真理との邂逅 高級霊のメッセージ    無限なる愛と無限なる叡智をあなたへ

成長と理解との秘訣は柔軟な心を持つことである。・・・。親愛なる友よ、静穏の中、心奥の心の声で【霊読】御読みください。わたしが今あなたたちにしているこの話はあなたたちの心をあらゆる生命の本源に一層近づけつつあるのである。 十二話70   人は幾度も幾度も人によって傷つけられ、自分自身の愚行によって十字架につけられて始めて彼は、神の分霊を通してすべてのものが「大いなる一体」であることに開眼する。十四 話 34 、完全の中にいては完全は解らない。神の中にいては・・・  

第七話  16~25

 

 

 

16

御自身の中に生命を有ち給う父はその生命を子を通して現わし給うたのである。その故にまた子はその生命、父の御意志を現わすのである。

 

 

 

17

わたしの言葉は生き、かつ強力である、しかしまた蜜よりも甘い。

 

 

 

 

18

父がわたしに与え給う言葉は、世の人の理解を絶する父の愛の生ける言葉である。その言葉は生ける力である、何故なら父の愛が常に臨在しているからである。

 

 

 

 

19

あなたたちのうち誰でもみ霊の力を感じ、それを完全に、認識し得た上えでそのみ霊によって語るならば、その語る言葉には力がある。天上天下におけるあらゆる力がわたしには与えられているのである。

 

 

 

20

父の光より身をを隠しおおせている被造物といっては何一つ存在しない、すべては父の目には裸であり、むきだしである。

 

 

 

21

わたしの言葉は天より来るもの、神の豊かなる富と英智とを注ぐ、唯一無二の神霊より天啓である。

 

 

 

22

あなたたちが天啓(インスピレーション)を受けるのもこれらの言葉を通してである、なぜなら、わたしの言葉は天からのもの、内なるより高き意識、即、かの外なるものの決して触れることなき境城からのものだからである。しかしその境城は内なるものを通すして外に自己自身を表現することができ、その時、外なるものは内なるものと同一となる。

 

 

23

これらの言葉はあなたたちの為に録音され筆記されつつある、従ってあなたたちは静かな時間にそれを吸収し、それについて瞑想し、その事によってそれを自分のものとすることができる。そうしてそてらを肉体の感官を超えて高めることによって,今迄に持ったこともない力と悟りとを得ることができるのである。

 

 

24

天啓はすべての人々に可能である。今の今でさえあなたたちは、わたしの言葉を通して生命のもろもろの神秘が悟れるように天啓(インスピレーション)を受けつつあるのである。

 

 

25

故にわたしの言葉は、あなたたちが自分の中に秘められている偉大かつ栄光に輝く真理を学ぶ手段となる。

 

 

      心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                               

          M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                        

                霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

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感動した文章。

 

 

この世界は私に属している。 物も、金も人も、陸も海も、全部私のものだと、若き日の私は考えた。 神の御手による大空の下を、私は大手を振って歩いた。 その頃の私の言葉は、「私が」であった。  

 

歳月は流れ、私の行く道に、一条の光がひらめき、 私の心に小さい光がさしこんだ。 先の言葉は、もはや私を満足させなかった。 私の言葉は、「私とキリストが」と変わった。  

しかし、私が主を仰ぎ望むほどに、主の栄光はより強く輝き、 私の栄えはうすれて行った。 私は低くされ、主は高くされた。 私の口からは、「キリストと私が」という言葉が 語られるようになった。  

さらに歳月は流れ、かつて心にさしこんだ小さい光は、 今や私の心の王座を占め、 私はまったくその光のとりことなってしまった。 今、私の口から出る言葉は、へりくだった口調の 「キリストだけが」である。    

 

 

みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、 へりくだる者に恵みを賜うからである。(Ⅰペテロ5:5)               

 

                                     

             「荒野の泉Ⅱ」 カウマン夫人著より

 

 

 

 

 

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第七話 11 ~ 15 聖書は生命の法則を教え、生命の法則を正しく用いさせるために、み霊の導きにより天啓によって書かれたものである。

