真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

霊的法則を知らなかった為の失敗

     

       霊的法則を知らなかった為の矢敗

 

期待をこめて床に着きながら何事もないまま数日が過ぎた。そしてやっと三回目の霊界旅行を体験することになった。

この時は、同じように受身の姿勢を保っていたが、屋根と樹木の薄ぼけた輪郭が私の身体の下を通り抜けているのを見ているような感じだった。そこで私は意志を働かせてその映像から注意を外させた。

私の考えではそれは地上的映像であり、それに気を取られるということは地上へ意識を戻すことであり、霊界旅行の妨げになると思ったのである。私にしてみれば、たった一度の旅行でも無駄にしたくないという気持ちだったーそれほど興味津々だったのである。

間もなく動作の感覚が消えた。周りを見渡すと、私の目に映った限りではたった一人きりで明るい片田舎に立っていた。

そこえ突然妻が近づいてくるのが目には入った三十メートル程先である、私に見覚えのある足取りで笑い顔を浮かべながら近づいて来る。その時の私の気持ちは「ああやっと再会出来た」という思いで一杯だったと述べる以外に言い表しようがない。その時の光景はそれまで何度か霊視していたものより遥かに鮮明だった。妻は自宅に置いてある肖像写真と同じコートと思えるものを着ていた。

その写真のことを思ったことが間違いの発端だった。いつもそれを眺めては心に抱いていた哀惜の念が湧いたのである。すると突然私はそのシーンから後退し薄い闇の中をグングン引っ張られてゆくの感じた。

その瞬間、私は間違ったことをしたことに気づいた。ベットに戻ってから、肉体の感覚のなかで私は残念無念に思った。が私が一方的に悪いのである。哀惜の念は地上的無知の産物である。つまり死を永遠の別れとして悲しむ情である。それは真実を完全に無視した情であり、霊的法則に反し波長を下げることになる。

私はまだ霊界の住人ではない以上、その低い波長は肉体には適切である。結局私は地上で生活するような具合で無知のままで霊界で暮らすことは許されなかったのである。間違ったことをして一体どうして神の法則に特別の計らいを期待出来ようか。果たせるかな、その夜は天井に例の成功のシンボルは見られなかった。

 

                                               私の霊界紀行

           驚異の幽体離脱体験記

          F・C・スカルソープ・著  近藤千雄訳

 

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いずれにせよ、その霊的実在を信じた時、あなたに霊的な備えが出来たことになります。すなわち一種の悟りを開きます。

 

大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。

こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きて生いるのだということが理解いできないのです。

人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体があって霊はその付属物であるかのように理解している人がいます。本当は霊が主体であり肉体が従属物なのです。つまり真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神聖を有し、永遠なる存在なのです。

肉体は霊がその機能を行使できるように出来上がっております。その形体としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。その辺の理解ができた時こそあなたの内部の神性が目を覚ましことになります。肉体的束縛を突き破ったのです。魂の芽が出はじめたのです。

ようやく暗闇の世界から光明の世界へと出てきたのです。あとは、あなたの手入れ次第で美しさと豊かさを増していくことになります。

そうなった時こそ地上生活ほんらいの目的である霊と肉との調和的生活が始まるのです。

霊性を一切行使することなく生活している人間は、あたかも、目、耳、あるいは口の不自由な人のように、霊的に障害のある人と言えます。

霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。

霊の宝は地上のいかなる宝よりも遥かに偉大であり、遥かに美しく、遥かに光沢があります。

物的なものが全て色褪せ、錆つき、朽ち果てたあとも、いつまでも存在し続けます。

魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し延べます。

 

 

 

                       シルバーバーチの霊訓(一)

          一章  あなたとは何か   p33~p35

 

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「何事もその動機がその価値を決めます」

慈善事業(チャリテー)に気前よく大金を寄付する億万長者は、その行為によって少しも霊性は伸びません。

反対に、これは絶対に意義があると信じて無い金をはたいて援助する人は、その動機ゆえに霊性が伸びます。

 

苦しむ人をみて止むに止まれぬ気持ちになるのは霊的属性の一つです。

愛・情愛・友愛・同情・哀れみ・親切心・奉仕の精神は霊の属性です。

それらを表現しているときあなたは霊的自我を表現していることになります。

         シルバーバーチ霊訓 (十二)

 

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おすすめ動画。

2017年9月21日   奇跡体験 アンビリーバボー

 

 ルイス・マルキー~ 弱小バスケ部奇跡の大逆転~奇跡体験!

 

 

 

 

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(471)私共はこれという原因もなしに、理由のない不安感、動揺、また内心の満足感を感じることがあります。あれは身体の状態からそうなるのですか。

 

 

「その多くは、諸君の周りにいる霊魂との、無意識の交流によって起こるのである。また、睡眠中にその交流がなされることもある」

 

(472)

 霊が私共を悪へ誘うのは、私共のもっている状況をうまく利用してそうするのですか。

 

それとも、霊が自分で都合のよい状況を作り出してそうするのですか。

 

それは都合のよいチャンスを見付けてそうするのだが、彼等じしんで作り出すこともよくある。つまり本人が気付かなくても、本人の欲望に沿ってささやきかける方法で。

たとえば、路傍で一束の紙幣を拾うとする、この金は霊がそこえ置いたと思ってはいけない。しかし、霊はそこを通るように本人にささやきかけるかもしれないのだ。本人がこの金を見付ける、すると霊はこれを着服するように本人にささやく。他方、落とし主に返せという声も聞こえる。試練はすべてこのように行われる」

