真理との邂逅 高級霊のメッセージ

親愛なる友よ、 シルバーバーチは言う。 いかなる分野の仕事にたずさわっていても同じことです。人に役立つことをするチャンスは決して見逃してはなりません。                                                                         神はあなた方の中にいます。あなた方は神の中にいるのです。  有り難き、我は神なり。 

「何事もその動機がその価値を決めます」

慈善事業(チャリテー)に気前よく大金を寄付する億万長者は、その行為によって少しも霊性は伸びません。

反対に、これは絶対に意義があると信じて無い金をはたいて援助する人は、その動機ゆえに霊性が伸びます。

 

苦しむ人をみて止むに止まれぬ気持ちになるのは霊的属性の一つです。

愛・情愛・友愛・同情・哀れみ・親切心・奉仕の精神は霊の属性です。

それらを表現しているときあなたは霊的自我を表現していることになります。

         シルバーバーチ霊訓 (十二)

 

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おすすめ動画。

2017年9月21日   奇跡体験 アンビリーバボー

 

 ルイス・マルキー~ 弱小バスケ部奇跡の大逆転~奇跡体験!

 

 

 

 

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「雨ニモマケズ」は実在していた

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雨にも負けず 風にも負けず 

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体をもち 

欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑ている 一日玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを 自分を勘定にいれず よく見聞きし解り

そして忘れず 

野原の松の林の蔭の ちいさな藁葺きの小屋にいて 

東に病気の子供あらば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 

南に死にそうな人あらば行って怖がらなくて言いといい 

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにデクノボウと呼ばれ 褒められもせず 

苦にもされず そうゆうものに私はなりたい。

 

                        宮沢賢治

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 雨ニモマケズ」は実在していた 斉藤宗次郎 

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1977年、斉藤宗次郎は岩手県花巻の禅宗の寺の三男として生まれました。彼はやがて小学校の先生となり、一時、国粋主義に傾くのですが、やがてふとしたきっかけで、聖書を読むようになりました。1900年、彼は洗礼を受けてクリスチャンなりました。

花巻で第一号のクリスチャです。しかし、これはキリスト教がまだ「阿蘇教」「国賊」などと呼ばれて、人々から激しい迫害を受けている時代のことです。

洗礼を受けたその日から、彼に対する迫害が強くなりました。町を歩いていると「ヤソ、ヤソ」とあざけられ、何度も石を投げられました。それでも彼は神を信じた喜びにあふれて、信仰を貫いていました。しかし、いわれのない中傷が相次ぎ、ついに彼は小学校の教職を辞めなければならないはめになってしまいます。また迫害は彼にだけにとどまらず、家庭にまで及んでいきました。長女の愛子ちゃんはある日、国粋主義思想が高まる中、ヤソの子供と言われて腹を蹴られ、腹膜炎を起こしてしまいます。数か月後、彼女はわずか九歳という若さで天国に帰って行きました。

葬儀の席上、讃美歌が歌われ、天国の希望のなか平安に彼女を見送りましたが、愛する子をこのようないわれなきことで失った斉藤宗次郎の心情は、察するに余りあります。彼はその後、新聞配達をして生計をたてるようになります。

朝三時に起き汽車が着くたびに何度も駅に新聞を取りに行き、雨の日も風の日も、大風呂敷を背負って駆け足で配達するという生活でした。新聞配達が終わった後に宮沢賢治が勤めていた花巻農学校に立ち寄り、賢治と話し合うようになりました。

斉藤宗次郎の新聞配達の方法はとても変わっていました。重い新聞紙を抱え、十歩進んでは神を賛美するという調子でした。ポケットにはあめ玉をたくさん入れていて、子供たちに会うとあめ玉をあげる。病気の人がいると、その病床まで行って慰め、小銭を置いてまた配達に戻る。そのようにして花巻の町全体を毎日走り回ったのです。

宗次郎と賢治は一緒にクラッシク音楽を聴いたり、文学の話をする密接な関係でした。宗次郎のこのような生き方が賢治の目にはどのように映っていたのでしょうか?