11

書物や言葉や文字など、すべてそれ自身としての価値はゼロである。み霊が(その人の)想念を不可視のものに繋ぎ、かくて五官の世界を貫き通す手段としての言葉を用いた時始めてそれらのものに価値が生ずるのである。

 

 

12

かくして言葉は大いなる値の真珠を内に秘めている外側の殻にすぎない。あなたたちが或る言葉を自分の心の中に取り入れて、例えば『神我』『わたしは生命である』という言葉を口に出して云うならば、その言葉は一応肉体の器管を通して出るのではあるが、それを(肉体、器管を使用しての単なる物理的振動現象に終わらせることなく)久遠常在の霊的状態に高めることができるのである。

 

 

 

13

従って、いわゆる聖なる書を読む際、あなたたちは(聖書にある)言葉を使用してそれを高めることができるのである。五官の目で見、五官の心を通して読むのであるが、本有(先天的にもっている)のみ霊の力によって、それらの言葉を肉我の理解を絶した或る霊的状態に高めるようになる。

 

 

14

聖書は生命の法則を教え、生命の法則を正しく用いさせるために、み霊の導きにより天啓によって書かれたものである。

 

 

 

15

その故にわたしは法則をこぼつために来たのではなく、法則を満たし、それが人間の肉体にあらわれるのを示し、子の中に生き子を通して御自身を現し給う無限なる父の栄光を神我が肉の身に顕現し得ることを証しするために来たのである。

 

               

 

                    心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                       

                                 M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                     

                                                   霞ケ関書房, 1972   

 

 

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第七話 1 ~10 区切りや分離は人間心に生じた無智よりくる観念にすぎない。

 

                       第  七  話

 

               吾が言葉は天より来る

 

               わたしはわたしの平安とわたしの愛とをあなたたちにもたらす 

 

 

 

1

聖書の価値をいっしょに考えてみよう。

 

 

2

『聖書』は地上界の律法と天界の律法とを述べたものである。

 

 

3

多くの巻に書かれている言葉はイズラエル人の予言者達の天啓に基く言葉である。これらの予言者達は天啓を受けた者であり、霊的なことすべてについて非常に深い研鑚を積んでいた。

 

 

4

彼らには、表現されるのを待っている智識を霊的本源から天啓によって発動させる力があった。

 

 

5

これらの予言者達はたいていはこの目的のために生まれた者で、聖書を全部読み通せば、彼らの大多数の身の上に起きた特殊な事柄がわかる。その言葉は天啓されたものではあるが、それを書いたのは人間である。

 

 

6

天啓(インスピレーション)はみ霊から来る一種の力である。それは独自の経路を通して自己を表現するのであるが、その際、器(となる媒体)の特殊の性質に応じてその型に嵌め直される場合が屡々ある。(しかし、あなたたちの面前で)今この瞬間に起きつつあるような霊的本源から(直接)来る純粋な形の天啓(インスピレーション)もある。この場合(天啓は)内界に宿る霊的力(すなわち神の分霊、神我)の意識が使用している器(媒体)の内なる意識を通して現れているのである。この方法は場合によっては聖書に出てくる予言者達によって用いられることもあった。

 

 

7

わたしたちはそれを天啓(インスピレーション)の書と呼んでおり、これが、世におけるその大いなる価値の秘密である。

 

 

8

魂は常にその存在の本源を探し求めており、この欣求(ねがい)が天啓(インスピレーション)によって人を真理へと導く。魂より出る切なる叫びにして神霊界より答えられなかったためしはない。

 

 

9

あなたたちはすべて大いなる全能の父の中に永遠に繋がっているのである。あなたたちと父との間には何の巨(へだたり)りもない。又あなたたちとわたしとの間にも何の巨(へだたり)りもない。何処にも区切りはないのである。区切りや分離は人間心に生じた無智よりくる観念にすぎない。

 

 

 

10

実在には分離はない。あなたたち各人の中にいます神のみ霊とわたしの中のみ霊とは離れ離れなのではない、そのみ霊とは父のみ霊であり父のみ霊が今あなたたちに語りかけているのである。声はみ霊にのみある。

