真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

人間

人間

人間は死ぬまでは本当の意味で生きているとは言えないほど、霊(英語原文:spirit<スピリット>)が肉体に束縛された状態だとシルバーバーチは言う。

人間は身体(英語原文:body<バディー>)と精神(英語原文:mental<メンタル>)と霊(英語原文:spiritスピリット)の三つの要素が常に一体となったものだが、物理的身体(肉体)は乗り物で、霊こそが真の姿である

人間は成就すべき霊的(スピリチュアルな)宿命を持った存在であり、死後に待ち受けるより霊的で大きな生命活動に備えるためにこの地上に来ている。

光の中でばかり暮らしていると光の有難さは分からない。霊界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、地上で苦労を十分に体験しておく必要がある

 

 

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I ASKED GOD

or

THE ANSWER TO ALL MY PRAYERS

叶えられた祈り

 

I asked God for strength, that I might achieve, I was made weak, that I might learn humbly to obey.

 自ら成し遂げるために 強さを与えてほしいと、神に求めたのに 私は弱さを与えられた 神に従う謙虚を学ぶようにと

 

I asked for health, that I might do greater things, I was given infirmity, that I might do better things.

もっと偉大なことができるように 健康を求めたのに 私は病気を与えられた もっと善いことができるようにと

 

I asked for riches, that I might be happy, I was given poverty, that I might be wise.

幸せになれるように富を求めたのに 私は貧困を与えられた 賢明になれるようにと

 

I asked for power, that I might have the praise of men, I was given weakness, that I might feel the need of God.

 人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに 私は弱さを与えられた 神の手助けを望むようにと

 

I asked for all things, that I might enjoy life, I was given life, that I might enjoy all things.

   人生を楽しめるように あらゆるものを求めたのに 私は命を与えられた あらゆることを喜べるようにと

 

I got nothing I asked for. but everything I had hoped for.

求めたものはひとつとして与えられなかったが 私の願いはすべて聞き届けられた

 

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.

 わがままばかりを望んだにもかかわらず 言葉にできなかった祈りはすべて叶えられた I

 

am among men most richly blessed.

 私はあらゆる人の中で もっとも豊かに恵みを受けたのだ

 

                             Author Unknown 作者不明

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 参考、

原文を求めてネットをさまよってみたのですが、「作者不明」というものはさまざまに変化するようで、「無名戦士の祈り」「病者の祈り」「祈りの逆説」とさまざまに呼ばれているようです。ただ内容はどれも驚くほどよく似ていました。

 

 

 

  

       youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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          シルバーバーチの霊訓(一)記載

 

 霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなたには分かりません

もしかしたら、あなたの祈りに対する最高の回答が、あなたにとって一番嫌なことかも知れないのです

ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように努めて下さい。

 

あなた方人間にとって悲劇と思えることが、私たち霊から見れば幸運と思え、

あなた方にとって幸福と思えることが、私たちから見れば不幸と思えることがあります。

祈りにはそれなりの回答が与えられます。 しかしそれは、必ずしもあなたが望むものではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番ふさわしいものが与えられます。

神は、我が子であるあなた方人間を見捨てません。

しかし神の施しを、地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。

 

   

 

 

記憶がこしらえる世界

記憶がこしらえる世界

 

初めの頃の訪問先は低級界が殆どで面白味のない世界だったが、それでも、いよいよ肉体に戻る前は必ずといってよいほど明るい境涯ないし界層へ連れていってくれた。

これには理由があり、低級界の大気には執着性があってそれが不快な後遺症を生むことがあるからである。  

一つの界層へ到達すると私にはすぐにその界の本性が知れる。というのも、幽体は極めて鋭敏で、その界の住民の思念を直接的に感じ取ってしまうのである

低級界の場合はそれが吐き気を催すほどと表現する以外に言いようがないほどの不快感を覚える。地上で味わういかなる不愉快さもそれとは比較にならない。というのも、地上では様々な思念が一度に襲ってくることはないが、霊界ではその界の特殊な思念が一つにまとまって一度に迫ってくるのである。  しかし、やむを得ずしばらく滞在する時は指導霊がその低級な波長を何らかの方法で中和してくれていた。

幽界の殆どの下層界においては、私の幽体はそこの住民には見えていない。  

下層界は地上とそっくりである。都会あり、町あり、村ありで、いずれも地上の現在のその地域の写しであるように思える。幽体がその界層と同じ波長を整えれば、そこの存在物は全て地上と同じく固く感じられる。  そうした地域性はその地域で他界した住民の精神の働きによって形成されるーだから見覚えのある環境となっているのだということを、何かの本で読んだことがあるが、それは事実のようである。

同時に、精神というものは細かな点まで再現する写真的ともいうべき記憶性を有していることも事実である。  

一例をあげれば、ある町の通りに街灯を見かけたことがあるが、これなどは夜のない世界では不要のはずである。が、地上で見ていたその記憶が自動的に再現するのである。  この無意識の創造力についてある時、霊界の教師と話をしていた時に

