真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

霊的知識を手に入にした者は挫折も失敗も神の計画の一部であると悟らなければいけません。

 

陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。

 

表裏一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。

 

人間の進化のために、そうした表と裏の体験、成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです

 

神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部いわばワンセット(一組)なのです。

 

そうした法則の全て通暁することは人間には不可能です

 

どうしても知りえないことは信仰によって補うほかはありません。

 

盲目的信仰ではなく、知識を土台とした信仰です

 

      シルバーバーチ霊訓1巻 62p 

 

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備考、

盲目的信仰ではなく、知識を土台とした信仰、シルバーバーチは理性に訴えることを非常によく言ってます。

 

                                                                                                            蒼氓。

 

 

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「霊界のレベルとは何か」

 

 

 

 

それを単に知っているだけでなく、これによっていつも霊的に生きているといったレベルのものである。

 

だからこれは「知っている、理解している」といった認識のレベルのものではなく、「そう行動している」といった行動のレべルなのだ。

 

これはひとつレベルの低い認識レベルの「信」に対し自分自身が「信」そのものになっているといっていいだろう。

 

そして、そうなって初めて霊は最上の天国にも入れる。一言でいえば、霊はこのような階段をひとつひとつ登って行くことによって初めて最上の天国に入れる。

 

中には例外的に、死んでいくらもたたないうちにすぐ最上の天国に達する者もないわけではない。しかし、それはあくまで例外でそんな人は人間だったときから天国の胚種を強く持って生きていた人だけなのだ。だから、私に最上の天国にはいれないといって嘆いた多くの死後間もない霊たちは、いってみればあまりに性急すぎる望みを持った者たちだということになる。

 

だが、当然いまのような段階を無事に通過することができれば、最上の天国の門はどの霊にも公平に開かれているわけだ。

 

霊界のそれぞれのレベルの国は「信」だけでなくいろいろな点でレベルに相違がある。しかし、いま私はもっともわかりやすい「信」のレベルで説明してみた。また、いまは「信」のレベルのことだけで見たが、冒頭でいった第一~弟三状態とはどんことなのかもいまの例は教えてくれる。

 

知識を誇った学者のこっけいさの例は「正編」でも簡単に紹介したが、彼らの知識なるものが霊の世界では通用しなくなるのは、それが外面的なものに過ぎないためだ

 

第一状態から第三状態への変化とは、つまり人間(霊)がより内面の本質に従って生きるようになるということにほかならない。

 

そして、その観点からは知識などは、人間がまとう衣服と同じにたんに表面を飾るものでしかないからだ

 

 

  続スウェデンボルグの霊界からの手記  抜粋。 

 

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霊的真理の実践こそが、スピリチュアリストの真価を決定する、  抜粋

 

 

シルバーバーチもインペレーターも行為の重要性を強調します。

 

シルバーバーチは次のように述べています

 

「大切なのは行いです。行為です。つまり各人の毎日の生活そのものです」

 「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がおります。霊格の高さは信仰の多寡(たか)で測れるものではありません。行為によって測るべきです」

 

要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人の為に尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。

大切なのはそれだけです。

知識は無いより有った方がましです。が、その人の価値はは毎日をどう生きたかに尽きます

(以上「シルバーバーチの霊訓(3)p71、「シルバーバーチの霊訓」(6)p27

シルバーバーチの霊訓」(4)p140)

 

インペレーターはーー我々は信条にはさしてこだわりません。それよりも我々は行為を重要視します。

何を信じていたかは問いません何を為したかを問います。(中略)言葉より行いに、口先だけの告白よりも普段の業績に目を向けるのです

「我々の説く宗教は、行為と習性の宗教であり・・・

(「霊訓完訳・下」スピリチュアリズム普及会)p40)と言っています。

 

もしスピリチュアリズムに導かれながらも、依然としてスピリチュアリズムを単なる研究に終始していたり、真理は真理、日常生活は、日常生活で別物と考えているならば、霊界の導きを裏切ることになります。いつまでも知識の収集や、無意味な学集会、言葉の遊びや哲学ごっこをしていてはなりません。

私たちの意識が常に「霊的成長と奉仕・伝道」に向けられていないとしたら、スピリチュアリストとは言えないのです。

 

卒直に言って、シルバーバーチを読んでいるといいながら、霊的真理と全く無関係な歩みをしている人を見かけます。この世の人間と同じように、煩悩のままに流され傲慢になり、謙虚さとはほど遠い人がいるのです。内面的な努力をすることさえ忘れてしまっているような、情けない自称スピリチュアリストに出会うこともあります。

 

          スピリチュアリズム・ニューズレター バックナンバー11号抜粋。

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 「霊的真理は単なる知識として記憶しているだけでは、理解したことになりません。

実生活の場で真剣に体験して、はじめてそれを理解するための魂の準備が出来上がります。

 

             シルバーバーチの霊訓(一)p63

 

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「霊的真理は、これを日常生活に活用すれば、不安や悩み、不和、憎しみ、病気、利己主義、うぬぼれ等々追い払い、地上に本物の霊的同胞精神に基ずく平和を確立することでしょう。霊的真理を一つでも多く理解してゆくことが、あなた方の魂と霊的身体を霊界からのエネルギーを受けやすい体質にしてゆきます。」