 

 

 

 

                  心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                       

                               M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                     

                                                 霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

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第六話 113~119

113

天にましますわれらの父よ、御名が崇められんことを、天国の来らんことを、御意の天になるが如くに地にもならんことを。

 

114

あなたたちはわたしの友人である、わたしが父より拝聴したものはすべてあなたたちに知らせるからである。あなたたちを行かせ、果実を結ばせ、その実りを永続させるために、こうしてわたしはあなたたちを選んだのである。

 

115

この故にわたしは命ずる、互いに愛し合え、互いに愛し合って初めてわたしはあなたたちの中に留まることができるのである。わたしの居るところに父もまた在ますからである。それは又わたしが父を人格化し、父がわたしの中において人格化されているからである。

 

116

あなたたちはわたしと再会するであろう。(その時)あなたたちの胸(ハート)は歓び、その歓びは何人も奪うことはできない。わたしがあなたたちに与えたものはあなたたちの許に留まるであろう。

 

117

わたしは孤独ではない、父が永恒にわたしと共にましますからである。あなたたちがわたしを見た時あなたたちは父を見たのである。この強大なる真理があなたたちに解って貰えるだろうか。わたしを見た時父を見たのである。父はわたしを創造り給い、わたしの中に留まり給い、わたしは父の中に留どまる。

 

118

父がわたしと偕でなければわたしは存在に入ることはできなかった。常にわたしの中に留どまり給うのは父であり、父がわたしに代わって

語ってい給うのである。

 

119

愛深き久遠の父よ、此の世の中から貴神の御名を知らせました。彼らは貴神のものであり、貴神が彼らをわたしにお与え下さったのでした。彼らは貴神のみ言葉、彼らの裡に住む神我の言葉を守るでありましょう。彼らはそれを聞き、それを知ったからであり、今やそれは彼らの魂の中に宿ったからであります。

 

 

 

書記のことば

 

 

物音ひとつせぬ全き沈黙が会衆一同の上に拡がり、明光燦然と輝き、同胞(著者)の顔に代って主の御顔が完全に出現し給うた。

 

 

 120

何であれ貴神がわたしに与え給うたものはすべて貴神より出たものであることを彼らは知っております。

 

121

わたしのものはすべて貴神のものであり、貴神のものは(すべて)わたしのものです。そしてわたしは貴神によって栄光を与えられているのです。

 

122

わたしは死という体験によっても変化は受けていない、生命は区切られるものではないからである。生命に区切りはなく、生命にいわゆる死による中断はない。

 

123

生命は決して中断も、破壊も、干渉もされることはない。わたしが弟子達に極めて明瞭に示したのはこのことだったのである。それをあなたたちにも又示しているのである。

 

124

生命に死はない、神我はいわゆる死という体験によって変わることはない。そのようにみ霊、あなたたちの裡なる生命、は永恒不変である。あなたたちは常に存在し続けて来たし、これからも死することはありえず、わたしがそうであるようにあなたたちもそう成るのである。わたしを死より挙げ給うた父のみ霊があなたたちの中にも宿ってい給うからである。

 

 

わたしの平安と愛とをあなたたちの許に残す。

 

 

沈黙

 

 

書記のことば

 

 

一条の光が同胞(著者)を包み込み、その形容を絶する輝きは講堂を満たす程であった。

 

 

 

 

 

            心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                       

                             M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                     

                                              霞ケ関書房, 1972   

 

 

コメント。 

 

まさに、奇跡としか言いようがない・・・絶句。涙。永遠の愛。

 

                             蒼氓。

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文豪、夏目漱石の詩作の最後を飾るにふさわしい絶唱というべき作品。 漢詩 無題

 

 

                                                 漢詩 無題 

                                 夏目漱石

 

 

 

眞蹤寂寞杳難尋

欲抱虚懷歩古今

碧水碧山何有我

蓋天蓋地是無心

依稀暮色月離草

錯落秋聲風在林

眼耳雙忘身亦失

空中獨唱白雲吟

 