『その衣服はどこで仕入れられましたか』と聞かれたので、私は真面目に受け止めて地上の洋服店の名前を思い出そうとしたが思い出せなかった。実はその先生はそんなことを聞いたのではなかった。  その後で私の衣服を指差して『よく見てごらんなさい』と言われて改めて見ると、いつもの普段着を着ており、驚いたことに、チューブを強く押さえ過ぎて飛び散った歯磨きが全部取り切れずにシミになって残っているところまで再生されていた。  

下層界の住民は大なり小なり霊的真理について無知である自分が死んだことに気づかない者すらいるほどである。生活環境が変わったことに薄々気づいてはいても、夢幻の境にいるようで、はっきりとした自覚はない。

こうした種類の人間は地上時代そのままの常識を携えており、彼らにとって『』は相変わらず曖昧な存在である。環境が地上と少しも変わらないからである。  これだけ体験と知識とを得た私ですら、霊界のどこかに到達した時は自覚がはっきりせず、まだ地上にいるような錯覚を抱いていることがある。そのうち前もって知識が表面に出てきて、やっとそこが霊界であることを認識する。  見かけたところ大抵の住民が満足している様子である。

体調はいいし疲れを感じることもないからである。が、知識欲も好奇心も持たない。どうやら向上心というものは内部から湧き出るしかないというのが法則であるらしい。

いつかはその時期がくるであろうが、地上時代に染み込んだ観念がそのまま霊界生活となっている人が多く、習慣がそのまま持続されているのである。

その為、下層界では地上と同じ仕事が見られるー道路工事、工場での仕事、橋の建設、等々。炭坑夫が例の運搬車に乗って機嫌良さそうに鼻歌を歌っているのを見かけたことがある。  ある工場では溶接工が仕事をしているのを見物したことがある。火花といってもごく小さなもので、マスクもいらない程であるが、本人は大真面目で溶接しているつもりだった。見つめている私を見上げて『あんたもここで働いているのか?』と聞くので『いや、いや、ちょっと見物して回っているだけだ』と答えたことだった。  

霊の世界では思念が『具体化』するようである。それで『物』が存在するように思える。進化するとその一種の創造力が別の形で活用されることになる。有名な心霊学者のF・W・H・マイヤースが死後送ってきた通信『永遠の大道』の中でこの下層界のことを『夢幻界』と呼んでいるが、至言である。

 

                                                     私の霊界紀行

           F.C. スカルソープ・著 近藤千雄・訳

 

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「スウェデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた 今村光一抄訳・編

 

自分の未来を予知することは可能だ

私はこの手記の最後に記すように、1772年3月29日にこの世を捨て霊界へと住み家をかえることになっている人々は私がこのように自分の死の日(私からいえば、たんにこの世に肉体をすて霊の世界に移ることに過ぎないが)を何年も前から知っているいることは不思議でしかたがないだろうし、なかにはいまは私のいうことを信じない人々も少なくないだろう。

私は、人々には誰にでも本当は自分の一生の運命を定め知ることができるのだということを、ここで記すことにしよう。私は例によって、自分の生涯を二十歳のときに予言していたある男の例を挙げて、このことを説明してみよう。

 

彼はフランスの農夫だった。彼は二十歳のとき、すでにつぎのように自分の生涯の運命を語っていた。---彼は二年後の七月二十日、ある友なる者が西から現れ、その者は彼の五十二歳の六月まで彼と一緒にいるだろう。小さな友がこれに続いて三人現れるが、そのうちひとりは彼の三十五歳のなかばに彼に涙を与えるだろう。

 

また彼は、三十九歳の秋に水の底に彼の家が沈むのを見るに違いない。彼は三十二歳の春には、南十字星がよく光るのを見ることになるであろうーーー。彼は自身の”予言”どおり、二十二歳の七月に彼の村から西方にある村の同じ農村の娘を妻にし、妻は彼の五十二歳のときに世を去るまで一緒に暮らした。子供(小さい友)は三人生まれ、そのうちひとりは彼の三十五歳のときに病死し、彼に”涙を与えた”彼の村は彼の二十九歳のときに大きな洪水に見舞われた。彼の家は予言どおり水の底に沈むことはなかったが、農作物は”水の底に沈み”全滅の被害を受けた。また、彼はこの洪水後三年あとの三十二歳のときには、遺産相続のない親類の土地を相続したが、この土地は小高い丘の南向きの斜面の土地だったのである。私は、彼も私同様にある程度の「死の技術」を持っていたのだと思う。死の技術によって、彼もときには霊界へ入ることができたのである。霊界の霊同士のあいだでは、想念の交換中にその霊の人間であったときの一生や、その後にその霊が霊界で送るべき永遠の未来の霊の”一生”のことが、すべてこと細かに描かれた絵巻として相手の眼に見えることがあるということは、私はすでに記した。この絵巻は、霊でも自分の絵巻を自分で見ることは不可能なのだが、相手の霊が見た絵巻の内容を言葉で教えてもらうとか、あるいはその霊が眼に見える形の表象によって教えてもらうことはいたって簡単にできる。そこで、もし人が、ある程度死の技術を身につけて霊界に入り、ほかの霊と自由に想念の交換を行えるとすれば、死んで霊となる以前に、自分の人間としての一生の未来を知ることはたやすくできることになるわけだ。私は彼もこの方法で自分の未来を知り、それを予言として人々に語っていたのだと思う。

 

 

 

 第四章 霊界とこの世は一つの世界だった 196p

 

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備考、

スウェデン・ボルグは1772年3月29日自分の予言のとおり死去した。生前人の死も言い当てその通り死去している。スウェデン・ボルグいわく、こんなことはあの世で見てくれば簡単なことだと!      