 

やがて1926年(大正15年)、宗次郎は住み慣れた故郷花巻を離れ、東京に移る日がやって来ました。

だれも見送りに来てくれないだろう」と思って駅に行きました。

ところが、そこには名残を惜しむ見送りの町の人々があふれていたのです。お寺の大勢の和尚さんや学校の先生たちも来ていました。昔は迫害した人々も今はすっかり尊敬と親愛の情に満ちた顔で見送りに来てくれたのです。

宗次郎がふだんからしてくれていたことを、彼らは見ていたのです。そして感謝を表しに来ていたのです。

身動きできないほどの多くの人々が集まったのです。

見送る人々の中に、宮沢賢治の姿もありました。宗次郎が東京に着いてから最初に手紙をくれたのは賢治でした。

その5年後賢治は「雨ニモマケズ」の詩を手帳に書きましたこの詩は「みんなにでくのぼうと呼ばれ、ほめられもせず苦にもされず。 そういう者に私はなりたい」という言葉で締めくくられています。

宮沢賢治は、斉藤宗次郎という人の生き方に接し、深い共感を覚えてこの詩を書いたのではないでしょうか

 

 備考、

 斉藤宗次郎さんは、無教会主義の内村鑑三さんの一番弟子です。

   

                                 蒼氓。

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 メモ、 

賢治の、雨ニモマケズの最後の文章のそうゆうものに私はなりたい。

という、

そうゆうものとは人の為、人助けの為。(サービス)

褒められもせず苦にもされず、賞賛を求めない無私の愛

食事は、生き物を食べない。菜食。ベジタリアン

何処かの教えですね、理想の求道者。バーチの教えそのものです。

 

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 ラベルは関係ありません。   シルバーバーチ

 

 参考↓


 

 

 

 

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(471)私共はこれという原因もなしに、理由のない不安感、動揺、また内心の満足感を感じることがあります。あれは身体の状態からそうなるのですか。

 

 

「その多くは、諸君の周りにいる霊魂との、無意識の交流によって起こるのである。また、睡眠中にその交流がなされることもある」

 

(472)

 霊が私共を悪へ誘うのは、私共のもっている状況をうまく利用してそうするのですか。

 

それとも、霊が自分で都合のよい状況を作り出してそうするのですか。

 

それは都合のよいチャンスを見付けてそうするのだが、彼等じしんで作り出すこともよくある。つまり本人が気付かなくても、本人の欲望に沿ってささやきかける方法で。

たとえば、路傍で一束の紙幣を拾うとする、この金は霊がそこえ置いたと思ってはいけない。しかし、霊はそこを通るように本人にささやきかけるかもしれないのだ。本人がこの金を見付ける、すると霊はこれを着服するように本人にささやく。他方、落とし主に返せという声も聞こえる。試練はすべてこのように行われる」

 

         霊の書上 12章地上界での霊の介入

                  アラン・カーデック編 桑原啓善訳     

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霊の書(下)「心霊主義が人々の不注意とか物質への愛着に負ける、という恐れはありませんか。」

 

 

 

(800)「何かの原因があれば、人類が魔法をかけたように変わると思うことは、人間性に関する随分と浅薄な知識を示すものだろう。

 

観念というものは、個々の人間性の変化に応じて、徐々に変化するものです、古い習慣の根絶には数世代を要する。

 

それ故人類の変革は時間をかけて、歩一歩、事実をもってする影響感化によってのみ進展する。一つ一つの世代を経て、ヴェールの一部づつが融けていく。

 

心霊主義は今このヴェールを消散させようとしている。さて、もしここに心霊主義が、一人の人のせめて一つの欠陥を癒やすとすれば、この人を一歩前進させたこととなる、そしてこの事は、この人に多大の善を為したことになる。

と言うのは、1*人は第一歩が肝心なのであって、これによりその人の以後の進歩は容易となるからである」

 

          霊の書(下)

 

       アラン・カーデック編 桑原啓善訳

 

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備考、 世界三大霊訓の一冊です。   

 

1*まさしく、このサイトの意味もそこにあります。 

 真理との邂逅(出会い)           蒼氓。

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******「地上の人間は肩書きやラベルや名称を崇めるのがお好きです」。******

 

が、クリスチャンを名のろうと無神論者を名のろうと、何の違いもありません。

 

大切なのは実生活において何をするかです。

       

仮にここに宗教など自分には無縁だと言う人がいるとしましょう。

神の名を唱えても頭を下げようとしません。

 

しかし、性格は正直で、人のためになることを進んで行い、弱いものに味方し、足の不自由な犬が柵を越えるのさえ手助けしてやり、打ちひしがれた人々の身になって考え、困った人を援助しようと心がけます。

