真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

「死後にもある程度まで国家的意識が存続する」

 

 

たとえば、地上である種ので改革事業を推進してきた政治家が、その半ばで他界したとします。

すると、その人は自分の改革事業を引き継いでくれそうな人物に働きかけるものです。その意味では、死後にもある程度まで、つまり霊の方がその段階を卒業するまでは国家的意識というものが存続すと言えます。

同じ意味で、自分は大人物だと思い込んでいる人間、大酒のみ麻薬中毒患者などが霊界に来ると、地上に似たような傾向をもつ人間を通じて、満足感を味わおうとするものです。

      シルバーバーチ霊訓(5)

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「霊界では金銭の心配も生存競争もない」

 

 

 

この世界にきて芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることが出来ますす。

 

画家も詩人も思い通りのことが出来ます。天才を存分に発揮することができます。

 

地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。

 

地上の言語のようなぎこちない手段を用いなくても、心に思うことがすなはち霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。

 

金銭の心配がありません。生存競争というものがないのです。弱者がいじめられることもありません。霊界の強者とは弱者に救いの手を差し伸べる力があるという意味だからです。

 

失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。

 

宗派もありません。経典もありません。あるのは神の摂理だけです。それが全てです。

 

地球へ近づくにつれて霊は思うことが表現できなくなります。正直いって私は地上に戻るのはいやなのです。

なのにこうして戻って来るのはそう約束したからであり、地上の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持ちがあるからです。

 

そして、それを支援してくれるあなた方の、私への思慕の念が、せめてもの慰めとなっております。

 

 

            シルバーバーチの霊訓(四)

 

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   「あなたの善行を手助けする霊は大勢いる」

 

 

あなたにとってまったく見知らぬ霊、名前こそ聞いたことのない霊でありながら、あなたのために力になってあげたい一心で来てくれる霊が大勢いるものです。

 

 

そういう霊は名のりたがりませんし、見返りというものを一切期待しないものです。

 

 

          シルバーバーチの霊訓(十二)

 

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     (あなた方は自身の内部に莫大な富を持っています)

「Q2」大霊はいずこにも存在するー私たち人間のすべてにも宿っているとおっしゃるのでしょうか?

(顕幽にまたがる)全創造物として顕現している大霊の総和とは別個の大霊というものは存在しません。

 

人間的存在としての神は、人間がこしらえたもの以外には存在しません。

 

人間的存在としての悪魔も人間がこしらえたもの以外には存在しません。

 

黄金色に輝く天国も、火炎もうもうたる地獄も、人間がこしらえたもの以外には存在しません。

 

そうしたものは限られた視野しかもたない人間の創造産物に過ぎません。

 

大霊は法則なのです

 

それさえ理解すれば、人生最大の秘密を学んだことになります。

 

           崇高な存在との対話191p

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やみくもに知識を押しつけるのは感心しません。受け入れる用意があるとみた人に説くことです。

                                       

 受け入れる用意があるとみた人に説くことです。議論しても無駄です。無知と叡智とが相撲とっても始まりません。勝ち負けの問題ではないからです。目的は相手に自分の霊性に気ずかせ、ただの肉の塊ではなく、死後にも生き続ける霊的な宝が隠されていることを教えてあげることです。

 

       シルバーバーチの新たなる啓示170p 

 

 

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皆様の心(魂)の糧になればこれ以上の幸いはありません。

いつもご愛読有難うございます。      蒼氓。   

                                                                  

 

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 あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき

           この さびしさ を きみは ほほゑむ

 

天地にわれ一人ゐて立つごときこの寂しさを君はほほゑむ

 

                        会津八一。

 

誰が微笑むのでしょう・・・

心(魂)に沁みる短歌です。

                          蒼氓。

シルバー・バーチの霊訓(一) アン・ドゥーリー 近藤千雄訳

ですから、イザこちらの世界へ来た時は何の備えも出来ていないか、さもなければ、一から学び直さなければならないほど誤った思想・信仰によってぎゅうぎゅう詰めになっております。