                                  蒼氓。

 

 

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幸福とは一般に相対的なものです、不幸な状態と比較して幸福だと思うものです。

貧乏とか病気とかのない、私共よりもっと進歩した世界の人達は、私共が感じる以上に幸福を感じていますか。

 

幸福とは一般に相対的なもので、不幸な状態と比較して幸福だと思うものです。私共よりましだとはいっても、完全というわけではありません。従って、そういう世界の住民達にも悩みや心配事がある筈だと思います。

地上でも金持達は、貧乏人のような苦しみはないとしても、それ相応の悩みがないとは申せません。つまりですね、我々には我々の幸福度の基準というものがあるように、そういう進歩した世界の住民達にも、独自の幸福度の基準があって、その尺度によって自分達を不幸と考えないのかと、こういうことです。また彼等も私共のように、自分の運命に不足を言うことはないのかと、幸福度の尺度になるような過去の悪い状況の記憶はないのかと、こういう質問です。 「この問いには二種の回答がある。先ず、お尋ねのような住民達の中、過去生の記憶が明晰正確にあって、それ故に神から授かったままの幸福が享受できる、また享受している、そういう人々の世界が存在するということ。

またこれとは違って、

質問のような地上より進歩した状況にありながら、多大の苦悩や不幸さえも背負っている、そういう世界もある。

①彼等は過去の不幸な状況の記憶がない為に、現在のより進んだ状況を、そのように感じとれないのである。しかしながら、彼等には正しくその状況が感じとれないとしても、霊界に戻った時には、正しい評価が分かるのである」

 

                             霊の書  10章 地上への再生より

 

*****************************************************************************************************参考、

 ①  「苦しみは、喜びの深さを知るためにある

                            チベットの諺

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前世の記憶を失うこと

前生の記憶を失うこと

地上に生まれてくると、なぜ過去を忘れるのですか。

 

「人は何事も知ることは出来ず、また知ることもないであろう。神は英知をもってこのように定め給うた。もし目を遮ってくれる幕がなければ、急に闇から光へ出てくる人のように、目が眩んでしまうだろう。過去を忘れ去ることによって、人はいっそう自己自身であり得るのだ」

 

生前の記憶がないのに、どうやって生前の行為の責任をもったり、過去を償ったりすることが出来ましょうか。また前生の経験をどうやって生かすことが出来ますか。人生の苦難も、それが前生の悪行の報いであることが分かってこそ、初めて効果があるものでしょう。しかし前世を忘れてしまえば、人生はこれが初めてだと自分に思われ、同じ行為を何度も繰り返すことになるでしょう。これをもって、一体なお、神の正義と言うことが出来ますか。

 

「再生毎に、霊はその知性も、善悪判断の能力も進歩していく。もし霊が前生を何もかも記憶していたら、どこに彼の自由があろうか。魂が死後霊界に帰って来ると、その眼前に、過去の一切がパノラマのように見えてくる。彼はそこに自分の犯した過失を、苦しみの原因を見る。また、こうすれば過ちを犯さずに済んだであろう事情も分かってくる。こうして彼は自分が今置かれている境涯の正当さを噛み締める。すると、もう一度人生をやり直したい、今度こそ過去の失敗を償いたいと思う。過去には失敗したが、それと同じ試練をもう一度試みたい、あるいは又、進歩に役立つような試練を受けてみたいと希望する。そこで先輩の霊達に、来るべき自分の事業に援助してくれるよう頼む。彼は知っている。次の人生で自分の指導役に任命される霊は、彼が前生で犯した失敗について、何らかの直感を与えてくれることによって、失敗を償うように一生懸命努力してくれるということを。この直感とは、悪い考え罪ある欲求として、しばしば本人の心に起こるが、本人は本能的にこれを拒絶する、本人はこの拒絶を両親から受けた本性によるものとするが、本当は本人の良心の囁きによるのである。この囁きこそ、過去の追憶の囁き、過去の失敗をもう一度繰り返さないようにとの警告である。新しい人生で、不屈の意志でこの試練に耐え、誘惑に抗して失敗を犯さない者は、霊性進化を遂げ、再び霊界に戻って来た時、一段と高い境涯に入るのである」

 

〔注解〕もし我々が地上生活中に、前生について、自分が行った善悪いずれの行為についても、正確な記憶をもたなくても、我々は過去についての直感をもつ。それは本能的な囁きで、過去の過ちを再び繰り返すまいとする心の欲求とも言うべき意識であって、それが我々にそれを避けるようにと警告してくれるのである。

 

                           霊の書 地上への再生より

           前世の記憶を失うこと

 

 

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『愛する人を亡くした人の為の言葉』  リンドウの花束をあなたへ。

前書き この「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」は、愛する人と死別し、身も世もない悲しみに身を裂かれるような思いをしている人を慰め、力づけることを目的として書きました。

いまここに生きて、傷つき、血の涙を流している人のために。愛の喪失にうちひしがれ、何もかもが信じられなくなってしまった人のために。そして、深い純粋な愛情が逆に生きていくことの重しとなってしまった人のために。 そのすべてが正しいものかは分かりません。でも、愛する人との死別という残酷な運命に翻弄されている人達に対して、少しでも穏やかな癒しの時間を作ってもらうことができれば、と心をこめて書きました。

なお、この文章は特定の宗教や団体とは無関係です。

私個人の体験と想いから書きました。 1997.2.12  中原 憬(けい)

 

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1.

