の理と云うも同じ事にて、火は熱くして物を焚き水は潤ふて低きに流るなど総て物理学上に説明する処、物の理法又植物の理と云えば枝葉根茎を為す処のきまり又生物生理の営養生殖の理法にも自然の法がきまって居る。

 

眼は色を視耳は声を聴き舌は味ひ鼻は嗅ぐ等の感覚、又苦楽を感じたり物の差別を認識し得る智慧等の心の理法も皆心理としてきまりて心の働きをなす事、

 

唯識論抔には眼耳鼻舌身意色声香味触法の法から乃至百法を以て人の心理上の相を説明している仏教で万物には自然に眼は物を見

 

又火は物を焼くと云ふ如き物理にても心理にても自然法爾の理と云う物はすでに具有して居る事を法とも理とも名づけてある。

 

其一切万法の一大限則であるから法身如来とも名づくるのである。

 

法身は万物に其法爾自然の理を具有して万物を各其理法に随つて其働きを為して摂理するのである。

 

            人生の帰趣 山崎弁栄

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                                                                               僭越ながらここに記す 蒼氓。

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ニュートン:望遠鏡の先に「神」の痕跡が見える

 

アインシュタイン、もっとも尊敬する科学者がアイザック・ニュートンであり、「真の偉大な科学者はニュートン。私はただ、ニュートンが計算上にあった誤りを計算し修正したけだ」と謙虚に話したことがあった。ニュートンの天才ぶりは多方面にわたり、天文、地理、数学,神学等において、輝かしい実績があり、もっとも著名な著作「自然科学の数学原理」が近代科学の礎石とも言えよう。

 

一方、英国の著名な天文学者ハレーニュートンの親友であり、ハレー彗星の軌道を推算した人物だった。かつて、ハレーは宇宙の万物が神によって創造されたとは、信じていなかった。ある日、ニュートンは太陽系の模型を作った。中央には金メッキの太陽が配置され、周囲の惑星はそれぞれの位置にあり、レバーを操作すると、各惑星が軌道に沿ってゆっくりと動き出すという、見事な仕掛けであった。 

 

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ハレーはその模型を見て驚嘆し、誰が作ったのかと問いかけた。ニュートンはハレーの肩を叩き「この模型は精巧であるが、しかし、本当の太陽系に比べたら、大したことではないのだ。誰がこの模型を作ったにしても、模型より億万倍も精巧である太陽系は全ての力が備わっている神が、高度な智恵を使い創造したのではないのか?」と説明した。ハレーはその言葉に打たれ、神の存在を信じるようになった。

 

ニュートン神学者でもあり、一生を神学の研究に尽力し、科学の探求は余興にしていた。自分の科学の実績について、ただ「神の思想に追随する」だけであるとし、「宇宙の万物について「宇宙の万物は、全ての能力が備わっている神が掌握し統治しているのだ。私には望遠鏡の先に神の痕跡が見える」と語った。

 

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参考、

      最上の天国にいたニュートン

 

ニュートンとは、霊界で何度も会った。そして、彼が実に真面目で、もののわかつた人間(霊)であることに感心した。彼は「天の理」の意味をよく理解していて、霊界でもほかの霊から愛されていた。彼は私につぎのようなことを語った。

天の理」とか、神意とかいうべきものが世界にには存在する。そして、これは善霊にも人間にも、その知性のもとになっている。これがすべてのもとであって、これあるがゆえ人間の知性は照らされ、人間は知性的にものを考えることもできるようになっている。だが、人間はこのことには気づいていない」

 

神意なり、「天の理」なりが人間の知性の根源だということを、彼が霊界にきてから知ったのかどうかはともかく、彼は宇宙の真理、真相をちゃんとつかんでいるのであった。さらに、彼は「ひとつの根源的な生命(つまり「天の理」)が存在して、これがすべての生あるものに生命を与えていることも知っている」といった。

また彼は、霊界についてもこうもいった。

「こっちの世界では、光も色彩も地上よりもずっと光り輝いていて、しかも色彩も多彩だ。これは「天の理」を霊たちがそれぞれの悟りの程度にしたがって、そのように受け取っているからこその現われだと思う。」

 

彼は色彩なるものについて、いかにも彼らしいいい方でこうもいっていた。

「色彩の世界は、基本的には三つの要素から成り立っていると、私は理解している。ひとつは光から生まれる白、もうひとつは火から生まれる赤、最後は影から生ずる黒、そして、これらからすべての色彩は生まれてくる・・・・・・」

 

彼のいうことは、私の立場からしてもよく理解できる。私の立場からいえば、光の白は悟りや知性といったものであり、火の赤は生命、そして、これらが、かげったものが、黒ということであり、この三つの要素から、世界のすべてを理解することができる。

 

 

 

 続 スウェデンボルグの霊界からの手記より 220p

                   今村光一訳

 

 

                               蒼氓。

 

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