 

本来そうしたものは地上の方が遥かに学びやすく、そのほうが自然なのです。

 

悲しみの人を慰め、迷える人を導き、悩める人を救うためには、自らが地上において苦難の極み、悲哀のドン底を体験しなければなりません

 

自分自身の体験によって魂が感動した者でなければ人に法を説く資格ははありません。

 

教える立場に立つ者は自らが学ぶものとしての然るべき体験を積まなくてはなりません。

 

霊的教訓は他人から頂戴するものではありません。

 

艱難辛苦ー辛く、厳しく、難しく、苦しい体験の中で自らが学ばねばなりません。

 

それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。

 

そうでなければ有難いのだが、と私も思うことがあります。

 

しかし側の者には分からないあなただけの密かな霊的覚醒、霊的悟り、魂の奥底からの法悦は、そうした辛い体験から得られるのものです。

 

なぜならその艱難辛苦こそ全ての疑念の誘惑を蹴散らし、祝福された霊として最後に安全の港へと送り届けてくれるからです。

 

これも神の摂理として定められた一つのパターンです

 

霊的成就への道は楽には定められておりません。

 

             九章 霊とは何か162p  

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備考、スピリチュアリズムは、苦の哲学と言われるぐらいで、苦がなければ、地上にでる必要もないとまでいっつています。                      

                   

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  詩人は苦悩をも享楽する

         永久の未完成これ完成である

           

                          宮沢賢治

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「神を崇拝する場として作られた建物は確かに美しいかも知れませんが、その美しさが神聖さを生むわけではありませ」。

 

 

 

美しいと思うには美意識の反応にすぎません。

 

宗教そのものは教会と何の関係もありません。 

 

霊感のある人ー本当の意味で聖職者、つまり霊的能力を備えた人が民衆の要請に応えて神との取次をしてあげることと言ってもよいでしょう。

 

勿体ぶった神学的言説に基ずく行事をしたり信仰を告白することではありません。

 

教会でワインを飲んだからと言って、他の場所でワインを飲むよりも”宗教的”であるわけでわありません。

宗教的であることは宇宙の大霊の一部である自分を少しでもその大霊の御心に近づけることです

 

内部の神性を発揮する上でプラスになることすることが宗教です。

 

その神性は人のために役立つ行為、愛他心、親切心、日々新たになろうという心がけ

どこにいても倒れている人を起こしてあげ弱った人を元気づけ、無気力な人の力になってあげ、病の人を癒し、真理と叡智を広め、不正を無くする行為となって表れます、

それが宗教です。

 

人間にはその人なりの宗教を実践する上で必要なものは全て授かっております、そのためにはまず、宗教とは*名僧知識が説くことを体系的にまとめることであるかのように考える、その誤った概念を捨て去ることです

 

私どもは、どこかの礼拝のための建造物に出席することが神への義務が果たすことになるとは決して申しません。

 

出席される方は真面目な気持ちでそうされているかも知れませんが、真の宗教心はその人の生きざまの中でしか発揮されないのです。

各自の魂に内在する崇高なる霊性の働きと切り離されたところに宗教は存在しません

 

         シルバーバーチの霊訓(三)

 

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備考、*名僧知識仏道の悟りを開いた、すぐれた僧。

 

 

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シルバー・バーチの霊訓(一) アン・ドゥーリー編 近藤千雄訳

問「人間一人ひとりに守護霊がついているのですか。」

 

答「母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当る霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務を遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。

自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当たる霊は何人んかおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめ分かっております。

が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。つまり、自分はこの男性にしようとか、あの女性の方が良さそうだ、といった勝手な注文は許されません。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されております。」   

 

 

    

                                   十章 質問に答える 179p

 

 

 

備考、守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめ分かっております。

                                                                                                          蒼氓。

 

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