あなたがこの悲しみを引き受けることにより、その人はこのつらい悲しみを悲しむことがなかったのです 強い絆で結ばれた二人がいたとき、片方が先に旅立ち、片方が残されるのは、この世の宿命です。人は必ず訣れなければならないと運命づけられています。悲しみを背負って生きて行かなくてはいけないのは、一人だけです。 あなたは愛する人にこの悲しみを味あわせることがなかったのです。

 

2.

もはや、その人はこの世のあらゆる苦しみから逃れました この世の悲惨さや残酷さから、悲しみや苦しみから、痛みから忍耐から、その人は、いまや、あらゆる束縛から自由になりました。いまは、天使や神の近くにいて幸せなのかも知れません。

 

3.

その人の優しさ、温かさはあなたの中に受け継がれました その人のことを思い出すとき、その人の優しく温かいシーンばかりが思い出されませんか?あの時に、こんなふうに優しい言葉をかけてくれた、こんなふうに気遣ってくれた、というように。生きている間は口ゲンカもしたし、鼻につくところもあったはずです。でも、もうその人は栄誉ある天国の住人ですから、人々に美しい思い出だけを振りまいているのです。こうして、あなたの心の中には、美しい記憶ばかりが残っていくのです。 その人の優しさ、温かさはあなたの中に受け継がれました。

 

4.

その涙はその人のための涙ですか。それとも自分が可哀想だから流す涙ですか その人のための涙なら、涙が涸れるまで泣きなさい。それは、美しい涙です。 しかし、自分のための涙なら、それは醜い涙です。 その人のための涙に、自分のための涙を混ぜないようにしませんか。

 

5.

悲しいときには思いきり泣きなさい。我慢して平静を装うのではなく、ひとりにしてもらい涙が涸れるまで泣きなさい たとえ何日間でも、泣いて泣いて、涙を流してください。 涙はあなたの心を護るためにあります。 涙が枯れて一滴も出なくなったとき、不思議と心が静かになります。 自分自身が澄みわたり、生きていることを直に感じられる透明な意識だけが残ります。 ----そのときに、世の中で美しく見えるものを探してみてください。 きっと生きる希望が見えます。

 

6.

その人を愛した証 その人を喪った心の傷が痛くて痛くて仕方ないのでしょうか。 心の傷口から血の代わりに涙が流れ落ちているのでしょうか。 こらえようのない痛みが、あなたを蝕んでいるのかも知れません。 その痛みの叫びが、慟哭(どうこく)となっているのかも知れません。 あなたが、あなたである限りこの心の痛みはあります。 ただし、とても大切なことですが、この痛みにはやがて慣れることができます。 この痛みはあなたがあなたである証です。 あなたが、その人を愛した証です。 痛みは痛みとして、生き抜いてください。 もちろん、愛の深さを証明するために後を追う必要もありません。 証はこの胸にあります。

 

7.

ひとはつらい思いをした分、ひとに優しくなれます この涙は、あなたが成長するための涙でもあります。 少なくても、あなたは、愛する人を喪った心の痛みを知りました。 その悲しみと痛みと。 同じように他人が悲しむことがあったとき、あなたは、その人の立場に立つことができるはずです。

 

8.

悲しみや苦しみを通過する中で獲得していくもの 悲しみや苦しみという壁があるから、ひとは成長するのです。もし、一生幸せなら、ひとは何も考えず、甘えん坊の子供のまま大きくなってしまうはずです。 人は生きている限り悲しんだり苦しんだりします。もし、その人が悲しんだり苦しんだりしなくなったら、その人の人間としての成長は止まってしまっているということです。 悲しみや苦しみを通過する中で、ひととしての経験が積まれ、ひとに優しくなるための強さを身につけていくのです。

 

9.

悲しみが深いということは愛情が深かったということです あなたは、こんなに悲しむほど人を愛したのです。素晴らしいことです。それだけ愛の深いあなたなら、きっと、また人を愛することができます。

 

10.

その人は、あなたが人一倍幸せになることを誰よりも強く望んでいたはずです その人は、いつまでもあなたが心寒く悲しんでいるのを望むような人ですか。 天国で心配させてはいけません。

 

11.

自分を責めないでください 遺された人は、誰しも、その人が死んで自分が生き残っていることに大きな不安と負い目を感じるものです。そして、その思いが不当な罪悪感にまでなっていることは珍しくはありません。 実に多くの人が、その人が死ぬ直前に自分がした、あるいはしなかったほんの些細なことで、自分をひどく責め続けます。 しかし、その理由はほとんどが主観的なものです。もし、あなたが本当に悪かったのなら、相応の社会的な処罰を受けていることでしょう。その人を思うあまりに、自分の落ち度を過大に考え過ぎるのです。 聖人のような生活をしていない限り、何も後悔しないというのは無理です。 どうか自分を責めないでください。

 

12.