 

もう一人は見たところ実に信心深い人です。あらゆる教義、あらゆる教説を受け入れ、信仰上の礼儀作法には口やかましく気を使います。

 

しかし心の奥に慈悲心は無く、生活の中において何ら人のためになることをしません。

 

前者の方が後者よりはるかに宗教的人物と言えます。

 

 

           シルバーバーチの霊訓(3)

 

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備考、

再三、バーチが言っているようにラベルは関係ないようですね、生き様ですね、人のためになることをすることです。がんばりましょう。          

 

                                                                                                                                蒼氓

 

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「スウェデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編

 

大きな地響きとともに、彼の立っていた地面がまっ二つに裂けたのだ。そして、この裂け目は彼の目のとどく限りの霊界のはてまで一瞬のうちに広がっていった。中から暗黒のどれだけの深さとも知れぬ深淵がのぞいていた。彼は気絶せんばかりに驚いた。だが、彼の驚きはこれに止まらなかった。裂け目の中から一巻の巻物のようなものが現れた、彼の足下に置かれると、その巻物のようなものはするするとひとりでに音もなく広がっていったのである。

だが、つぎに不思議なことに彼は気ずいた。それは、青年の霊は、こんな大異変にも一向に気ずかない様子で相変わらず、先ほどからの話を続けていたことであった。

1*巻物にはなにが記されていたか、それはその青年の霊の人間であったときの一生の記録と、これまでの霊界での記録、そしてこれから彼が霊界で送るべき永遠の未来の記録までがすでに書かれてあったのである。

人間の感覚は霊のものに比べれば数千倍もいや、もっと鈍感だ。だから、人間がもし霊の話を聞けたとしても彼にはわかりっこないのだが、霊同士のあいだでは相手の言葉の中に含まれる話し手の意思、感情、知性の姿がはっきりと眼に見えるように映る。意思、感情、はその言葉の諧調の微細な変化のなかに、知性は、言葉と音節の無意識の配列の中に現れるのである。これは、一万キロメートル離れて針の落ちる音を聞くようなかすかなものなのだが、霊にはそれがわかるのである。また霊は、その言葉を自分の心の状態そのままに、ほとんど自分では意識せずに音声にだして話す。そこには、人間のようにいろいろな思惑や判断にわずらされるものわない。このことから彼の言葉は、すべてが純白な雪のように霊の本心そのままなのだ。

そして、その本心の中のどんな微細な微妙なもの、かすかなものも彼は表現し得るのだ。このことと、霊の感受性が人間には考えられない鋭感さにより、聞き手は話し手のすべてを知ることができる。意思、感情、知性は、霊の場合もその心の本性を決めるすべてであり、心の本性が結局はその人間や霊の一生を決めるものであることを考えれば、人びとにはもはや、先ほどの絵巻物が老人の霊の眼の前に現れた理由は推察されるに違いない。老人の霊は、若者の霊の話を聞きつつ、その話の内容とは別に彼の霊としての心のすべてを、言葉の諧調の変化、色合、音節と言葉の配列の中に感じることができ、これが表象として眼の前に若者の霊の生涯を示す絵巻物として現われたのを見たというのに過ぎないわけである。

 

 

               第3章 霊界と地獄界の謎が解けた 141p

 

 

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備考、

  1*この文面は読者の判断に任せます。

 

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人生は光と陰の繰り返しです

人生は光と陰の繰り返しです

 

私たち霊と同じく、あなた方人間も法則の中で生きています。

病気は、その法則との調和が乱れた結果です。

つまり、魂が未熟なことの代償です。 しかし、その代償とは別の補償の法則もあります。 物事には、得があれば損があり、損があれば得があります。 物質的に見れば得と思えることも、霊的に見れば大きな損失の場合があります。

全ては進化を促すための、神の配慮です。

教訓を学ぶ道は色々あります。 が、最高の教訓の中には、

痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります。

それが病気という形で表れることもあります。

人生は光と陰の繰り返しです。 片方だけの単調なものではありません。 喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中でこそ、進歩が得られるのです。

両方に神の意志が宿っています。 良いことにだけ神が宿っていると思ってはいけません。

辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも神が宿っていることを知って下さい

 

 

 

                                             シルバーバーチ霊訓(9)

 

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