 

         霊の書上 12章地上界での霊の介入

                  アラン・カーデック編 桑原啓善訳     

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霊の書(下)「心霊主義が人々の不注意とか物質への愛着に負ける、という恐れはありませんか。」

 

 

 

(800)「何かの原因があれば、人類が魔法をかけたように変わると思うことは、人間性に関する随分と浅薄な知識を示すものだろう。

 

観念というものは、個々の人間性の変化に応じて、徐々に変化するものです、古い習慣の根絶には数世代を要する。

 

それ故人類の変革は時間をかけて、歩一歩、事実をもってする影響感化によってのみ進展する。一つ一つの世代を経て、ヴェールの一部づつが融けていく。

 

心霊主義は今このヴェールを消散させようとしている。さて、もしここに心霊主義が、一人の人のせめて一つの欠陥を癒やすとすれば、この人を一歩前進させたこととなる、そしてこの事は、この人に多大の善を為したことになる。

と言うのは、1*人は第一歩が肝心なのであって、これによりその人の以後の進歩は容易となるからである」

 

          霊の書(下)

 

       アラン・カーデック編 桑原啓善訳

 

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備考、 世界三大霊訓の一冊です。   

 

1*まさしく、このサイトの意味もそこにあります。 

 真理との邂逅(出会い)           蒼氓。

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******「地上の人間は肩書きやラベルや名称を崇めるのがお好きです」。******

 

が、クリスチャンを名のろうと無神論者を名のろうと、何の違いもありません。

 

大切なのは実生活において何をするかです。

       

仮にここに宗教など自分には無縁だと言う人がいるとしましょう。

神の名を唱えても頭を下げようとしません。

 

しかし、性格は正直で、人のためになることを進んで行い、弱いものに味方し、足の不自由な犬が柵を越えるのさえ手助けしてやり、打ちひしがれた人々の身になって考え、困った人を援助しようと心がけます。

 

もう一人は見たところ実に信心深い人です。あらゆる教義、あらゆる教説を受け入れ、信仰上の礼儀作法には口やかましく気を使います。

 

しかし心の奥に慈悲心は無く、生活の中において何ら人のためになることをしません。

 

前者の方が後者よりはるかに宗教的人物と言えます。

 

 

           シルバーバーチの霊訓(3)

 

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備考、

再三、バーチが言っているようにラベルは関係ないようですね、生き様ですね、人のためになることをすることです。がんばりましょう。          

 

                                                                                                                                蒼氓

 

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「スウェデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編

 

大きな地響きとともに、彼の立っていた地面がまっ二つに裂けたのだ。そして、この裂け目は彼の目のとどく限りの霊界のはてまで一瞬のうちに広がっていった。中から暗黒のどれだけの深さとも知れぬ深淵がのぞいていた。彼は気絶せんばかりに驚いた。だが、彼の驚きはこれに止まらなかった。裂け目の中から一巻の巻物のようなものが現れた、彼の足下に置かれると、その巻物のようなものはするするとひとりでに音もなく広がっていったのである。

だが、つぎに不思議なことに彼は気ずいた。それは、青年の霊は、こんな大異変にも一向に気ずかない様子で相変わらず、先ほどからの話を続けていたことであった。

1*巻物にはなにが記されていたか、それはその青年の霊の人間であったときの一生の記録と、これまでの霊界での記録、そしてこれから彼が霊界で送るべき永遠の未来の記録までがすでに書かれてあったのである。

人間の感覚は霊のものに比べれば数千倍もいや、もっと鈍感だ。だから、人間がもし霊の話を聞けたとしても彼にはわかりっこないのだが、霊同士のあいだでは相手の言葉の中に含まれる話し手の意思、感情、知性の姿がはっきりと眼に見えるように映る。意思、感情、はその言葉の諧調の微細な変化のなかに、知性は、言葉と音節の無意識の配列の中に現れるのである。これは、一万キロメートル離れて針の落ちる音を聞くようなかすかなものなのだが、霊にはそれがわかるのである。また霊は、その言葉を自分の心の状態そのままに、ほとんど自分では意識せずに音声にだして話す。そこには、人間のようにいろいろな思惑や判断にわずらされるものわない。このことから彼の言葉は、すべてが純白な雪のように霊の本心そのままなのだ。

そして、その本心の中のどんな微細な微妙なもの、かすかなものも彼は表現し得るのだ。このことと、霊の感受性が人間には考えられない鋭感さにより、聞き手は話し手のすべてを知ることができる。意思、感情、知性は、霊の場合もその心の本性を決めるすべてであり、心の本性が結局はその人間や霊の一生を決めるものであることを考えれば、人びとにはもはや、先ほどの絵巻物が老人の霊の眼の前に現れた理由は推察されるに違いない。老人の霊は、若者の霊の話を聞きつつ、その話の内容とは別に彼の霊としての心のすべてを、言葉の諧調の変化、色合、音節と言葉の配列の中に感じることができ、これが表象として眼の前に若者の霊の生涯を示す絵巻物として現われたのを見たというのに過ぎないわけである。

 

 

               第3章 霊界と地獄界の謎が解けた 141p

 

 

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備考、

  1*この文面は読者の判断に任せます。

 

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