あなたが、そこにいたことがその人への貢献 その人は、あなたと過ごせてどんなに幸せだったでしょう。あなたの存在そのものがその人への大きな貢献だったはずです。だから、あのときこうすれば良かった、などと小さな事を後悔するのはやめましょう。

 

13.

後を追って死のうなどと思ってはいけません このつらさと、悲しみをほかの人にも味あわせてはいけません。あなたが死んで悲しむ人がいる限り、そんなことをしてはいけません。あなたが悲しみから逃れられても、この悲しみを新たな人に背負わせてしまいます。あなただけの命ではないのです。

 

14.

あなたはかけがえのない命をひとつ喪いましたが、あなたの生命が、新しい生命をこの世に与えることもできるかも知れません もし、あなたが子供をつくることができるのなら、あなたはこの世に命を創り出せるのです。あるいはもう命を創り出した後かもしれません。あなたは命と愛を失ったと嘆いていますが、あなた自身が命と愛をこの世に創り出せることを忘れないでください。もし、あなたが子供をつくることができなかったとしても、愛は創り出せます。それだけでも充分。

 

15.

無垢 赤ちゃんを見てください。あなたと一緒で泣いてばかりです。 でも、あなたと違うのは泣いた後にはすぐ笑うことです。 赤ちゃんは悲しいことがあったからといって、いつまでも泣き続けることはありません。過去に囚われず、未来を憂いません。自由で無垢な天使のような存在です。 ただ純粋に、生きることしか考えません。 ただ純粋に、愛を求めて、愛されます。 あなたにもこのような一時期があったはずです。 悲しみに押しつぶされそうになったとき、無垢な存在だった自分を思い出してみてください。

 

16.

悲しみから逃れたいと思ったら、他の誰かを愛することを考えること 愛されることをではありません。愛することを考えるのです。その人が死んであなたよりも悲しくつらい思いをしている人はいませんか?その人を支えてあげてください。 あなたにならできるはずです。

 

17.

気持ちが千々に乱れたとき、そんな時は眠りの王国に逃げなさい 涙が涸れるまで泣きない。そして泣き疲れたら眠ることです。眠りの王国にいる間、あなたは、この世のすべてから逃れることができます。眠っている間、あなたを護ろうとする目に見えない働きによって、あなたは夢を見ている間に少しずつ癒されます。

 

18.

心の中がガラスの破片でいっぱいになったようなどうしようもない気持ちのときには とりあえず、食べて、眠ってください。それがあなたの命を最も安定させるための基本動作です。

 

19.

ショックで呆然として涙も出ないときには 涙が出れば楽になれます。涙が出ないと心に負荷がかかりっぱなしになってしまいます。泣き叫ぶとストレスが発散されるのです。そんな時には悲しい思い出を思い出してでも泣いた方がラクになれます。

 

20.

怠惰から抜け出せず、さりとて心の中はイライラしてストレスが溜まっているときには 怠惰が自己嫌悪を引き出し、その毒が心を害しているのです。こんなときには、パッと立ち上がって体を動かすことです。部屋の中で体を動かしてもつまらないですから、外出してはどうでしょう。外に出れば新しい風があなたの心を慰めてくれるはずです。

 

21.

冬の次には必ず春がきます 一日の内には夜があり、昼があります。一年の内には、冬があり、春があります。 自然には巡りくる季節があります。この悲しみは決して永遠には続きません。

 

22.

人間はどんな状況にも適応していきます。やがて悲しみにも慣れます どんなにつらい苦境に立っても、人間には適応する能力があることを忘れないでください。人間は慣れることができるのです。だから、今の一瞬が果てしのない苦しみに満ちていると感じても、やがてその状況に慣れます。そして、だんだんと意識からは消えていきます。大丈夫です。今が辛くても未来を信じて耐えてください。

 

23.

涙の意味 涙は悲しいときだけでなく、嬉しいときにも流れ落ちます。それは、感情が極まったときに現れる、ひとの生の輝きなのです。 生に触れたとき、生を喪ったとき、涙は流れ落ちます。涙は、あなたが魂の真実に触れたときに溢れるのです。そして、あなたが、最も人間らしい瞬間に涙は流れ落ちます。 あなたが、生きて、生きて、生きているときに。

 

24.

愛する人を誤って死なせてしまったとき、自分の死をもって償わないでください あなたが死ねば、残されたあなたの家族や友人は、その悲しみを背負って生きていかなければいけません。もしその人と二重の悲しみを悲しむ人がいれば、それはあなたに降りかかった悲劇よりもさらに痛ましい悲劇となるかも知れません。あなたは人の死の悲しみを背負うつらさを充分に知っているはずです。死は安直な逃げ道ですが、決して選択してはいけません。道義的にどうしても自分は死ぬべきと思っても、あなたの死が新たな悲しみをつくり出すという罪深さを考えれば、道義的な死などあり得ないのです。

 

25.

事故にあったとき 事故などでむごく遺体が損傷しているほど、その人は苦しみを感じている時間が短かったのです。また、人間は一定以上の苦痛があると気絶するようにできています。きっとあなたが想像するよりも、その人は苦痛に襲われなかったはずです。----少なくとも、いまは何の痛みも苦しみもない世界にいます。

 

26.