 

 

             シルバーバーチの霊訓(一)p97

 

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魂の成長は地上の苦難をプラス思考で乗り越えることによってなされます。

 

スピリチュアリズムの教えーー苦しみ・困難は必要不可欠なもの

 

スピリチュアリズムを知った私達であっても、苦しみは何とか避けたいと思うものです。苦しみを避けたいと思うのは地上人の本性ともいうべきものです、それはごく当然の在り方でしょう。一般の人々は、苦しみや困難がないことが幸せであり、苦難があることは不幸であると考えています。苦しみは人生から幸せを奪い取る敵であり、何とかそれを避けたいと願っています。多くの人々が宗教に係わりを持っていますが、その人達が求めるものは、苦しみのない幸せな人生です。シャカの仏法も、生・老・病・死という避けられない人生苦を、いかに克服すべきかというところから出発しています。このように苦しみは、私達地上人生の中で大きな部分を占めています。

 

ところが、高級霊訓では、苦しみに対して全く違った見方をしています。違っているどころか180度も反対のことを言っています。私達地上人の常識を根本から覆すことを述べているのです。「シルバーバーチはしばしば、「苦しみを避けてはいけません。ありがたいものとして受け入れなさい」と言っています。

霊訓を読むとき私達はよく、地上人と霊界人の視野の違いの大きさに驚かされることがあります。たとえばその一つが死についての考え方です。私達にとって愛する人との死別は、悲しみの絶頂とも言うべきものです。が、それに対して霊界の人々は「どうして死をそんなに悲しむ必要があるのですか。どうして死をそんなに悪く考えるのですか。死は肉体という牢獄から魂を解放してくれる喜ばしい時なのです」というように、想像もつかないような返事をするのです。そして同じように、私達が地上で味わう苦しみ・困難についても、ありがたいものだと言うのです。この世の多くの宗教は、苦しみを取り除くことを売り物にしていますが、それに比べて、スピリチュアリズムは何と違っていることでしょうか。

 

高級霊の発言や教えは、常に霊界という永遠的な観点からなされます。私達地上人が幼児であるなら、霊界の高級霊は無条件に親であり大人なのです。その視野の広さ、全体を見通した判断力は私達とは比べものになりません、そのような高級霊が、苦しみは魂の成長に不可欠な条件であると言っているのです

 

 

       スピリチュアリズム・ニューズレターバックナンバー 2号

 

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ある種の教義や信条を信じたものだけが永遠の生命を与えられると説いている宗教がありますが、

 

永遠の生命は宗教や信仰や憧れや願い事とは無関係です。

 

生き続けることは、変えようにも変えられない法則であり、自動的にそうなっているのです。

そもそも人間は、死んでから霊となるのではなくて、もともと霊であるものが地上に肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためではなく,霊界という本来の住処に戻ってからの生活のために、発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです。

元の出発点へ帰ることであり、地上のものは地上に残して宇宙の大機構の中で、あなたなりの役目を果たすために、霊界でそのまま生き続けるのです。

 

その無限の宇宙機構の中にあって人間は、一人の例外もなく必ず何らかの役目があります。

そして、それを果たそうとすると、色々と困難が生じます。が、それは正面から迎え撃って克服していく挑戦と心得るべきです。

困難と障害は、魂を発達させ進化させていくう上で必要不可欠の要素なのです。

 

 

             シルバーバーチの霊訓( 十)

 

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(問)呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのですか。

 

 

 

高級霊で魂に意識がある場合はエーテル体が肉体から抜け出るのが分かります。

 

そして、抜け出ると目が開きます。周りに自分を迎えに来てくれた人たちが見えます。

 

そしてすぐそのまま新しい生活が始まります。

 

魂に意識がない場合は、看護に来た霊に助けられて、適

 

当な場所(病院や休憩所)に連れて行かれ、そこで新しい

 

環境に慣れるまで看護されます。

 

 

 

       シルバーバーチの霊訓(四)

 

 

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 参考↓

 

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 参考↓

 

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霊の書(下)金持と貧乏の試練

 

 

(814)神はなぜ、ある者には富と力を、ある者には貧困を与えられましたか。

 

*1「それぞれの道で試練をうけるため。しかも、ご承知のとおり、この試練を選んだのは霊自身である。その霊が負けてしまうことがよくあるのだが」

 

(815)恐ろしいのはどちらなのですか、金持ちと貧困と、二つの試練の中で。

 

「どちらも同じように危険なもの。貧困は神の摂理を恨みかこつ。金持ちは万事分を超えてしまう」

 

(816)金持には悪への試練がたっぷりあるとすれば、また善をなす手段もたっぷりあるのではないですか。

 

「それこそ、金持が為さぬところのもの。金持ちは利己的で、高慢で、貪欲になりがちだ。財が多ければその欲望もそれと共に深い。彼等は飽くことを知らぬ、自分自身に対してさえも」

 

               霊の書(下)

 

         アラン・カーデック編 桑原啓善訳

 

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参考、何事も、永遠的な見方をしないと分からない。*1霊性の進化のため自ら選んででるが、負けてしまうこともあるようだ。

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