         

  

眞蹤(しんしょう)は寂莫(せきぼく)として杳(よう)として尋ね難く

虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す

碧水碧山何ぞ我有らん

蓋天(がいてん)蓋地是れ無心

依稀(いき)たる暮色(ほしょく)月草を離れ

錯落(さくらん)たる秋声風林に在り

眼耳双つながら忘れ身も亦失のう

空中独り唱う白雲の吟

 

 

通訳、

 真実の道はひっそりとしてかすかで、手の届かない遠い彼方にある。せめて、私は、我欲利己心のない、てんたんとした心で人生を歩み、生涯を終えたいと考えている。

碧く澄んで河の水、青々とした山の緑を見るがいい、どこに我執の色があろうか。

広い天地を見るがいい、すべてみな無心である。ほのかに夕闇のとざす草むらの向こうに、明るい月が上がり、雑木林を吹く風が、わびしく入りまじる秋の音をひびかせる。

私は今、この風物を目にして、耳にしながら、感覚を失ったようにふと我を忘れ、

ひとり空中に浮かんで、白雲の歌を歌っているような気分を味わっている。

 

鑑賞、

 詩の気韻といい、格調といい、きわめて高く、そして深く、文豪漱石の詩作の最後を飾るにふさわしい絶唱というべき作品。

ちなみに、漱石は、この詩を作った翌々日から、床につき、それ以後は、ずっと病床の人として、十二月九日、ついに霊界に帰ったのである。

 

 大正五年十一月二十日の作、漢詩における絶筆となった作品。

 

 漱石が晩年到達人生観は(則天去私)であった。その詳しい解説は哲学書に譲るとして

(天の則って私を去る)というこの言葉は、西郷隆盛が好んだ(天意を知る)にも通じ、公正無私な天を手本にして、利己心を捨てるべきだという考えを表している。

 

 詩の最後のところの文章で、漱石は、幽体離脱をしているのかもしれません。

いずれにしろ、文豪漱石の素晴らしい作品です。

                感動以外にありません。

                            蒼氓より。

 

*****************************************************************************************************   参考、

スウェーデンボルグに関心を持っていたカーライルやエマソンを知っていた漱石が、スウェーデンボルグがどのような人物であったかを知っていた、というのは容易に想像できる。

漱石の「こころ」と言う小説に、主人公とKとの会話の中にスウェ-デンボルグの名を登場させている。

心霊現象や心霊学に関心を持っていたと言われる漱石は、スウェーデンボルグにも関心を持っていたのが伺われる。

 

*****************************************************************************************************

 

漱石没後100年、もし、漱石の意識と通じたら、こんな事言うかもしれません。

     我輩は霊である、肉体はもうない。

                          蒼氓より。

 

 

***************************************************************************************************

参考、

 

則天去私 ソクテンキョシ .【則天去私】

《天に則(のっと)り私を去るの意夏目漱石が晩年に文学・人生の理想とした境地。

自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの

                                                                                                     漱石自身の造語。

 

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第六話 108~112

108

知性で理屈立てをしてはならない。知性はその性質上限られたものであり、外面から判断するだけである。み霊は神  来 (金)インスピレーション )によってすべての物事を啓示する。

 

109 

わたしがあなたたちの中に生きていること、人間が神の久遠の子であることを知るがよい。羊は自分達の羊飼いの声を知る。

 

110

そして人類は何時の日にかは『事成れり(18)』というであろう。そして彼らは一体となるであろう、わたしが彼らの中にあるからである。父はその子の中において御自身を栄化し、全人類がわたしを知るようになるであろう。

 

111

この事の意味するもの、即、全人類が神我の愛、英知、仁慈、力を知るようになること、を思いしるがよい。

 

112

父は御自身を栄化されるであろう。御自身を子の中において顕現されるであろう。天において為されている神の御意志が地においても為されるであろう。

 

 

 

 

                心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                               

                            M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                       

                                               霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 事成れり(18)   十字架上の最後の言葉。

 

 

 

 

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