宿命 その人との出逢いは運命の出逢いだったのでしょうか。 他の誰でもなく、その人との出逢いだけが、真実の愛を成就する運命だったと。 そして、その人の死は何かの間違いだと。 あなたとその人との出逢いが運命の出逢いなら、この悲しい別れも運命の別れなのかも知れません。もしかしたら、生まれる日から、死ぬ日まで、すべては決まっていたのかも知れません。 あなたと出逢い、あなたと別れることさえも。 宿命というものがあるのだったら、それがあなたとその人の運命だったのです。 ----そう考えた方が、気が楽です。 そのことが起こってしまったのは、あなたや誰かのせいではないのです。

 

27.

悲しみは愛そのもの あなたがこのような過酷な運命に突き落とされたとき、あなたは現実を否定するために自分を責め始めたり、別な誰かを責め始めたりするかも知れません。あなたの心の中に誰かへの憎しみが溢れてしまうかも知れません。 しかし、涙を流しても、誰かを憎んだりしないでください。なぜなら、悲しみは愛そのものといってもよいのですが、憎しみは愛とはまったく逆なものだからです。 その人にたむけるのは愛だけにしませんか。

 

28.

人の心の悲しみが分かる人間になったということは 誰かがこう言いました。「誰かひとりを悲しみから救うことができれば、私の人生は無駄ではないだろう」。 あなたは、いまこの悲しみを通じて、人の悲しみがより分かる人間になりました。もし誰かが愛する人を失ったときにはその人の気持ちがわかるでしょう。あなたは愛する人の死を貴重な体験として、ひとつ成長したのです。

 

29.

世の中は残酷で無情です。でも人の死を悲しむあなたの心は違います。あなたは温かい あなたは悲しんでいます。それはあなたが愛情深かったからです。世の中が残酷で無情な場所であったとしても、あなたは違います。あなたが優しい人であればあるほど、あなたは悲しみます。そしてあなたは涙の数だけ人に優しくなるための強さを得ていくのです。

 

30.

愛を失った傷は、愛で癒されます あなたが傷ついていないか、あなたの家族をはじめ、みんな心配していることと思います。自分がこのような温かい愛情に包まれていることにも少しだけ注意を向けてみてください。 あなたが悲しんでいることを心配してくれている人がいることに気づいてください。あなたの家族、友人の愛が、そこにあるのです。もし、あなたが天涯孤独の身だという場合でも、あなたの愛する人が天国で心配していますよ。

 

31.

痛みの中から命の尊さを学んだあなた あなたはその人の死で命の尊さを学んだはずです。人が死ぬと、こんなにも悲しみ、苦しむ人がいるということを。それはその人が命をもって教えてくれたことです。

 

32.

まだ失っていないもの 失ったものばかりに気を取られていると、いま持っているものを疎かにしてしまいますよ。 ----残念なことに、多くの場合、それは失ってからでないと気付かないのです。 あなたの周りを注意深く見回してください。まだ失っていないものが沢山あるはずです。

 

33.

あなたにできること 大切な人よりも、一日だけでもいいから長く生きてあげること。

 

34.

美しいものに目を向けてください 運命というものは残酷なものですが、この世の中には、愛情や美しいものもたくさんあって、決して捨てたものではありません。 涙が涸れ、涙が出なくなったときに、あなたは直に生と向き合っています。このとき、あなたの感受性は世俗の垢が流し落とされ、あらゆるものが新しい意味をもって見えるようになっています。その中で美しく見えるものを探してください。きっと見つかります。

 

35.

悲しいときには悲しい音楽を聴いてください 悲しい気分のときには、哀愁を帯びた音楽を聴いてください。その方が気が晴れるからです。悲しい映画や、小説、詩もお薦めします。

 

36.

胸に穴が空いたような空虚さを感じるときには、忙しくしていることです 悲しいときには、思いきり泣けばいいのですが、虚しさでこころがいっぱいになったときには、体を動かし、自分を忙しくさせることです。

 

37.

涙が出ないときには、身体を横にしないように 身体を横にし、身体の活動を停止すると、自分の頭の世界に意識が入り込みます。 「生きるのがイヤ」とか「何もしたくない」という怠け心が出てきたら身を忙しくしてください。 そう、まず洗濯と部屋のゴミ捨てからはじめてみませんか?この二つから始めると、意外に気が晴れますよ。

 

38.

お風呂は憂鬱の特効薬 鬱々としてしまうときには、お風呂が一番です。少しくらいの憂鬱なら吹き飛ばしてくれます。お風呂上がりには心がデリケートな状態に仕上がるものなので、このときにTVを観てはもったいない。好きな趣味に没頭してみてください。

 

39.

私には心を打ち明けられる友人がいないという人に ペットを飼ってみてはどうでしょう。もし、犬、猫などは世話が大変という場合でも、ハムスターや小鳥などなら比較的手軽に飼えます。ペットはあなたの言葉を理解してくれませんが、あなたに無償の愛情を惜しみなく振りまき、生きることの喜びを体現し、あなたの心から愛情を引き出すという大切な役割を果たしてくれます。

 

40.

種をまいて植物を育ててみませんか 植物の世話をすると、日々、目に見える成長を楽しむことができます。あなたが水をやることで、植物は静寂を保ちながらも、生きて変化していきます。 花が咲いたときにはその美しさに慰められるでしょう。日々の世話が、色鮮やかな花に、そして種子に結実するのです。花は生命の輝きであり、種子は次世代への命の塊です。 ひとつのライフサイクルを見ている中で、あなた自身の姿をそこに見ることもきっとあります。弱々しくも命の輝きに溢れた新芽の時期、ただ上に上に成長することを望む若々しい時期、しっかりと根を張り、葉を広げ、脈々と成長する時期、新たな変革への予感に満ちたつぼみの時期、花開き、色鮮やかな美しさによって生命を輝かせる時期、他の花との受粉を終え内に新たな光を宿す時期、生命力のエネルギーを豊かな実りへと蓄える時期、すべての役割を果たし、土に返る時期。 一鉢の植物にさえ、このようなさまざまな時期があります。あなたの人生にももっともっと多くの時期があるはずです。悲しみに立ち止まらず、ただただ成長しようとする植物の命を見てください。

 

41.

こころのバランスを失いかけても 繊細な感性を持った人の場合、あまりに悲しみが深いとこころのバランスを失いかけることがあるかも知れません。夢と現(うつつ)の境目がはっきりしなくなったり、ありもしない声が聞こえることがあるかも知れません。そのようなときに、自分の未来にひどい不安を感じることがあるかも知れません。でも、心配しないでください。 現代はそのような症状があってもすぐに良くなる薬があります。 余分な不安を抱くことなく、どうか心を静かに落ちつけてください。大丈夫です。

 

42.

破滅的な気持ちになったら、カウンセラーに カウンセラーにあなたの心を吐露すると、あなたはそれだけでかなり解放されるはずです。自分一人でつらい思いを抱えていないで、自分に人を頼るということをさせてあげてみてください。

 

43.

一番お気に入りの衣装を着て、街に出てみよう 思いきり時間をかけて、思いきり贅沢をして、とことん自分が気に入る洋服を見つけて、街に出てみましょう。あなたが男性でも同じです。昔から自分のお気に入りの服を着て街をあるくことは、どんなカウンセラーにかかるよりも効果があると言われています。嘘だと思わずにやってみてください。

 

44.

すさんだ気持ちでイライラするときは、何かを一生懸命にすること 人が幸福になる方法は限られています。愛の中にいることか、何かを一生懸命することのどちらかです。何かを一生懸命するために目標を見つけてください。

 

45.

何のために生きているのだろう 何のために生きているのだろう。虚しさに心を奪われて、悲しい気持ちでそう呟くことがあなたの癖になってしまったのかも知れません。 でも、その言葉は、心の扉をひとつ開けるための重要なキーワードなのです。 素晴らしい言葉ではないですか。改めて自分に尋ねてみてください。 何のために生きているのですか。あなたは、何をすれば真の満足を得られるのですか。 一体、何があなたの人生で重要なのですか。 いま、あなたはこの人生の扉を開けたいと希って(こいねがって)います。 ひとつひとつのこの呟きがこの重い扉をゆっくりとゆっくりと開けていきます。 そこには、あなたが本当に創り出したい人生があります。 大切な答えはすぐには出ません。あせらないことです。

 

46.

働くことを辞めてはいけません その人を喪ったショックと悲しみで何もかもやる気をなくしたとき、そんなときに日々働いていた仕事を辞めてはいけません。たとえ、胸に穴が空いてしまったような痛みと悲しみに蝕まれ続けていても、たとえ、毎日の行き帰りの路の途中で涙が溢れてきても、それまで日々営々と続けてきた仕事を辞めてはいけません。 それほど深い悲しみから立ち直るときにこそ、仕事をするという気の張りや仕事場の同僚、友人のまなざしが必要なのです。これらのことは悲しみを紛らわしてくれます。また、悲しみを隠して周囲の人を心配させないという社会的な装いをそこで学ぶことができます。

 

47.

あなたはいま、ここに生きています あなたは身を引き裂かれるような苦しみを感じているのかも知れません。底なしの空しさを感じているのかも知れません。言葉に尽くせないほどの悲しみに耐えているのかも知れません。高い所から落ち続けるような不安を感じているのかも知れません。吹雪の中のような孤独を感じているのかも知れません。自分を殺したいほどの自責の念に駆られているのかも知れません。 おそらく、神は人間がどんなに深い感情の深みからも逃れられるように、過去と現在と未来をつくったのです。 ----あなたはいま、ここに生きています。

 

48.

悲しみの底 あなたは悲しみのどん底にいるのですか。だったら、もうそれ以上悲しむことは起こりません。あとはいいことだけが待っていますよ。あとは、泣くのをやめるだけです。

 

49.

どんなに悲しくても、それが嫌でも、あなたはその人のことを忘れていきます あなたの深い感情は、砂浜の砂の城のように少しずつ無くなっていきます。もし、それが嫌でも、あなたの悲しみは砂浜の城と同じで、いつまでも残り続けることはありません。雨や風や波により、やがて砂浜の一部に戻り、海に濯われるただの砂に戻ります。

 

50.

すべてのものが色彩を失った暗闇の世界で あなたは、今まで楽しかったことや、大切にしてきたことのすべてが崩れてしまった光のない暗闇の世界に投げ出されてしまったのかも知れません。でも、信じてください。暗闇がやがて音もなく静かに、いつの間にか朝焼けを迎ることを。気が付かない内に、虚しさという冷たい霧が晴れて、太陽の光が射し込んでいるときのことを。

 

 50~100は、中原 憬(けい)さんのホームページを見てください。

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愛する人を亡くした人の為の100の言葉

の後書き 「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」の始まりは、遠く私が高校生だったときまで遡ります。

当時、多感な15歳だった私はある日突然に愛する人の死に直面しました。それは不条理で残酷な死でした。 私は絶望と後悔の闇に沈みました。それから数年間は言葉に尽くせないような悲しみ、苦しみに心を荒ませ、慟哭と懺悔の日々を重ねました。

死にたいと思い、そのときに誰も悲しませないように孤独になりました。 何もかも失ったと思いました。 涙が枯れた後の静謐な夜、生と死について、人生について、人間について考えました。 ただ、美しい音楽と文学が心の支えでした。 やがて、果てしなく思えたその深い悲しみも、慈悲深い時間の流れと、一滴ずつ流した涙がすべてをゆっくりとさらっていきました。

ただし、そのことは遠く振り返ったときにはじめて分かることです。 気がついたら、夜が明けるように、ごく自然に心の闇は消えていました。人より何年も余計にかかりましたが。 もう、すべては遠い過去の出来事です。いまでは涙を流すこともほとんどありません。 悲しみそれ自体は、私と融け合い影をひそめました。 もちろん、亡き人を忘れたという訳ではありません。 私の心の中に、その人はいます。 *     *     * そんなある日、「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」が誕生した直接のきっかけがありました。

 

同僚が肉親を亡くし、慰めの手紙を出したことです。そのときにこのような言葉ならいくらでも自分の内側から湧いてくることに気付いたのです。 当時の自分を思い出しながら、ひとつひとつの言葉を心をこめて書きました。 川になるほど流したその涙が、長い年月を経る内に私の心の奥で、きれいな泉となって湧いて出てきたようです。  

 

          美しい言葉達ができました。

 

私にとっては、魔法の妖精達のような存在です。それぞれ個性があります。彼らは100人がかりで、悲しみに心を塞いだ人達を慰めてくれます。 彼らは私からは、独立した存在です。私が外出していても、眠っていても、休むことなくインターネットという魔法の絨毯(じゅうたん)にのって世界中の涙にくれる目を探してくれます。

私のあずかり知らないところで、働き続けているのです。 かりに、私がこの生を終えたとしても、きちんと手はずを整えておけば、彼らは永遠に働き続けてくれることでしょう。 本当にありがたいことです。本当にうれしいことです。 どうか、この働き者の妖精達がひとりでも多くの人達を慰めてくれるようにと、心から祈って止みません。

 

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リンドウの花束をあなたに。

 

 こんな曲はどうでしょう。 

 

 

 

                作詞、作曲、松山千春  

 

 

~たえまなく押し寄せる 

悲しみに ふるえても

貴方がどこかで 見ていてくれる

幾千の 時が過ぎ 

再び逢える事を

私はその日を 夢見ているの

 

遠い空の星 私もいつか

貴方のそばで 輝いている

 

尽きる事のない愛

貴方に 伝えたくて

見上げた空さえ にじんでいます

ぬぐえぬ 涙さえも

愛しいと 感じます

逢いたい貴方に想いはつのる

 

遠い空の星 私もいつか

貴方のそばで 輝いている~

 

~見上げた空さえ にじんでいます

ぬぐえぬ 涙さえも

愛しいと 感じます

逢いたい貴方に想いはつのる~

 

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人は星空を見上げ、何を想うのだろう。 ラジオをから流れる「星」を聴きながら思った。 

 

 

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。 (マタイの福音書5:4)

  

 人間はすべてが順調に行き、自分の思い通りにことが運んでいる時は得意になって、益々自分の力を過信して高慢になって行くものであります。

しかし、思いがけないことが起こって壁に突き当たって行き詰ると、はじめて自らの弱さを認め、他者の助けの必要を強く感じるのです。

悲しみの中にある人は失望しており、孤独です。そして、慰めを求めています。そして、その求める心が真の慰め主なる神に触れるのです

悲しい時に、人から慰めを受けても、それは、一時的なものであり、表面的なものものです。しかし、神からの慰めこそ、真に心の底から与えられる慰めなのです。                              

 

  神=霊的真理

 

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神は遠く離れた近づき難い存在ではなく自分の内部にいる

肝心なことは、魂が真の自分自身を見出し、全存在の源に触れることです。

神が遠く離れた近づき難い存在ではなく、自分の内部に宿っていること、従って困難や危機に遭遇した時に使用できる霊的な武器、力、貯え、潜在力がちゃんと備わっていることを知るべきです。

それだけではありません。 内部の莫大な潜在力とは別に、外部の無限の霊力の恩恵を受けることも出来るのです。

進化の階段を一つ一つ昇りながら、その一段ごとに、その霊格に合った霊が待機して、援助の手を差しのべてくれるのです。 これは大切な事実です。

 

 

 

             シルバーバーチの霊訓9

 

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